歳を取ったせいか、音楽の聴き方が随分恣意的に、つまり自分勝手になってきたと思う。そうでもなければ、こんな文章など書けない。
こんなことを考えたのは、トスカニーニの「英雄」を聴いていて感じたことがあまりに空想的だったから。
今回の”私の視聴室”では、トスカニーニの「英雄」について思う所を書いてみようと思います。
ベートーヴェンの「英雄」なら、フルトヴェングラーが晩年ウィーン・フィルとのスタジオ録音が最高とだと思っています。
フルトヴェングラーに対する思いを簡単に書いておくと、そこまでのファンではありません。そもそもテンポを動かしすぎるのは好みではありませんし、有名なバイロイトの「第9」はフィナーレの急激なアッチェランドがあるが故に嫌いです。
しかしスタジオ録音ではテンポの動かし方には制御が加わり、その堂々とした演奏ぶりには言葉がありません。
トスカニーニの「英雄」をどう聴いたか?
1953年のおそらく放送録音だと思いますが、音質は十分鑑賞に耐えるものであることを断っておきます。もちろんモノラルです。
オーケストラの音の密度の濃さというのか訴える力が並大抵ではありません。
これを聴いている最中に思い浮かんだのが、「オーケストラがまるで自分の意思で弾いているかのようだ」ということ。
こうやって文字にしてみると自分の文章力の無さに愕然とします。吉田秀和さんなら核心を突いた言い方で喋ったり、書いたりするのに。
最後に演奏を貼り付けておきます。
オーケストラは実質的にトスカニーニのために編成されたNBC交響楽団。
トスカニーニ没後は解散して、確かシンフォニー・オブ・ジ・エアーという名前で再結成されますが長続きせずに解散しています。
ある指揮者と来日も果たしていますが、その時オーケストラの団員へのインタビューで同行指揮者について聞かれると、「名前も知らない。私たちはただマエストロの音楽をやるだけ」と答えたそうです。
ベルリン・フィルがある指揮者とリハーサルしていると、突然オーケストラの音が一変し、充実した響きになったそうです。原因は、フルトヴェングラーがステージの脇にちらっと顔を見せたから。
指揮者がオーケストラにそこまで影響を与える関係だからこその演奏というものは、確かにあると思います。
「英雄」のフィナーレ、第4楽章です。
トスカニーニの他の録音も聴いてみたくなりました。