ウェーバーのオペラ「魔弾の射手」のことは知ってはいましたが、今までその序曲さえまともに聴いたことがありませんでした。

 

そして今更ながらその音楽の素晴らしさに驚いている所です。

 

よく図書館でCDを借りていますが、最近は知らないオペラを借りることが多く、マタチッチが指揮した「魔弾の射手」を借りてきたのがことの始め。

 

 

「魔弾の射手」はオペラの中でも”ジングシュピール(歌芝居)”と言われるもので、セリフが入ります。

 

セリフの入るオペラというとモーツァルトの「フィガロの結婚」が私の大のお気に入りなのですが、「フィガロの結婚」はイタリア語で歌われるのに対し、「魔弾の射手」はドイツ語であることが他とは少し違っています。

 

オペラは元々イタリア発祥の音楽で、それまでオペラはイタリア語で書かれるのが当たり前だったこと、またオペラに限らず音楽が宮廷のものであった時代からより広く人々に聴かれるようになったこともあって、「魔弾の射手」はドイツの人たちから絶大な支持を受けます。

 

ただドイツ語でオペラが書かれたのは、何も「魔弾の射手」が初めてということではありませんが何がそこまで人々を惹きつけるのでしょうか。

 

モーツァルトはもっと前にドイツ語で「魔笛」を書いていますし、少し前にはベートーヴェンが「フィデリオ」を書いていますが、それらはモーツァルトの、ベートーヴェンの傑作として知られるに留まっています。

 

「魔弾の射手」は森の中で繰り広げられる物語であることが、ドイツ人を惹きつける理由だそうです。

 

森に対する感覚は我々日本人とドイツ人ではかなり違うようです。そもそも山が多く森というと山というイメージがある日本と、それほど高低差の無いドイツの森とではアクセスの気軽さという点で大きく違うと書いてありました。

 

また、公有はもとより私有の森であってもある程度の整備が法律で定められているドイツでは、森は身近にあって日常から容易に離れられる避暑地のような感覚があるようで、ドイツ人は森を愛する国民性を持っているのでしょう。

 

”森=ドイツ”という心理を上手く活かした「魔弾の射手」ですが、もちろんそれだけでこうまで愛される訳もなく、音楽そのものが素晴らしいのです。

 

何かそんなにいいのか?

 

ワーグナーが用いたライトモチーフの先駆であったりと分かりやすい音楽になっていることはもちろんなのですが、その音楽の持つ”活気”が魅力の源だと思います。

 

ワクワクさせてくれる音楽は沢山ありますが、音楽を聴いて”活気”という言葉をイメージしたのは初めてです。

 

またそれまでのオペラの序曲は、これから始まる音楽への期待感を与える曲に過ぎなかったものを、序曲をオペラの予告編にしてしまいました。

 

今風に言えば”切り抜き”です。ウェーバーは”聴衆は序曲でオペラの全貌はあらかじめ知ることができる”と語っています。

 

本当に素晴らしい序曲です。

 

マタチッチもいいのですが、それを更に上回るのがカルロス・クライバーがドレスデン・シュターツカペレを指揮したもの。

 

 

確かこのレコードがクライバーのメジャー・デビューだったと思います。本当に活気のある演奏を聴かせてくれます。

 

序曲です。

 

 

こんな曲を今までちゃんと聴かずに放って置いたとは!

 

クラシック音楽という金脈にはまだまだ私が掘り当てていない宝がたくさん眠っていそうです。