今日の一枚(61)〜指揮者色々、フルトヴェングラーの狂気
ヴィルムヘルム・フルトヴェングラー、20世紀を代表する指揮者としてはカラヤンとこの人でしょう しかしレコードに積極的だったカラヤンに対し、フルトヴェングラーは1954年に亡くなっていますから、活躍していた時期は今のようにレコードが一般的になる前の時代のこと、彼はスタジオ録音に臨むようになったのは最晩年、その新譜を聴いていたという日本人は数える程だったはず フルトヴェングラーに興味を持つようになったきっかけは人それぞれでしょうが、私の場合は”ウラニアのエロイカ”と呼ばれる1944年にウィーン・フィルと行ったベートーヴェンの「交響曲第3番”英雄”」の公開放送録音のレコードでした。ウラニアというレーベルから出されていたのでそう呼ばれます この演奏を聴いたのは高校生の頃、当時はベートーヴェンなどすっ飛ばしてブルックナーだ、マーラーだと興味はそちらの方へ向かっていた時、もちろん「英雄」は知ってましたが、これは衝撃でした フルトヴェングラーがクライマックスに向けてテンポを上げていく様に訳も分からず興奮したものです(反対に弱くなる部分ではグッとテンポを落とす) 久しぶりに聴いてみたくなって取り出したのはALtusというレーベルがリマスターしたCD。見間違えるような音質の良さにまず驚かさ、モノラルであることを忘れてしまうほどです。それによりグッと音の厚みが増しています 第2楽章の極端に遅いテンポの中でどこまでも沈み込んでいく演奏にこの録音が行われた1944年という戦禍の中でのものだったんだと改めて感じます フルトヴェングラーは”演奏会場、観客、状況に応じて演奏は変わらなくてはいけない”という考えの指揮者でした 雪崩込むように始まる第4楽章はフルトヴェングラーの自在なテンポの扱いが堪能できます、この楽章はベートーヴェンの得意中の得意、変奏曲の形式が採られますが、フルトヴェングラーは変奏の度にテンポが変動させていきます 後半に入って全合奏が一旦静まり、静かにオーボエのソロが出るところの間合いなど神がかってさえいます そして大詰めのコーダのなりふり構わぬ興奮、凄いです。たまにはこういう演奏を聴いて初心に帰るのもいいですよね ”初心に帰る”と書いたのはその後何十年の音楽を聴き続ける中で、この演奏を真正面から褒めることに戸惑いを感じるようになってしまったからで、現在は同じフルトヴェングラーの”英雄”なら後のウィーン・フィルとのスタジオ録音のどっしと構えた演奏の方を選びます また、フルトヴェングラー自身も生前このレコードの発売を許可していませんでした。発売され日の目を見るようになったのは死後、未亡人が発売を求めたためでした そしてそこにフルトヴェングラーの凄さの一端が記されていたことは確かで、その反響もあってレコード各社はフルトヴェングラーの眠っていた公開放送音源を掘り起こしてはレコードにして売り出すようになっていきます。勝戦国であるソ連がフルトヴェングラーの音源テープを多量に持ち帰っていたものが、レコード化され話題にもなりました その中の一枚に1943年に公開録音されたベルリン・フィルとのベートーヴェン「交響曲第7番」がありますが、その凄絶までの演奏には驚かれると思います ここにはもうベートーヴェンの姿は見えません。益々激しさを増す戦争に対するフルトヴェングラーの怒りが込められているかのようです 第一楽章の出だしからもうそれが感じられ、続く響きはまるでベルリオーズの「幻想交響曲」のようですし、第二楽章の異常なまでの昂まりはマーラーの「交響曲第9番」のフィナーレを思い起こさせます 単純なリズムの繰り返しである第三楽章でさえフルトヴェングラーは手綱を緩めません、この楽章でこんな表現が出来たというのが信じられないくらいです 第四楽章は本来音楽の高まりと共に聴き手の心が高揚し感動に導かれるといったものですが、フルトヴェングラーの怒りは頂点に達たかのように、凄惨の極みを感じさせる音楽に変貌してしまっています このブログの表題は最初単にフルトヴェングラーで終わりでしたが、この「第7番」を聴いて(初めて聴きました)、”の狂気”と付け加えたものです 「第3番”英雄”」はまだしも、「第7番」を初めて聴く方には絶対に不適です、曲の理解を間違えかねません。同じフルトヴェングラーなら1950年代のウィーン・フィルとのスタジオ録音盤、あるいはカラヤン/ベルリン・フィルなどで聴くべきでしょう しかし、一度は聴いておきたい演奏です