スマホの画面に突然、小澤征爾さんの訃報のニュースが流れてきました。

 

 

正直、指揮者小澤征爾に関してはほとんど興味を持たずいましたが、著作の「ボクの音楽武者修行」は何度も読み返すほど面白かったし、ドキュメンタリーやインタビュー映像は熱心に観てます。

 

結果的に小澤征爾を世界的な指揮者にさせるというN響(NHK)にとっては皮肉な結果になった有名な「N響事件」は1962年に起こっているので、私の記憶にあるはずもありません。

 

この事件は三島由紀夫ら若手芸術家を巻き込む論争に発展し、ついにはN響が予定されていた小澤との演奏会を中止すると発表。

 

しかし小澤はオーケスト用の椅子が並べられたコンサート会場に一人出向き、指揮台場でオーケストラを待つ(当然ながらオーケストラは来ず仕舞い)という劇的なシーン(多分小澤サイドの演出)で決定的な幕切れを迎え、その足で小澤はアメリカへ飛び立ちます。

 

また、小澤征爾は日本の音楽評論家たちからそっぽを向かれ、音楽雑誌で彼のレコードはことごとく酷評されてきました。

 

そして私のような世代の音楽ファンはその影響をモロに受けてきた訳です。

 

だから「ニュー・イヤー・コンサート」のCDが百万枚も売れたというのは、全くの驚きでした。

 

そんな訳で小澤の熱心な聴き手とは言えませんが、それでも一つだけ印象的な演奏があります。

 

ソプラノにキャスリーン・バトルを迎えベルリン・フィルを指揮した、オルフの「カルミナ・ブラーナ」。

 

わざわざ日本の合唱団(晋友会合唱団)を連れてきた効果で、油気の全く無い合唱がこの曲の品位を一段上げていると思います。

 

この後、サイトウ・キネン・オーケストラを世界に発信していくことになる予兆だったような気がしますが、小澤さんに匹敵する海外でも通用する指揮者が現れていないのが残念です。

 

最後の2曲をお聴きください。

 

 

ご冥福をお祈り申し上げます。