今、エルガーの「ヴァイオリン協奏曲」に夢中です。

 

この曲をちゃんと聴いたのは2日前のこと。それから今日までいつものリスニングはもちろん、他所ごとをしている時にはiphoneで聴いていたりしています。

 

何がそんなにいいのか?

 

実はそれをきちんと説明できないのです。ベートーヴェン、ブラームスはもちろん、メンデルスゾーン、チャイコフスキー、シベリウス、コルンゴルト、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、それからビュータンと、好きな「ヴァイオリン協奏曲」は沢山ありますが全て、初めて聴いた時から好きになりました。

 

エルガーは、未だその全貌が掴めていないのですが、だから何回も聴いているのですが、この曲には先に並べた名曲たちとは随分違う表情を見せます。そしてその移り変わる表情に何とも言えない詩情が感じられるのです。

 

もう少し書くと、「ヴァイオリン協奏曲」はベートーヴェンが随分違ったものに変えてしまった訳ですが、メンデルスゾーンが再び本来のヴァイオリンを主人公にした形に戻します。以降「ヴァイオリン協奏曲」はベートーヴェンの後継を自認していたブラームスを除けば、メンデルスゾーン寄りのものが主流となります。ただそこにベートーヴェン風の高揚するフィナーレを付け加えていく訳です。

 

エルガーの「ヴァイオリン協奏曲」は、クライスラーが”エルガーがヴァイオリンのための曲を書いてくれたら”と語ったことから生まれただけあって、ヴァイオリンのパートは技巧を凝らしたものになってはいますが、先ほど並べたベートーヴェン以降の作曲家のものと違って、ベートーヴェン的な要素はありません。

 

この曲はヒラリー・ハーンの素敵な録音があります。バックはコリン・デイヴィス指揮のロンドン交響楽団。

 

このCDにはヒラリー自信が書いた文章が載っていて、多分に影響されてしまったかも知れません。

 

まず次の文章が目に飛び込んできます。

 

”This album is dedicated to my mom and dad,with much love”

 

ヒラリーのこのアルバムへの自信が伺えると同時に、そこに込めた想いが伝わってきませんか?

 

次のページにはヒラリーによるちょっと難解な詩?が載っています。

 

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このアルバムに刻まれた精神は、その昔

 音楽が言葉によって静かに高められ

   文字に書かれた動作が

深い意味ととのに命を持った時代のもの。

 

 それはあらゆる想像が一つに溶け合い

  一つの演奏が一つの記録となり

芸樹に完璧さが求められなかった時代を語るもの。

  革新と非凡な才能とが、感情に、

  情感に宿っていた時代を語るもの。

 

  これらの作品が示すのは、人と自然、

       人間性。

若さと蘇りが、老いた賢者の目を通して垣間見られ

  そこに明かされるべき秘密はない。

 

   残れる調べは、流れる歌となり

 私たちはその流れに沿って、波とともに高まり

     永遠の彼方を目指す。

    解決がもたらす闇を憧れつつ。

 

      ヒラリー・ハーン

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まだこの詩の内容を完全には理解できていませんが、最初の両親へ捧げたという文章と重ね合わせると、懐かしい情景への憧れのようなものを感じます。

 

このCDにはエルガーの他にヴォーン・ウィリアムズの「あげひばり」が収録されていて、こちらの方は一聴気に入りました、この組み合わせはヒラリーの要望じゃないかと思うのですが、2曲続けて聴くことでよりエルガーが分かるような気がします。

 

エルガーの第2楽章を聴いてみて下さい。

 

何とも素敵な時間が流れているのが感じられます。