レコードやCDへの楽曲の収め方には大きくふた通りあります。

 

まだモーツァルトやベートーヴェンがクラシックの主流だった時代、一枚のレコードに複数の作曲家の楽曲というのが当たり前でした。

 

交響曲なら片面が「運命」、もう片面に「未完成」というのは鉄板の組み合わせでしたし、小品ならロッシーニ、スッペ、等々の曲を集めたものといった具合。

 

これが一枚のレコードには一人の作曲家というように変わっていったのは、恐らくブルックナーやマーラーといった長い交響曲が盛んに録音されるようになったためだと思います。

 

片面でせいぜい30分しか収録できないレコードでは2枚使ってやっと一曲ですから。

 

そういう状況がレコード愛好家の価値観を変えてしまって、例えばベートーヴェンのレコードに他の作曲家のものが合わさることが悪趣味みたいになりました。

 

今回取り上げるレコードはカラヤンがモーツァルト、ベートーヴェン、リヒャルト・シュトラウスを1枚に収めたレコードですが、昔風の”寄せ集め”とは一線を画すものです。

 

 

   モーツァルト:弦楽のためのアダージョとフーガ

   ベートーヴェン:大フーガ

   リヒャルト・シュトラウス:メタモルフォーゼン

 

   ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(弦楽部)

   指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン

 

ジャケット裏の解説にこのレコードの意味を”対位法へのオマージュ”と説明していて、上手いことを言うものだと感心しました、(私は”センスの良い”が精一杯でした)

 

洋楽で使われる”コンセプト・アルバム”という言葉がピッタリです。

 

バロック〜古典派〜ロマン派という流れの中で音楽は対位法的なホモフォニーから、主旋律と伴奏といったモノフォニーへと変わっていきました。

 

対位法を駆使した名曲を集めたというところでしょう。

 

🔸モーツァルト:アダージョとフーガ

 

   元は1783年の「2台のピアノのためのフーガ」に、後にモーツァルトをこれを弦

   楽合奏用に編曲し、その時アダージョを書き加えています。完成は1788年の6月

   で、その年の10月に最後の3つの交響曲を書いています。

 

   短い曲ですが、前半のアダージョは、その悲劇的な情感には、「これがモーツァル

   ト?」と思わせます。

   後半のフーガでは、「レクイエム」のような響きさえ聴こえてきます。

 

🔸ベートーヴェン:大フーガ

 

   この曲が弦楽四重奏第13番のフィナーレであったことは有名です。しかし20分に

   もなるフィナーレは全体のバランスや演奏者の体力的にも異常な長さで、結局別のも

   のに置き換えられています。

 

   そして一つの曲「大フーガ」となったのですが、すでに初演の時、”中国語のように

   不可解だ”とされ、19世紀を通して理解されず”邪道に堕ちたもの、矛盾にみちたも

   の、ひびきの悪いもの”と評されてきました。

 

   曲は7つの部分から出来、色々な楽想がない混ぜになったような渋い音楽ですが、ベ

   ートーヴェンはすでに彼岸を見据えているかのようです。

 

   「弦楽四重奏曲第14番」を予感させる音楽になっています。

 

   カラヤンは弦楽合奏版(後の人の編曲)で演奏しています。

 

🔸リヒャルト・シュトラウス:メタモルフォーゼン

 

   このアルバムのメインと言える曲。

 

   1945年、第二次世界大戦末期、ドイツが敗れる直前に書かれています。

 

   ”23の独奏弦楽器のための習作”という副題があって(習作というのは作曲者の洒落

   でしょう)、以下の構成を指定しています。

 

     ヴァイオリン 10

     ヴィオラ    5

     チェロ     5

     コントラバス  3

 

   シュトラウスはドイツの敗戦による喪失感をこの曲全体に漂わせながら、精緻な音の

   綾を聴かせます。

 

   若気の至りのような「死と変容」とは全く異質な、中身のいっぱい詰まった充実した

   響きが聴けます。

 

   最後の方で、チェロとコントラバスがひそやかにベートーヴェンの「交響曲第3番」

   の第二楽章冒頭の旋律を奏でますが、その部分にシュトラウスは”IN MEMORIAM”

          と書いています。

 

   これは”追悼する”という意味で、ここに”これで連綿と続いたドイツ音楽も終わり

   だ”という想いを込めたと言われています。

 

カラヤンとベルリン・フィル弦楽部の演奏はどれも素晴らしいですが、白眉はやっぱりシュトラウスでしょう。

 

アンサンブルの見事さは言うに及ばず、カラヤンが時に打ち込むような激しさを見せる演奏になっています。

 

こういうアルバムこそ”センスが良い”と言えるのでは無いでしょうか。

 

ジャケットも素晴らしい。