そーなんですか?シェーンベルクって現

                       代音楽の代表のように思ってました。

 そもそも現代音楽という言い方自体

    変ですが、十二音技法という作曲法

    を完成させたことでそう思われるん

    ですね。

    しかし、それ以前は非常にロマンティ

    ックな曲を書いているですよ。

 

                    どんな曲なんですか?

 

 今回紹介する「浄夜」は”ふとした気の

    迷いから見知らぬ男の子供を身籠った女が、

    別の愛しく思う男に出会い、月夜の夜に

    そのことを告白する”という結構衝撃的な

    詩を音楽化したもので、目眩くような音楽

    になっています。

 

                    聴いてみたいです。

 

 

 1974年にカラヤンがシェーンベルク、

    ベルク、ヴェーベルンの録音を3枚組で

    出した時は、驚きました。

 

                    どうしてですか?ベルクやヴェーベルン

                       ていう人達は?

 

 やっぱりシェーンベルクって現代音楽と

    いうイメージでしたから。カラヤンは彼ら

    の音楽を一気に親しみやすいものに変えて

    しまいました。

    ベルクとヴェーベルンはシェーンベルクの

    教え子たちですが、二人の個性は全く違い

    ます。いずれ紹介したいですね。

 

        

 日本語訳は須藤千尋さんのブログからの

    借用です。

    詩は5つの節に分かれていて、曲もそれ   

    に従って進んでいきます。

 

    では第1節    

    ”二人の人間が葉の落ちた寒々とした林苑を

    歩んでいる。

    月は歩みをともにし、彼らは月に見入る。

    一片の雲さえこの天の光を曇らさずにいる。

    その光のなかに黒い枝が達している。

    女の声が語る。”

    

    曲が突然プチッと途切れますが、元々全曲

    約30分を続けて演奏しているのを、詩に

    合わせて切っています

 

                    意味深な出だしですね。

 

 

                    導入部ですね。どこかで聴いたような響

                       き、リヒャルト・シュトラウスの「死と

                       変容」みたい。

 

 カラヤンの流麗な演奏は、この曲をぐっと

    身近に感じさせますよね。それでもこの曲

    の持つ冷んやりした感じは失っていない。

      

    第2節

    ”私は子供を宿しています。でもあなたの

    子供ではありません。

    私は罪を背負ってあなたのお側を歩いて

    います。

    私はひどい過ちを犯してしまったのです。

    もはや幸福があるとは思いませんでしたが

    でもどうしても思いを絶てなかったのです、

    生きる張り合い、母親の喜びと義務を。

    それで思い切って身を委ねてしまったのです。

    身震いしながらも、私は見知らぬ人に我が身

    を任せてしまい、そんな自分を祝福さえした

    のです。

    それなのに、今になって、人生は復讐したの

    です。

    今になって私はあなたと、ああ、あなたと

    巡り合ったのです。”

 

                     いきなり難題を突き出されました。

 

 

                     曲調も激しくなってきました。

 

 第3節

    ”彼女はこわばった足取りで歩く。

    彼女は空を見上げる。

    月はともに歩む。

    彼女の黒い眼差しは光のなかに溢れる。”

 

                      ドキドキですね。

 

                     

                      女の人の覚悟が現れた音楽のように

                         聞こえました。

 第4節

    ”男の声が語る。

    君の授かった子供をきみの魂の重荷に

    してはならない。

    見たまえ、この天地万物がなんと澄んだ

    光を放っていることか。

    きみは僕とともに冷たい海の上を渡って

    いく、だが特別な暖かさがきらきら輝き

    ながら、きみから僕へ、僕からきみへと

    行き交う。

    この温かみが見知らぬ子を浄めるだろう。

    きみはその子を僕のため、僕の子として

    産んでおくれ。

    きみはこのかた焼きを僕に運び、きみは

    僕をも子供にしてしまったのだ。”

 

                      ちょっと浅はかな考えじゃないです

                         かね。

 

 まあそう言わずに。

    シェーンベルクはこの節の音楽に重心を

    置いたことは曲の長さが一番長く、全体

    の1/3を占めることでも分かります。

 

 

                      確かに美しいことは美しいんです

                         が、ちょっと物足りない。

 

 確かに、さっき名前が出たリヒャルト・

    シュトラウスならもっと甘美な音楽を書いた

    でしょうから。

    でも作曲家は誰だれ風の音楽を書こうなんて

    思いませんからね。これが個性ですし、その

    個性を味わえばいいかと思いますよ。

 

    第5節

    ”彼は彼女の厚い腰に手を回し、

    彼らぼ吐息は微風のなかで口づけをかわす。

    二人の人間が明るく高い夜空のなかを歩いて

    いく”

   

                      完全に惚れちゃってますね。

 

 

 

                      色々言いましたが、もっとシェーン

                         ベルクを聴いてみたくなりました。

 

 十二音技法に入る前の作品として有名な

    交響詩「ペレアスとメリザンド」があり

    ますので、いつか紹介しましよう。

 

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 この記事が新たな出会いのきっかけとなれば幸いです。