『かなり長い間クラシックをメインに音楽をきいてきて、ちょっと振り返ってみたくなりました。レコード棚を眺めて思い出のレコードやCDのことを書いていきます』

 

第5回はカザルスのバッハ「無伴奏チェロ組曲」です。録音は1936年から1939年にかけて行われています。

・レコード番号:GR-2317〜19

 

このレコードはクラシックを聴いているという以上、「無伴奏チェロ組曲」は持っておかないといけないという、半分強迫観念のようなものに駆られて買ったもの。それなりの量のレコードが手元に置く安心感とでも言うのでしょうか。

 

13歳のカザルス少年が父親と”何か良いチェロの作品は無いものか”とバルセロナの楽器店を巡っていた時に、偶然バッハの「6つの無伴奏チェロ組曲」の楽譜を見つけ、それを人々に聴かせるため12年かけて研究したことは有名な話です。

 

カザルスはチェロを独奏楽器の一つとして決定的に確立した人としても知られています。「賢明な運指法で、不細工な聴き苦しい音はみんな姿を消した。それはみんなカザルスのおかげである。」とフォイヤーマンというチェリストが語っています。

 

カザルス少年が「無伴奏チェロ組曲」の楽譜に出会った頃、バッハの音楽は一部を除いては、むしろ冷たい学究的なものと考えられていたそうで、そこに詩情があろうとは全く考えられていなかったそうです。

 

カザルスは、「わたしが組曲の研究をつぎつぎと進めていくにつれて、その偉大さと美の未知の世界が前にひらけてきた。その長い間の勉強の過程で経験した感動は、芸術家としてのわたしの生涯のうちで、最も純粋で、最も強烈なものであった」と書き残しています。

 

正直に書くと、私はまだ「無伴奏チェロ組曲」の良さが分かっていません。バッハの「無伴奏チェロ組曲」のような曲は、何回も聴いて細部まで覚えてしまって初めて音楽として聴けるような気がします。同じバッハでも「管弦楽組曲」のように初めて聴いて音楽の流れが分かりやすい曲とは違います。

 

そんなことを思いながら、今、レコードを第1番から順に聴いています。カザルスのこの曲に潜んでいる詩情を抉り出そうとしているかのような激しい演奏ぶりに、バッハを聴いているのかカザルスを聴いているのか次第に分からなくなってきています。カザルスは時にテンポが揺れ、音が掠れることをものともせず突き進んでいきます。この曲の伝道師としての責務を全うしようとしているかのようです。

 

”精神性”という表現は嫌いなので、”心を込めた演奏”だと思います。

 

最後に参考までに動画を紹介しておこうと思いますが、第1番から第6番までどれを聴いてもカザルスの姿勢は変わらないので、どれでも良いようなものですが、悩んだ結果「第6番」にしました。この曲はチェロの一番高い弦(A弦)の上にもう一本(E弦)を追加した5弦の楽器(バッハ考案の楽器だが廃れている)のために書かれているので、通常のチェロで演奏するとハイポジションを多用することになり演奏が難しい曲です。バッハの表現がチェロの限界を超えてしまったと言えます。当然今は通常のチェロで演奏されます。

 

同じ音を異なる弦で弾いて音色の変化の効果を出した冒頭は聴いたとこがあるかも知れません。

 

最後までお付き合い、ありがとうございました。

また、別のレコードでお会いしましょう。