ベートーヴェンの9つの交響曲の中で、個人的なベストは「第3番”英雄”」です。

 

この”英雄”には忘れ難いレコードがあって、それがウラニア盤として有名なフルトヴェングラーとウィーン・フィルによる1944年の公演を録音したものです。フルトヴェングラーの専売特許のような自在なテンポの増減が、聴く者を興奮のるつぼに落とします。

 

高校生の頃、このレコードをどれほど聴き、どれほど興奮したことか。

 

しかし今はもうあまり聴こうとは思いません。フルトヴェングラーなら後のスタジオ録音の方が優れていると思いますし、こと”英雄”に関してはそれがベストだと思っているからです。

 

ここにガーディナーが手兵の古楽器オーケストラを指揮したベートーヴェンの「交響曲全集」のCDがあります。

 

久しぶりにベートーヴェンを聴きたくなって取り出してきました。そこで聴いた”英雄”はウラニア盤に匹敵する衝撃を受けたので、そのことを書きます。

 

「第1番」から順番に聴いていきました。

 

「第1番」の冒頭のフルートを伴った不安定な開始はいつ聴いても、ベートーヴェンの若々しい野心が感じられます。

 

フルトヴェングラーやカラヤンは9つの山脈を制覇した後、改めて「第1番」を振り返るような円熟を感じさせる演奏で、それはそれで素晴らしいのですが、ガーディナーで聴くと未来に向かって挑戦を始めたばかりのような新鮮さが感じられ、聴いていて新鮮な気分にさせられます。

 

古楽器団体特有のノンビブラート、くすんだ木棺がその気分を助長します。

 

「第2番」もその調子なのはいいのですが、「第3番”英雄”」でさえ同じ調子なのには驚かされます。”英雄”というタイトルを外した単なる「第3番」といった所でしょうか。

 

ウラニア盤に匹敵する衝撃と書いたのは、どちらも”英雄”のスコアから他の人とは違う効果というか表現を引き出しているから。

 

もちろんフルトヴェングラーとガーディナーではその演奏を通して感じるものは全くと言っていい位違います。「第1番」について書いたことと同じですが、一方は”完成されたもの”、他方は”今生まれたもの”とでも言ったらいいでしょうか。

 

正直、フルトヴェングラーのスタジオ録音をベストと考える身としては、真反対のガーディナーの「第3番」には与したくない気持ちがありますが、そこに抗えない魅力があることは確かです。

 

フィナーレ後半を載せておきます。