今更ながら、カール・ベームという指揮者が気になっています。
1894年に生まれ1981年に亡くなっていますので、カラヤンの少し先輩に当たります。
ベームに対する評価を象徴する言葉があります。
”ベームは2度死んだ”というもので、一つは実際の死、そしてもう一つはレコード産業からの忘れられ方の早さを言ってます。
レコード産業は、もうとっくに亡くなっていたフルトヴェングラーのあちこちに眠っている放送録音を探し出し、これでもかと販売していますし、カラヤンは亡くなった後でもレコード産業の稼ぎ頭です。
それに比べベームは死んでしまったと同時に見向きもされなくなってしまいました。お金にうるさかったとも言われていますが、スター性の乏しさが仇になったのかも知れません。
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今日、youtubeで偶然ベームとウィーン・フィルによるワーグナーの前奏曲、序曲を聴いて、その素晴らしさにびっくりしたのでこの記事を書いている訳です。
偶然というのは、動画のサムネがマゼールのレコードに似た印象だったので、てっきりマゼールのものと思い込んでながら聴きを始めたところ、聞き覚えのあるマゼールとは全然違うのでびっくりして、改めてクレジットを見てベームだと分かった次第です。
動画では7曲聴けるので順に感想を書いていきます。
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🔶「リエンツィ」序曲
”この曲ってこんなに立派な曲だったっけ?”というベームの演奏に最初から驚かされます。
この曲ではクナッパーツブッシュとウィーン・フィルの印象が強いのですが、ベームはもちろんあそこまで個性的ではありません。しかし、本当に地に足が付いたという言葉がピッタリくるような落ち着いた佇まいが素晴らしい。
ベームはウィーン・フィルからの信頼を厚く受けた数少ない指揮者の一人ですが(反対にショルティなどはボロクソでした)、ここで聴ける彼らの自発性豊かな演奏は素晴らしいの一言です。
ベームの古い録音にベルリン・フィルとやったブラームスの「交響曲第1番」がありますが、”男のロマン”を感じさせる名演だったと思っていますが、それを彷彿とさせる演奏でもあります。
この一曲で参ってしまったようなものです。
🔶「パルシファル」第一幕への前奏曲
前曲でベームとウィーン・フィルの魔法にかかってしまったようなものですが、それにしてもこの曲の導入部の深い響きには引き込まれてしまいます。
曲自体が素晴らしいので誰の演奏で聴いてもそう感じるものですが、ベームのリハーサル映像で見られる通り、彼は本当に1小節毎に演奏を止めては文句を付け、自分が納得する響きが得られるまで根気よく文句を付け続けます。
自分たちの演奏に誇りを持つウィーン・フィルはこういう指揮者を嫌うはずなのですが、ベームとなると態度を和らげます。
実際に聴こえてくる演奏にはその痕跡は一才残らず、巨大な音楽として聴こえてきます。
🔶「さまよえるオランダ人」序曲
昔は大好きだったこの序曲ですが、今はそれほどでもありません。
ベームとウィーン・フィルの力強い演奏で聴いてもその印象は変わりませんでした。
🔶「ローエングリン」第1幕への前奏曲
反対にこの曲は大好きです。気に入ってます。
そして私にとって絶対という演奏が存在します。ケンペがドレスデン・シュターツカペレを振ったもの。
その黄金に輝く弦楽の響きに魅せれてしまってから、例えカラヤンであろうと誰であろうとそれを超える演奏に出会っていません。
このベームとウィーン・フィルもケンペを超えることはありませんでした。
もちろんケンペを忘れれば、立派な充実した演奏です。ウィーン・フィルの美しい弦楽の響きが堪能できます。
🔶「トリスタンとイゾルデ」第1幕への前奏曲
ベームはバイロイトでの公演のレコードがあって、この楽劇のレコードとしては一二を争う高評価を得ています。
この前奏曲の演奏としてはカラヤンとジェシー・ノーマンの共演ということで話題を呼んだザルツブルグでのライブ録音があって、正にカラヤン・マジックの現れのような素晴らしいものでした。オーケストラはウィーン・フィルでした。
カラヤンで聴くとこの曲は正に陶酔の音楽になっていましたが、ベームはちょっと違いました。
もちろん陶酔の音楽には違いありませんが、どこかシンフォニックな感じがあります。細部を疎かにしないベームならではということでしょうか。
🔶「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第一幕への前奏曲
どういう訳か冒頭から変に筋肉質の響きがします。
この曲はワーグナーとしては珍しく対位法を駆使した曲なので、ベームはそれに拘ったのかも知れません。
この曲はワーグナーの中でも特に有名だと思いますが、私はそれほど好きでは無いのでそれもあって覚めた聴き方になっているのかも知れません。
シンフォニックなワーグナーでした。
🔶「タンホイザー」序曲
この曲は晩年のカラヤンがウィーン・フィルとライブ録音した演奏で一変に印象が変わりました。
めちゃくちゃ感動した訳ですが、これまでこの曲を聴いてそこまで感動したことが無かったので、曲自体の評価が一気に高まりました。
さて、ベームとウィーン・フィルはどうでしょう?
恐らく異様な期待感に包まれていただろう観客を前にしたカラヤンとウィーン・フィルの演奏はその臨場感からして違うでしょうから、その分スタジオ録音のベームたちには分が悪い訳です。
1975年の来日時のブラームスの「交響曲第1番」の最終盤でベーム指揮のウィーン・フィルが突然火がついたかのように燃え上がった瞬間がありましたが、それはベームとウィーン・フィルの間で怒った奇跡のような瞬間でした。
「タンホイザー」序曲、ベームを聴いていても自然に頭の中で”カラヤンはこうだった”とついつい比較してしまうので、ベームとウィーン・フィルには大変申し訳ない聴き方になってしまいました。
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ベームとウィーン・フィルのワーグナーを聴いて、その感想を書いてきました。
見直してみると”これで褒めてるの?”と思わせるような書き方になってしまったという感はありますが、一言で言えば”素晴らしいワーグナーだった”です。
ベームというとウィーン・フィルとの一連のハイドンの交響曲などを楽しんでいますが、彼の真価はそんな所には無かったというのが最近の思いです。
ベームについては前述したように来日公演でのブラームスの名演をラジオの、これは生放送だったと思いますが、聴いて驚いた経験はあるものの、改めてベームという指揮者に注目したきっかけとなったのが、これは映画のように撮影されたものですが、モーツァルトの「フィガロの結婚」でした。
本当に素晴らしい。
今回、ワーグナーを聴いて改めてベームを色々聴き直してみたくなりました。