フォーレと言えば「レクイエム」です。

 

その天国的な響きを持つ厳しくも優しい音楽は、常に自分の葬式に流して欲しい曲のトップ3に入っているんじゃ無いでしょうか。

 

今回はそんなフォーレの室内楽のCDを2枚持ってきました。

 

 

エラートから出ている「フォーレ:室内楽全集」の第1集と第2集です。各2枚組なので全部聴こうと思うと結構な量です。

 

🔷フォーレ:室内楽全集第1集

 

「ピアノ四重奏曲 第1番」1879年

「ピアノ四重奏曲 第2番」1886年

 

ジャン・ユボー(ピアノ)、レイモン・ガロワ=モンブラン(ヴァイオリン)、コレット・ルキアン(ヴィオラ)、アンドレ・ナヴァラ(チェロ)の面々。

 

「ピアノ五重奏曲 第1番」1906年

「ピアノ五重奏曲 第2番」1921年

 

こちらはピアノは同じユボーですが、ヴィア・ノヴァ四重奏団とのコンビです。

 

🔷フォーレ:室内楽全集第2集

 

「ヴァイオリン・ソナタ 第1番」1876年

「ヴァイオリン・ソナタ 第2番」1917年

 

ジャン・ユボー(ピアノ)、レイモン・ガロワ=モンブラン(ヴァイオリン)

 

「弦楽四重奏曲」1924年

 

ヴィア・ノヴァ四重奏団

 

「ピアノ三重奏曲」1923年

 

ジャン・ユボー(ピアノ)、レイモン・ガロワ=モンブラン(ヴァイオリン)、アンドレ・ナヴァラ(チェロ)

 

 

フォーレの室内楽というと、「失われた時を求めて」で有名なマルセル・プルーストが自宅の寝室にイザイ四重奏団だったかを呼んでベッドに横たわってフォーレのピアノ四重奏曲なんかを楽しんだという嘘のような話が思い出されます。

 

だから、そんな雰囲気の音楽なんだろうと想像していましたが、最初の「ピアノ四重奏曲」から何かウワッと迫ってくるようなものがあります。

 

前述の収録曲に年号を付けたのは完成した年、ドビュッシーが「牧神の午後への前奏曲」を書いたのが1894年のことなので、その前後でフォーレがどのような影響を受けたのか、受けなかったのかも興味があります。

 

第1集は「ピアノ四重奏曲」の2曲が「牧神」の前、「ピアノ五重奏曲」の二つが「牧神」の後です。

 

「ピアノ五重奏曲第1番」冒頭のさざなみのようなピアノを聴くと影響ありかと感じます。ただ「ピアノ四重奏曲」はフォーレが30代、40代の時の作品で、対して「五重奏曲」の方は60代、80代の作品なのでフォーレ自身の変化とも言えます。

 

そもそもフォーレはワーグナーのオペラ、楽劇を賞賛し、合作の作品まで書いて楽しんでいますが、ワーグナーの音楽からの影響が全く無かった程の人なので、ドビュッシーからの影響など無かったのでしょう。どちらかと言えばドビュッシーの方がワーグナーの音楽を意識し、結果独自の道を見つけたとも言えます。

 

いずれにしても攻撃的とも言っていい程の「ピアノ四重奏曲」に対して穏やかな「ピアノ五重奏曲」という感じです。

 

「ピアノ五重奏第1番」の第3楽章なんて、ポピュラーミュージックみたいな所があります。

 

 

フォーレの音楽はそれによって何か訴えるというか何かを含んでいるという訳でも無さそうなので、ただただ音楽の流れに身を任せて聴くのがいいかと思います。

 

だからこの曲はこの演奏家じゃないと、みたいな事も関係ないと思います。ここでのピアノのユボー以下、素晴らしい演奏を繰り広げています。

 

 

「第2集」は「ヴァイオリン・ソナタ第1番」から始まりますが、この曲はフォーレが30代で書き、その成功によって音楽家として道が開けた重要な作品です。

 

フランス人作曲家の「ヴァイオリン・ソナタ」と言えばフランクの名曲がありますが、この曲はその数年前に描かれています。

 

フランクがどちらかというとドイツ寄りのカチッとした感じの作りなのに対し、フォーレはもう感覚の塊のような音楽です。一瞬一瞬表情が変わっていくような音楽。同じ若い頃の作品だけに雰囲気は「ピアノ四重奏曲」に似ています。

 

次の「ヴァイオリン・ソナタ第2番」は70代の作品。流石にこなれているというか感性豊かながら音楽の密度が増した感じ。「第1番」が4つの楽章だったのに対し「第2番」は3つという構成もそれを助長しています。

 

第2楽章などドイツ音楽のように切々と訴えたりしない所が返ってお洒落な感じ。この楽章を載せようと思ったのですが、このCD音源のものが見つかりませんでした、しかし私の大好きなグリュミオーが弾いている音源があったのでそれで第2楽章です。

 

さっき、こういう音楽では演奏者は誰でもいいような事を書いてしまいましたが、間違いでした。グリュミオーの音はやっぱり違うと思い知らされました。

 

 

今回の試聴で一番注目していたのが「弦楽四重奏曲」。

 

何と言ってもドビュッシーの大傑作があるので、同じフランス人であるフォーレにも期待します。

 

ドビュッシーは剣道でいきなり面を取られたような衝撃的な開始の仕方でしたが、フランクはずっと大人の音楽です。この曲はフォーレが亡くなる80歳の時に書かれています。

 

第1楽章を少し聴いただけで、これは名曲なんじゃなかろうか、と感じます。どこかベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲に通じるものさえ感じます。

 

これまで、ちょっと聴き流しという感じで聴いていたのが、ここに来てじっと耳を傾けて聴きたくなりました。

 

全体としてかなり挑戦的な音楽だったように思います。面白かった。

 

そして最後が「ピアノ三重奏曲」。これは「弦楽四重奏曲」の一年前に書かれていますが、もしかしたらフォーレはこれが最後と思って書いたのでは、と思うほどの力作になっています。

 

こうなるともうフォーレを感性の音楽と片付けることは出来ません。ベートーヴェンは「ピアノ・ソナタ”ハンマー・クラヴィーア”」で一旦総括をしていますが、それに似たものを感じます。

 

ここまで聴いてきて印象に残ったのは、やはりというか晩年のフォーレが今までの総括をしたような「ピアノ三重奏曲」と、その後に書いた「弦楽四重奏曲」でした。

 

「ピアノ三重奏曲」を「ハンマー・クラヴィーア」に例えましたが、同じように例えるなら「弦楽四重奏曲」はベートーヴェン最後の「ピアノ・ソナタ第32番」でしょうか。

 

「弦楽四重奏曲」を載せておきます。