最近、聴きたいと思う音楽の幅が狭くなったなあと感じています。

 

CDが登場した時、それまで悩まされていたレコードのパチパチ音から解放されるという喜びでCDもたくさん聴いて来ました。

 

確かにCDの音は良いとは思うのですが、やっぱり何か足りない。

 

単なるノスタルジーだけでなく、確かにレコードにはその”何か”があります。そしていつしかレコード中心の聴き方に戻っていました。

 

聴く音楽の幅が狭くなったのはそれも原因です。元々CDに比べ所有しているレコードの数は少なく、そこから選んでいる上に”もう「シェラザード」のような音楽はいいかな”という思いが重なって益々狭くなって来ています。

 

今回の”私の視聴室”もブルックナーの「交響曲第9番」で、手持ちレコードも当然ながら古い録音ばかり。

 

ただ、最近レコードプレーヤのカートリッジを交換したばかりなので、新たにレコードを聴き直してみ流という楽しみがあります。聴き比べは次の3枚のレコードです。

 

・ワルター/コロンビア交響楽団 録音年情報なし

・バレンボイム/シカゴ交響楽団 1975年

・ジュリーニ/シカゴ交響楽団 1976年

 

🔷ワルター/コロンビア交響楽団

 

 

録音年代ははっきりしませんが、コロンビア響とのものなので1960年前後だと思います。ジャケットに詳細な録音データを記載するようになったのは、フルトヴェングラーの放送録音があちらこちらから出始めた1970年台のことでしたか。

 

コロンビア交響楽団は常設オーケストラではなく、その都度集めらる臨時編成のオーケストラですが、他の常設オーケストラから腕ききを集めてくるので腕前は確かです。

 

この録音当時はまだブルックナーの交響曲に対する認知度は低かったのでは無いかと思えますが、ワルターは「第4番「「第7番」あたりも録音していたはず。

 

ワルターのレコード、金管がうるさく、弦楽器が冴えない印象でちょっと残念でした。

 

これはワルターの思いとは裏腹にオーケストラの限界なのかも知れません。ワルターが本領を発揮したのはニューヨーク・フィルやウィーン・フィルだったのでは無いでしょうか。

 

コロンビア響との数々の録音は、ビヴァリーヒルズの高級住宅街で悠々自適に余生を過ごしていたワルターをレコード会社が専属オケを用意するからと説き伏せて行われたものということが思い出されてしまいました。

 

否定的な書き方になってしまいましたが、この曲は未完成ながらブルックナーの中でも群を抜いて素晴らしい交響曲で、曲自体の素晴らしさは確実に伝わってきます。

 

最後、ワルターは聴くべきは第三楽章だと言わんばかりの力の入りようで、オーケストラもそれに十分応えます。

 

🔷バレンボイム/シカゴ交響楽団 1975年

 

 

バレンボイムの指揮は単なるピアニストの二足わらじではなく、指揮への取り組みは早くから行われています。

 

昔の音楽雑誌では”将来フルトヴェングラーの後継者が生まれるとしたら、それはバレンボイムだろう”とまで書かれています。

 

最近画面で見たバレンボイムはもうすっかりおじいさんで、ヨボヨボと指揮台に向かう姿が痛々しく思えたものです。

 

このジャケットに映るバレンボイムは当然ながら若く、血気盛んという感じです。

 

ワルターに比べると随分ゆっくりたっぷりとした指揮ぶりです。最初のクライマックスでナーレの金管の咆哮がちっともうるさくならないのは、さすがシカゴ卿。弦楽器もしっかり響かせ好調な出だしですが、この曲の持つ何か別世界に連れて行かれるような感じはあまりしません。ワルターにはそれを感じました。

 

曲が静かになるところでテンポを落とすのはフルトヴェングラー譲りなのでしょうが、こういうことをするとブルックナーの良さがどこかに行ってしまいます。

 

シカゴ交響楽団は指揮者によりその表情を変えるところがあって、音楽監督であったショルティ指揮のもので感心した録音はあまりありませんが、バレンボイムの元ではベルリン・フィルを思わせるような充実した響きを聴かせています。

 

ブルックナーは「交響曲第7番」を領主に、「第8番」を皇帝に献呈し、「第9番」は完成の暁には神に献呈するつもりだったそうです。

 

この曲の第三楽章には確かにそうだろうと思わせるものがあり、誰の指揮であれ、この曲の白眉となります。

 

もちろんバレンボイムもそうです。思い入れたっぷりの録音でしたが、残念ながらこの曲の録音のトップを争うところまでは届いていません。

 

🔷ジュリーニ/シカゴ交響楽団 1976年

 

 

バレンボイムと同じシカゴ交響楽団なので、ジュリーニの元どんな響きを聴かせるか興味が湧くところです。

 

ジュリーニは後にウィーン・フィルとこの曲を再録していますが、当時ジュリーニはシカゴ響とマーラー、ブルックナー、ドヴォルザークなどの最後の交響曲をシリーズもののように録音して話題になりました。

 

ジュリーニもバレンボイムよりも遅いと感じるほどのゆったりとしたテンポで始めますが、その響きは暗く静かです。そしてリズムを強調しているので強奏部分での切り込みが素晴らしい。

 

そしてシカゴ響の素晴らしい金管群もバレンボイムの時より重く鋭さもある響きを聴かせます。何よりの違いはバレンボイムの時は気が付かなかった低弦の雄弁さ。

 

ジュリーニはバレンボイムがゆっくりした部分でテンポを落としたのに対し、強奏部分で少しテンポを上げますが、この方が自然に感じます。またベースとなる遅いテンポも聴いているうちに気にならなくなっていました。

 

今回試聴した3枚の中では、始めから本命視していましたが、それは正しかったようです。

 

第二楽章の切り込みも素晴らしく、第三楽章の深みのある響きにはいつまでも浸っていたいと思わされます。

 

素晴らしい演奏でした。