久しぶりの投稿となります。
Y子さんのブログを全部拝読しておりませんので、少し遡って拝読させて頂きました。
2015年9月4日にあげられていた記事を読み
いくつか訂正させていただきます。
まず、孝蔵さんのお姉さんが、
孝蔵さんの、亡くなられた奥様H子さんの
お子様2人の名義の茨城の家の鍵を返さない、
とあります。
事実としては、
2014年12月に伯父が亡くなって、
2015年4月に鍵は弁護士さんに渡しております。
2015年9月のY子さんのブログ内容で
鍵を返してあげてください、
と書かれるのはおかしな事です。
(茨城の漢字も茨木となっていますが、これはただ単に間違えただけだと思いますが)
この茨城県牛久の家は、
孝蔵さんが亡き後、奥様名義に書き換えました。
(伯母が手続きなどしております)
その後、奥様のご病気が悪くなられて、
亡くなる前にお子様2人に書き換えています。
孫名義の家に、
伯父伯母は亡くなるまでその家に住んでおりました。
(毎年固定資産税も払っています。)
伯母が先に旅立ち、
伯父1人では生活出来ない状態でしたので
孝蔵さんのお姉さんが介護のために
牛久の家に住むこととなりました。
孝蔵さんが存命の時も、
「姉ちゃんがいつ泊まってもいいように」と
一部屋、お姉さん用の部屋もありましたし
私物も多少置いてありましたが、
伯母の49日なども済み、少し落ち着いてから、
その頃住んでいた千葉の自宅から着替えや
必要なものを、日帰りで取りに行ったそうです。
お姉さんが1人でずっと介護していました。
その後、叔父の状態も思わしく無くなり
医療付きの施設に移りましたが、
施設へも頻繁に面会に行っております。
元気付けようと、明るく振る舞い、
面会に行っておりましたが、
楽しそうに面会にきていた、などと
コメントで書かれたこともありました……
暗い顔で会いに行って喜ぶのでしょうか?
辛い悲しい顔をしていたら、
会いに来られた方は不安になりませんか?
酷い話です。
伯父が亡くなって、2〜3ヶ月後、
お子様たちが鍵を返してほしいと言うことは
無いと思います。
現に、その後数年、
家は売られることも無く放置されていました。
鍵は弁護士さんに預けましたが、
お姉さんは、両親や自分の私物も
片付ける時間も僅かしか与えられませんでした。
伯父が亡くなるまで25年ほど住んでいた自宅です。
両親の私物もかなりあります。
49日が済み、
これから少しずつ片付けようとしていた矢先、
鍵を返さなければならなくなりました。
お子様達の意思ではありません。。。
ブログにはお子様の年齢も書かれておりますが、
20歳と23歳ではなく、
22歳と25歳(翌月の誕生日で26歳ですが)です。
お子様達がわざわざ急いで鍵を返してほしいという
理由もありません。
そこに住むわけでも無く、
売るわけでもありませんでした。
調べていくうちに、
色々分かってきたことがありますが、
今はまだ書けないこともあります。
なぜ、事情や状況を全く知り得ないY子さんが
鍵を返してあげてくださいと
書かれるのでしょうか。。。
そして、
Y子さんとRなさんに送られたという私物の目録。
これも、お姉さんとその弁護士は送っておりません。
何しろ、牛久の家の鍵を取り上げられ
戻れなくされてしまいましたから。。。
そしてY子さんのものと思われるものは、
深大寺に住んでいる時に孝蔵さん指示のもと
伯父伯母がY子さんにお送りしております。
写真、アルバムなどは
孝蔵さんが写っているものもあるため
送ってはいなかったようですが、
3人で写っている写真は切り取られていたそうです。
お子様の写真は、会いに来たら渡してやらないと、
この言葉は私も孝蔵さんから聞いています。
写真やアルバムは、
孝蔵さんのお姉さんも
Rなさんが取りにくるなら渡してあげたいと
思っていました。
もちろん、酷いことをされたY子さんには
お会いしたくありません。
1人で来てほしいと言いました。
そして、送った場合はRなさんの元にきちんと
届くかどうかも不安でしたし、
姪っ子に会いたい、
という気持ちもあったのでしょう。
ですが、
ゆっくり片付ける間も無く電気ガスも止められ
Rなさんのアルバムなどは、
牛久の家に置いたままの状態で、
お姉さんは千葉の家に戻ることとなりました。
Y子さんが私物、私物と書いていらっしゃいますが、
深大寺の家から牛久へ引っ越しの際、
私物と思われるものは持って行っておりません。
電化製品なども、広島から伯父伯母が
持ってきてまだ使えそうなものだけを
持って行っております。
牛久の家には、H子さんのものはいくつか
残っていたようですが、Y子さんのものを保管する
意味もありません。
青いスコップ、の話も何度も出てきていますが、
弁護士さんから青いスコップはありますか?と
聞かれて、牛久の家のお庭に子供達が遊んだままに
なったスコップはありますけど、と答えたそうです。
子供2人のおもちゃのバケツとスコップでした。
きっと弁護士さんはスコップはあります、とだけ
お伝えしたのでしょう。
青いスコップが
深大寺の家に残されていたのであれば
残念ながら深大寺で処分されたのでしょう。。。
会いにきたら、子供に渡したいアルバム、写真のみ
牛久へ持ってきております。
NO.54までの私物の目録、
誰がそんなものを送ったのでしょうか?
存在するのであれば、どこの弁護士事務所
親族の誰の指示であるのか、公開を希望いたします。
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