最近なぜかモーツァルトのことが気になっています。
はっきり言って今までは、曲を聴いては「いいなあ」と思うものの、例えば「ジュピター」の最終楽章の壮大さは感じるものの、どうしても後続のベートーヴェンやブルックナーといった人たちのものと比べてしまったりしていました。
こういう聴き方は邪道だと思い始めた訳です。
私たちはもう後期ロマン派や新ウィーン楽派まで知ってしまっているので、それらを全く忘れてモーツァルトを聴くことは出来ませんが、せめてもっと真摯な気持ちで聴かないといけないと思った次第。
モーツァルトの生涯をざっと振り返ってみましょう。
幼年期:1756年〜1768年(〜11歳)
3歳の時からチェンバロを弾き、5歳の時には作曲(現存する最古のもの)したというモ
ーツァルト。親子でザルツブルグ大司教に使える。父に連れられてのヨーロッパ各地で
の演奏は評判を呼んだが、よりよい就職先を求めての就職活動には失敗している。
巡礼と音楽教育:1769年〜1776年(12歳〜19歳)
イタリア旅行の際、システィーナ礼拝堂では門外不出の秘曲とされていたグレゴリオ・
アレグリの9声部の「ミゼレーレ」を聴き、暗譜で書き記している。ボローニャでは作
曲者で教師のマルティーニ神父から対位法やポリフォニーの技法を学んだ。
当時モーツァルトに対する称賛に比してその音楽に対する報酬はわずかなものであっ
た。
マンハイム時代:1777年〜1780年(20歳〜23歳)
ザルツブルグでの職を辞してマンハイムへ移る。モーツァルトは従妹のマリアと関係を
持ち、次にアイロジア・ウェーバーに恋し結婚の計画を立てるが父親は猛烈に反対し、
モーツァルトにパリ行きを命ずる。
パリでは受け入れ先の公爵夫人から冷遇されている。そして同行した母親が亡くなって
いる。
ウィーン時代:1781年〜1788年(24歳〜31歳)
ザルツブルグ大司教と衝突し、解雇される。フリーの音楽家としてウィーンでの定住を
決める。この時期に父の反対を押し切り、コンスタンツェ・ヴェーバーと結婚。この時
期に父親が死去。
この頃から自ら主催の演奏会ようにピアノ協奏曲の作曲が相次ぐ。1785年「ハイド
ン・セット」、1786年「フィガロの結婚」、1787年「ドン・ジョバンニ」を
次々と書いているが、この頃から借金依頼を頻繁に行うようになる。
1788年には最後の3大交響曲が書かれている。
晩年:1789年〜1791年(32歳〜35歳)
ピアニストとしての人気はあったものの、モーツァルト自身の品行が悪く、浪費癖に加
えて、高級な仕事に恵まれなかったことから、収入が減り借金を求める手紙が多数残さ
れている。
「コシ・ファン・トゥッテ」「ピアノ協奏曲第26番」「ピアノ協奏曲第27番」「皇
帝ティートの慈悲」「魔笛」を書いている。「レクイエム」未完のまま亡くなる。
いかがです?
小さい頃から神童、神童ともてはやされながらも、父親が亡くなった途端、徐々に生活が破綻していき若死にしてしまった一人の音楽家がそこに居ます。
モーツァルトは父親への手紙に「音楽が次から次へと頭に浮かんできます」と書いていたり、またその自筆譜に手直しの跡が無いことから作曲に苦労しなかったようなイメージがありますが、モーツァルトは亡くなる3年前の手紙に、
「ヨーロッパ中の宮廷を周遊していた小さな男の子だったころから、特別な才能の持ち主
だた、同じことを言われ続けています。目隠しさせられて演奏させられたことおあります
し、ありとあらゆる試験をやらされました。こうしたことは、長い時間かけて練習すれ
ば、簡単にできるようになります。僕が幸運に恵まれていることは認めますが、作曲はま
るっきり別の問題です。僕ほど作曲に長い時間と膨大な思考を注いできた人はほかに一人
もいません。有名な巨匠の作品は全て念入りに研究しました。作曲家であるということは
精力的な思考と何時間にも及ぶ努力を意味するのです。」
ちょっと将棋の藤井聡太7冠を思い起こしてしまいます。
藤井7冠は詰将棋選手権で小学生の頃からプロ棋士たち相手に連覇を続けた才能の持ち主
ですが、その対局時に長考に沈む姿には、モーツァルトが言う「自分に才能があるのは認
めるが、それを活かすためには人並み外れた努力があるのです」と同じものを感じます。
モーツァルトが完成したのは「クラリネット協奏曲」(レクイエムは未完)でした。
この前からお試し視聴してきた「ベルリン・フィル ディジタルコンサート」を継続購入したばかりですが、そこにベルリン・フィルの首席クラリネット奏者フックスさんがソロを取ったコンサートがありましたので視聴してみます。
2018年4月27日
モーツァルト クラリネット協奏曲
独奏:ヴェンツェル・フックス
指揮:アラン・ギルバート
🎵(視聴中)
この曲は亡くなる年の11月に書かれています。すでにモーツァルトは体調を崩し、薬
を服用するようになっていますが、この11月から症状が悪化し、レクイエムを書いて
いる最中の11月20日には病床に臥し、12月5日に亡くなっています。
第2楽章でのクラリネットのモノローグは決してウェットではなく、澄み切った美しさ
に溢れています。モーツァルトの当時の心情を思うと涙を誘われてしまいそうです。
フックスさんのクラリネットはオーケストラの中に座っている時から感心していまし
た。彼の特に弱音の美しさには耳を奪われてきましたが、この第2楽章ではその美しい
弱音が堪能できます。
ベルリン・フィルも身内の独奏者ということでどこかアットホームな感じが良かった。