1985年、カラヤンは満を持してモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」の録音を行いました。

 

カラヤンのやり方は、これが昔気質の音楽ファンの眉をひそませるショーマンシップの現れですが、話題性の高いオペラなどの公演の前に同じスタッフでレコードを出して(公演のリハーサルも兼ねた)それから公演に臨みます。

 

この「ドン・ジョバンニ」は公演前から話題になりました。

 

公演を終えた直後、取り巻き(カラヤンの周りには取り巻きが多かった)が”素晴らしい演奏でした”と声をかけますが、カラヤンが返した言葉に驚きました。

 

”フルトヴェングラーは認めんさ”

 

フルトヴェングラーは当時勢いを増してきたカラヤンへの敵対心が強く、決してウィーン・フィルやベルリン・フィルの指揮台に立たせませんでした。カラヤンの名前を口にすることさえ嫌い、”カーの奴”と呼んでいたそうです。

 

カラヤンはカラヤンで、フルトヴェングラーがウィーン・フィルなどで公演した日の夕方だったか、翌日に全く同じプログラムでウィーン交響楽団とのコンサートを行い、これにはフルトヴェングラーも頭をかかえたそうです。

 

カラヤンもベルリン・フィルの音楽監督時代、自分と違う何かを持っていそうな指揮者は絶対にベルリン・フィルの指揮台には立たせなかった。バーンスタインがいい例です。

 

余談ですが、バーンスタインとベルリン・フィルの一期一会のマーラーの第9番は、カラヤンの采配の及ばないところのわずかな間隙を突いて実現されたものです。

 

またまた余談ですが、つい最近ティレーマンがウィーン・フィルを振った「エロイカ」の公演動画を観ました。

 

とてもロマンティックな演奏で、ティレーマンは”ここにこんな美しい響きがあるよ”とでも言うかのようにオーケストラの響きを磨き上げます。圧巻は第四楽章フィナーレ直前にオーボエが物悲しい旋律を奏でる部分での思い切ったテンポの落とし方。音楽が止まってしまうかのように思えました。そしてテンポを戻してフィナーレ。

 

ウィーンの聴衆は大歓声を浴びせていましたが、私にはそう素晴らしい演奏とも思えませんでした。ベートーヴェンに必須と思っている流れ、勢いを阻害してしまうテンポの扱いがどうにも恣意的に感じられます。フルトヴェングラーのテンポの扱いは音楽の流れに則った自然なものでした。

 

さて、ベートーヴェンに必須な流れと勢い。

 

これを全く文句の付けようが無い形で表したレコードがあります。

 

 

カラヤンが1960年代にベルリン・フィルとベートーヴェンの序曲を録音したレコード。このレコードには、「エグモント序曲」「コリオラン序曲」「フィデリオ序曲」「レオノーレ序曲第3番」「アテネの廃墟序曲」が収録されています。

 

改めてベートーヴェンの音楽の素晴らしさに驚かされます。

 

カラヤンがフルトヴェングラー亡き後、1954年にベルリン・フィル終身首席指揮者(ベルリン・フィルから首席指揮者の要請があった時、カラヤンが終身の条件を付けた)になって10年余り、完全に脱フルトヴェングラーを成し遂げたベルリン・フィルから凄まじいまでの響きを引き出しています。

 

小澤征爾が”カラヤン先生には持って生まれたディレクションがある”と語っています。”ディレクション”とは小澤征爾に言わせれば音楽の流れ、この音楽はこういう風に流れていくという感覚的なものだそうです。そして自身のことについて”僕なんかはそのディレクションを考えて作らないといけない”とも言っていました。

 

取り上げたレコードから「レオノーレ序曲第3番」です。

 

 

”カラヤンはフルトヴェングラーを超えたか?”

 

カラヤンが亡くなってもう30年以上が経ちます。今の人たちにとってはかつて我々世代がフルトヴェングラーを見ているような感じなのでしょうね。

 

そういう意味では”フルトヴェングラーを超えた”のでは無いでしょうか。