そう。
あなたはいつも幸せであっていい。
創造のために。
望みを叶えるために。
幸せでいないといけないんじゃない。
創造できるまでは。
望みが叶うまでは。
幸せになってはいけないんじゃない。
あなたはいつも、幸せであっていい存在。
嬉しいな、喜びとか。
ほっとする、安心とか。
穏やかだな、静けさとか。
満たされてる、平安とか。
有り難いな、感激とか。
どんな時も、幸せを見出せる力が備わっている存在。
怖がりな頭はね。
外側が完璧に整ってなければ安心できないって、
能天気に幸せでいたら怖い目に遭うかもしれないって、
気が抜けなくて、粗探しに余念がなくて。
喜びの中に、安心の中に、静けさの中に、平安の中に、感謝の中にいさせないように急き立てるんだけど。
あなたが幸せから離れている時。
そんな時こそ思い出してね。
本当は、その恐れに従わなくていいんだってこと。
不安になっても大丈夫。
不安になろうがどうなろうが。
それでも本当は内なる幸せと創造性、その愛の中にいて。
頭を超えた大いなる力に守られていて。
何も問題なんてないってこと。
もしも頭から見て問題に見える状況に陥っていたとしても、
必ず最善の流れで解決に向かっていくってこと。
そのことに気づいていれば大丈夫。
それを忘れて。
問題を探して、問題にして、問題に突っ込んでいく。
恐れてる頭にあなたもつられて、考えも行動も全てが恐れに染まっていく。
そうして問題が大きく大きくなっていく。
それでは到底幸せでなんていられないし。
「こんな問題があるのに幸せでなんていられない」って。
幸せでいることがだめなこと、悪いこと、現実逃避に思えて、自ら幸せを遠ざけちゃうから。
そうだね、たとえば。
不安になったり焦ったり、疑ったり怖くなったら。
「って頭が言ってる」
って思ってみるのはどう?
「私じゃなくて、頭がそう言ってる。ふー、困ったものだわ。」って。
その恐れは、
目に映るもの。
過去のデータ。
自分の判断。
そういった狭い狭い範囲でしか見えてなくて。
本当はそれが起こった別の意味があるかもしれないのに。
本当は全く問題なんかじゃないかもしれないのに。
本当はそこに愛があるかもしれないのに。
頭が勝手に判断して、勝手に問題にして、勝手に怖がって右往左往してるってこと、いっぱいあるんだよ。
これまでも本当はいっぱいいっぱいあったんだよ。
本当はあなたが受け取れる愛がたっくさんあったんだよ。
わたしからは全部見えてて知ってるから。
これからはあなたに贈られた愛や奇跡をたっくさん受け取ってほしいなって思うから。
恐れからくる頭の判断をかわして、
わたしや創造さんに委ねてほしいな。
そのために。
「私じゃなくて、頭がそう言ってる。ふー、困ったものだわ。」
って、恐れをかわして。
嬉しいな、喜びとか。
ほっとする、安心とか。
穏やかだな、静けさとか。
満ち足りてる、平安とか。
有り難いな、感激とか。
幸せの中に入っていこう。
もちろんね、
ひとしきり怒りを出すこととか。
たくさん泣くこととか。
その瞬間の安心がそこにあるならば、
ネガティブはダメとか言わずに怒ったり泣いたりしたらいいんだよ。
自分のために。
自分の安心のために。
その瞬間の幸せをあなたが選んでいいんだからね。
そう、あなたはいつも幸せを選んでいい。
「私じゃなくて、頭がそう言ってる。しょうがないなぁ。」
頭も悪者じゃないからね、そうやって恐れを受け止めかわしていこう。
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