少し前にシェーンベルクの「ヴァイオリン協奏曲」を分かるまで聴き続けたいと書いていますが、急に昔のことが思い出されて来ました。

 

小学生の時のこと、生徒から”悪魔先生”とその苗字をもじって呼ばれていた、女の音楽の先生がいました。今考えると今に至る音楽への興味を持つきっかけを与えてくれた恩人のような先生でしたね。

 

ともかく、その”悪魔先生”が音楽の授業で、オルガンをメチャメチャに弾いて、もしかしたらシェーンベルクの何かをちゃんと弾いたのかも知れません、現代音楽という言葉とシェーンベルクの名前を教えてくれたのでした。

 

しばらくの間、シェーンベルクは冗談の種になったものです。

 

今回の”私の視聴室”は、そんな”悪魔先生”の懐かしい思い出と感謝の意味を込めてシェーンベルクの「ピアノ協奏曲」を聴いてみたいと思います。

 

🔷「ピアノ協奏曲」 グールド、クラフト指揮、CBC交響楽団

 

 

「ヴィオリン協奏曲」と同じく、シェーンベルクがその晩年に”12音技法”を用いて書いた音楽。

 

「ヴァイオリン協奏曲」に比べるとまだ分かりやすい、つまり全体像が把握しやすい、音楽になっているように思います。

 

この曲は単一楽章で書かれていますが、その中で4つの部分に分かれます。シェーンベルクが4つの部分に対応する言葉を手稿に残していることが、この曲の理解に大いに役立ちます。

 

・アンダンテ ”穏やかな人生に、”

・モルトアレグロ ”突然憎しみがわき起こり、”

・アダージョ ”暗い状況がつくり出されるが、”

・ジョコーソモデラート ”しかし人生は何事も無く過ぎていく”

 

全曲で20分程度の短さなのも分かりやすいと感じる要因でしょう。「ヴァイオリン協奏曲」は40分近くありましたから。

 

”12音技法”という和声から逃れる究極の手段を用いて書かれた音楽に、こんな感情を、それも”憎しみ”という音楽には珍しい感情”持ち込もうとしたシェーンベルクの心情はどのようなものだったのでしょうか。

 

確かにそんなシェーンベルクの思いを感じさせる音楽になっています。

 

音楽に”楽しい”とか”悲しい”とかそういう情感以上の”思い”を加えたのはベートーヴェンが最初ですが、シェーンベルクの「ピアノ協奏曲」は確かに作曲者の”思い”が込められている音楽になっています。

 

音楽は”古典”、”ロマン派”、”後期ロマン派”という流れの中で、音そのものの響きを重要視する方向に変わっていったと考えていますが、シェーンベルクの音楽はその先に行っています。

 

音の響きの向こう側にあるものを届けようとする音楽です。

 

シャーンベルクにおけるグールドの解釈がどんなものなのか判断する力は私にはありませんが、クラフトの指揮共に面白く聴けました。