前回、ショルティ/シカゴのマーラー「交響曲第8番」を大絶賛したのですが、実は今はもうマーラーの「交響曲」は私にとって他所者の感じです。
単純にうるさいく感じます。特に純楽器のものは「第9番」であろうが積極的に聴きたいと思えなくなっています。(もちろん聴けば素晴らしかったりするのですが)
ただ、人の声が入ったものはまだ聴きたいと思えます。「第2番」「第4番」「第8番」「大地の歌」。
そしてそれ以上に身近になったのが「歌曲」です。
今回はクリスタ・ルートヴィヒの歌、カラヤン/ベルリン・フィルによるマーラーの「亡き子をしのぶ歌」と「リュッケルトの詩による5つの歌曲」が入ったレコード。
🔶クリスタ・ルードヴィヒ(アルト)
もう亡くなってしまいましたが、この人は文字通り世界中で引っ張りだこのアルトでした。私の歌手については詳しく無いのですが、この人の声だけは本当に素晴らしいと感じます。
アルトという音域も幸いして、刺々しいところが全く無い滑らかな歌声には本当に癒されます。
🔶「亡き子をしのぶ歌」
マーラーは結婚し、子供も生まれ、仕事も絶好調という時期にこんな不幸せな歌詞の歌曲を書いています。ロマンチストたる所以ですが、この曲が我が子の死を予言するとは思っても無かったでしょう。
クリスタの歌は予想通りの素晴らしさなんですが、特筆したいのはカラヤン/ベルリン・フィルの多彩で繊細な演奏。残念ながらショルティには求められない演奏です。
交響曲ではうるさく感じる管弦楽も歌曲になると、聴き疲れしない柔軟さを見せます。
マーラーは「歌曲」の人だと改めて思います。
最後の第5曲「こんな嵐の日には」では、主人公は嵐の中で子供たちの埋葬を見て感情を爆発させますが、やがて”子供たちは今は神の御手に守られている”と落ち着きを取り戻します。
🔶「リュッケルトの詩による5つの歌曲」
「亡き子」の前に直前に書かれています。
こちらの歌詞は自作ではなく、題名通りリュッケルトの詩によります。
1)私は世の中から姿を消した
2)美しさゆえに愛するのなら
3)私の歌をのぞき見しないで下さいね
4)僕は快い香りを吸い込んだ
5)真夜中に
歌詞といい音楽といい、リヒャルト・シュトラウスのこれも名曲「4つの最後の歌」の雰囲気に似ています。リヒャルト・シュトラウスの方がずっと後に書かれていますので、「4つの最後の歌」が似ているというのが正しいですが。
ここでもカラヤン/ベルリン・フィルが見事なサポートぶりを見せます。
最後の「真夜中に」です。
結局カラヤンはマーラーの交響曲では「第4番」「第5番」「第6番」「大地の歌」「第9番」の録音しか残せませんでしたが、歌曲の録音もこの2つだけに留まってしまいました。
残念なようで、これで十分という気もします。