フランクの「交響曲ニ短調」、一時期狂ったように夢中になった曲ですがしばらく聴いていません。

 

しばらくぶりに、というには長すぎる年月ですが、聴いてます。

 

今回聴くのはマレク・ヤノフスキがスイス・ロマンド管弦楽団を指揮したCD。

 

 

スイス・ロマンド管弦楽団は指揮者アンセルメによって設立されたオケで、私よりも一世代前のクラシック・ファンの多くはお世話になったんじゃ無いでしょうか。

 

アンセルメは数学者でもあるという変わり種ですが、今聴いてみるとどうもその数学者らしい理知的?なアプローチが好きになれません。

 

アンセルメ亡き後、サヴァリッシュ、ホルスト・シュタイン、ヤルヴィ等、錚々たる指揮者が首席指揮者を務めていますが、ヤノフスキもその一人でした。

 

🔶ヤノフスキの「交響曲ニ短調」

 

この人の指揮で聴く「交響曲ニ短調」は、例えばカラヤン/パリ管弦楽団などと比べるとかなりスッキリとした印象です。

 

ということは、余り気に入りませんでした。

 

この曲は循環形式という一つの主題を他の楽章でも使って全体の統一性を高めたということで有名ですが、私にはそんなことより何処か曖昧模糊とした雰囲気こそこの曲の魅力だと感じています。

 

ヤノフスキはまるで古楽器演奏のようなアプローチを見せます。

 

こういう分析的な聴き方をしてしまうのがクラシックファンの悪い所だと最近つくづく思います。

 

音楽は生で聴くのが一番だと信じています。私は愛知県在住なので名古屋フィルハーモニーの演奏を聴きに出かけることがたまにあります。

 

このヤノフスキだって生で聴いたら、”余り気に入りませんでした”とは全く違った感想を持ったと思います。

 

生演奏というのは目の前に演奏者がいて、当然ですが奏者一人一人に身体を使って楽器を弾いたり、吹いたり、叩いたりする訳です。最近はyoutubeで演奏動画を観られますので生に近い体験は可能になりました。

 

しかし、生演奏の魅力はその音にこそあります。生で聴く音量を普通の家庭で再現することは出来ませんし、その響きに至っては再現は不可能です。

 

CDの事を書いていてこんな事を言うのは場違いですが、本当のことなのでしょうがありません。

 

しかし、レコードやCDならフルトヴェングラーやカラヤンだって蘇ってきますし、それこそ世界中のオーケストラを自宅で聴けると言う楽しみがある訳です。

 

そういう贅沢な環境が、ついつい分析的な聴き方を促してしまう訳です。話が一周してしまいましたが、いつの間にかフランクが終わって次の曲に移っています。

 

🔶ショーソン「交響曲ロ短調」

 

この曲は初めて聴きます、と言うよりショーソンを初めて聴きます。

 

エルネスト・ショーソンはフランスの作曲家で、フランクにも師事したことがあるそうです。ところでフランク自身はネーデルランド(オランダ)の作曲家です。

 

この曲の事を全く知らないので調べてみると、第2楽章にオーケストラにとって演奏至難な箇所があって当時の高名な指揮者を恐れさせたそうです。

 

”演奏至難”と言うのはたまに読んだりします。そもそもオーケストラにとって”演奏至難”とはどういう意味なのでしょうか。

 

マーラーが「交響曲第5番」を書いた時、”私の交響曲は最早ソリストの集団でないと演奏できなくなってきた”と言っています。

 

カラヤンがベルリン・フィルと初めて「春の祭典」を録音した時、オーケストラのリズム感の無さに辟易し”カラヤンは休憩の度に近くのジャズ喫茶に飛び込んだ”と、多分嘘でしょうが読んだことがあります。

 

しかしその「春の祭典」も今は学生オケが演奏してしまう時代、”演奏至難”と言う表現は、かつてはそうだった、と言う程度のものなのだと思います。

 

そんな事を書いていたら、曲は終わってました。もう一回聴いてみます。

 

第一楽章は重苦しい出だしから始まります。全体として何処かフランクを思い起こさせるものの、フランクには及びません。

 

また話が逸れますが、好きなになる曲の大半は最初に聴いた途端に好きになるものでは無いでしょうか、フランクの「交響曲ニ短調」もそうでした。

 

まあ、ビートルズの「サージェント・ペパーズ」のアルバムを最初に聴いた時にガッカリしてしまった程度の感性の持ち主なので偉そうなことは言えません。ショーソンだって何度も聴くうちには・・・。

 

第2楽章は悲痛な響きに満ちています。”悲痛な響き”と言えばチャイコフスキーの「悲愴交響曲」のフィナーレが思い起こされますが、あそこにはそれなりに魅惑的なメロディがあ理ましたが、ショーソンはそう言うことには無関心なようです。ただただ悲痛なだけ。

 

第3楽章もテンポこそ速まるものの、同じ雰囲気を引き継いで始まります。しばらくすると何やら明るさを持った主題が現れますが、それが恥ずかしいかのようにすぐにあの雰囲気に戻ろうとします。

 

最後はこれではいけないとばかりに決意に溢れた主題が現れ、一瞬ですがフランクの「交響曲ニ短調」を思わせるフレーズさえ顔を覗かせます。

 

盛り上がったり、落ち着いたりを繰り返し、平穏な気分で曲が終わります。

 

”これならフランクを聴くかな”が正直な感想でした。