”私の視聴室”で”バッハの素晴らしさ”という題名で書くのはこれで4回目になります。

 

前回「ロ短調ミサ」を聴きながら、300年も前に書かれた曲が今も聴き継がれている不思議さを感じていました。

 

宇宙が誕生して130億年以上というスケールから見れば、300年など一瞬の出来事、人生も一瞬。

 

そんな事を考えながら聴くバッハの音楽からは”音楽は永遠”という言葉が聞こえてきそうです。

 

バッハの音楽の素晴らしさを言いたかったのですが、分かりにくかったでしょうか。

 

バッハは対位法の名手であり、フーガの素晴らしさは誰もが認める所だと思います。そのバッハがあえて「フーガの技法」として世に問うた意欲作が本曲ですが、なぜか未完のまま出版されています。

 

そして出版された楽譜は30部しか売れなかったそうです。マーラーなら”100年も経てばこの曲の良さが分かるさ”とでも言ったかも知れません。

 

🔷バッハ「フーガの技法」 グスタフ・レオンハルト

 

 

バッハはこの曲の前に、フリードリヒ大王から与えられたフーガ主題に基づく「音楽の捧げもの」という素晴らしいフーガ曲集を書いていますが、この「フーガの技法」のフーガ主題は大王のものと似てなくもなく、というより大王の主題に触発されて着想したものかも知れません。

 

とにかく晩年のバッハが渾身の力を込めて書いたものであることは間違いがありません。

 

 

この主題を反転させたり逆行させたりしながら、幾つものフーガが書き連ねられた曲集は、その良さがパッと分かるようなものではありませんが、不思議と聴く者を惹きつけます。

 

このレコードはグスタフ・レオンハルトがチェンバロで演奏していますが、実はバッハは楽器指定をしておらず、色々な研究者があーでもないこーでもないと自説を書いたりしています。その中にあってレオンハルトは”この曲はチェンバロ以外で弾いてはいけない”とまで言い切っています。

 

レオンハルトのチェンバロの素朴な音色を聴いていると、確かにそうだなあと納得させられてしまいます。

 

レオンハルトのチェンバロの響きは遠く300年前から響いてくるかのようです。

 

音楽の専門家でも無い限り、そのフーガが何声なのかとか、主題がどう変形されて使われているか等は気にしなくてもいいかと思います。

 

レオンハルトのチェンバロに導かれるまま、その響きに浸ることをお勧めします。

 

この音楽をムードミュージックのように聴くのはバッハへの冒涜と言われるかも知れませんが、部屋を暗めの照明だけにしてお酒を片手に聴くということもあっていいかと思います。

 

実は今、そうやって聴いています。レコード2枚分たっぷり楽しめそうです。

 

やっぱり素晴らしいですね、バッハ。