アルバム「リボルバー」で煮詰まってしまったビートルズでしたが、ポールの提案による別のバンドのコンサート風な装いで録音した「サージェント・ペパーズ」で何とか面目を保ちます。それどころか「サージェント・ペパーズ」はロック史上初のコンセプトアルバムとして高い評価を得てもいます。

 

ビートルズはジョンが始めたバンドでした。そこにポールが加わり、ポールの紹介でジョージが加わってその原型が固まり、後にリンゴが加わった時には今の4人になっています。

 

初期の頃はジョンがバンドを引っ張っていますが、ポールの音楽的な存在感は徐々にジョンを凌ぐまでになってきて、それが内部分裂にまで発展していきます。

 

アルバムとしての完成度を最高に高めた「サージェント・ペパーズ」の後に彼らが出したのが通称「ホワイト・アルバム」。

 

真っ白なジャケットに小さく”THE BEATLES"とだけ書かれています。

 

 

「バック・イン・ザ・U.S.S.R」

「ディア・プルーデンス」

「グラス・オニオン」

「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」

「ワイルド・ハニー・パイ」

「ザ・コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロー・ヒル」

「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」

「ハピネス・ウィズ・ウォーム・ガン」

「マーサ・マイ・ディア」

「アイム・ソー・タイアード」

「ブラックバード」

「ピッギーズ」

「ロッキー・ラクーン」

「ドント・パス・ミー・バイ」

「ホワイ・ドント・ドゥ・イット・イン・ザ・ロード」

「アイ・ウィル」

「ジュリア」

「バースデイ」

「ヤー・ブルース」

「マザー・ネイチャーズ・サン」

「エヴリヴァディース・ゴット・サムシング・トゥ・ハイド・エクセプト・ミー・アンド・マイ・モンキー」

「セクシー・セディ」

「ヘルター・スケルター」

「ロング・ロング・ロング」

「レヴォルーション1」

「ハニー・パイ」

「サボイ・トラフィック」

「クライ・ベイビー・クライ」

「レヴォルーション9」

「グッド・ナイト」

 

ビートルズは1968年にジョージの提案により、インドでの瞑想者マハリシ・ヨギの瞑想旅行に参加していますが、これらの曲の多くはその旅行中に書かれたものです。インドでの体験がどのように反映されているかは分かりませんが、4人の個性が十分に発揮されていることは確かで、それによりバンドとしてのまとまりに欠けているのも確かです。

 

”4人はもうバラバラ”という印象を強く与えたアルバムとも言えます。

 

またジョージは「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」ではリード・ギターにエリック・クラプトンを招いていますが、ビートルズが他の奏者を加えるのは初めてのこと。クラプトン抜きではこの曲は単にジョージの一つの作品に終わってしまったことでしょう。クラプトンはこの曲を名曲に昇華させています。

 

クラプトンは後にジョージの妻であったパティに横恋慕し遂には奪っています。そのクラプトンのパティへの想いが名曲「レイラ」そして「ワンダフル・トゥナイト」を誕生させます。

 

パティに対する思いを知ったジョージはクラプトンにギター対決を申し出、負けを悟ったジョージがパティを諦めたという記事を読んだ覚えがあります。まあすでにパティの心はクラプトンに傾いていたのでしょうが。

 

ジョージが瞑想に走ったのはパティが原因?

 

このアルバムで目立つのがポールの曲作りの上手さ、そしてギターの見事な腕前。以前にもリード・ギターの腕前を披露していますが、ここではアコースティック・ギターを見事に弾きこなしています。

 

ポールの提供した曲は、こうしたフォーク調のものから、バラード、ロックと幅広く、「ヘルター・スケルター」はハード・ロックの走りと言えそうです。

 

このアルバムから一曲と言われたら、ポールの「アイ・ウィル」でしょうか。

 

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ビートルズのこと、次は何を書きましょうか。