ベートーヴェンの「運命」、本当に長らく聴いていません。

 

理由の一つは”余りにも聴きすぎてきたから”。

 

その昔、レコードしかなかった時代、「運命」と「未完成」という組み合わせは定番中の定番でした。両曲ともとても魅力的、魅惑的ですし、本当のよく聴きました。

 

だからその反動で両曲とも余り聴かないという訳には、実はなっていません。

 

「運命」を聴かないもう一つの理由が”トラウマ”です。

 

詳しくは書けませんが、学生オケ時代にこの曲が私の”トラウマ”になってしまいました。

 

もちろんその後全く聴いてこなかったという訳ではありませんが、それ以前の頻度から言えば聴かなくなったと言ってもいいかと思うほど聴いてません。

 

”久しぶりに聴いてみた”と書きましたが、ベートーヴェンの交響曲を「第1番」から順にBGM的に流していてその中で「運命」も流れたという次第です。

 

そして、やっぱり感動しました。

 

PCに色々な音楽を入れているのですが、その中にガーディナーがオルケストラル・レヴォルーショナル・エ・ロマンティークという古楽器オーケストラを指揮したベートーヴェンの「交響曲全集」もあります。全く便利な世の中になったものです。

 

🔷ガーディナーのベートーヴェンについて

 

元々古楽器団体は好きではありません。輝かない木管も物足りないし、何より弦楽のノンヴィヴラート奏法が気持ち悪い。

 

ただガーディナーは面白い仕事をしているので、ベルリオーズ「幻想交響曲」、ヴェルディ「レクイエム」、ブラームス「ドイツ・レクイエム」のCDは持ってますし、それぞれ古楽器特有の響きを逆に活かした見事な演奏です。

 

このベートーヴェンの「交響曲全集」も同様なやり方で見事に成功しています。

 

今回は「交響曲第5番”運命”」のことを書きます。

 

この曲はあの妙に重々しいフルトヴェングラー、重厚でいかにも正当的なカラヤン、そしてカルロス・クライバーを聴いた時には本当にびっくりしました。

 

あれだけ聴いてきた「運命」がなんと新鮮に響いたことか!

 

ガーディナーの「運命」も”新鮮さ”という意味ではクライバーと同じでした。音楽が生き生きとしているのです。

 

この曲は無数と言っていいほどの録音があると思いますが、ガーディナーはその歴史の手垢を削ぎ落とした純潔さ、純粋さが魅力です。

 

ところで冒頭の有名すぎる運命動機”ジャジャジャジャーン”は全く同じ形で第1楽章で3回繰り返されますが、フルトヴェングラーなど繰り返される度にテンポを落とすので、3回目は最初の倍くらいの遅さになっています。カラヤンもそこまでではありませんが、テンポを落とします。クライバーはどうだったかな?

 

私はこの繰り返す中でのテンポの変化にはずっと疑問がありました。ベートーヴェンはそんなテンポ指定はしていません。

 

素晴らしいことにガーディナーは当然のように同じテンポを貫きます。ガーディナーがこの「全集」でとったテンポは概して速いもので、それも演奏から感じられる推進力の源です。

 

ベートーヴェンはその時代に発明されたメトロノームを元にスコアに速度記号を取り入れた最初の人ですが、ベートーヴェンの書き込んだ速度記号は概して速すぎて演奏にならないと言われています。

 

カラヤンはベルリン・フィルと全集を3度出していますが、その2回目となる正にカラヤン/ベルリン・フィルの技術的な頂点とも言える全集で”今回”エロイカ”ではベートーヴェンのテンポ指定に従った、このテンポは従来とても演奏できないと言われてきたものだ”と誇らしげに書いていますが、ガーディナーはカラヤン/ベルリン・フィルのお株を奪うかのような速さです。

 

ガーディナーは”古楽器の欠点を逆に生かした”と書きましたが、ガーディナーはどの曲も巨大な弦楽合奏曲のように演奏させます。古楽器団体の特徴でもあるのですが、金管、、木管はどちらかというとくすんだ響きを持ちますが、ガーディナーはそれを逆手にとって金管、木管をリズム楽器のように扱っていますが、しかしそれこそベートーヴェンが望んだ響きなんじゃないかとさえ思えてきます。

 

「運命」も当然同じで、そのためこの曲の対位法的な面白さが顕著に現れます。かと言って迫力に欠けることもなく、逆に誰よりも迫力があります。その迫力の源が揺るぎない一貫した速めのテンポで、その推進力は並大抵のものではありません。

 

ガーディナーの第4楽章を聴いてみましょう。

 

どうやら”トラウマ”から脱却できそうな気がしてきました。