さて、孝蔵さんがカタカナをとことん使いたがらなかった、とY子さんブログで書かれております。
法華クラブの働いていたバーのカタカナの店名もまともに言えなかった、とか、広島で開店させた喫茶店のドアに掛けるOpen、Closeの札も開店閉店にしてくれと言われた、とか。
曲に関しては、日本語を大切に、英語やカタカナ文字は使わないよう拘りを持っておりましたが、普段はそんなこと全くありませんでした。
孝蔵さんの話で、一つ思い出したことがありますので、書かせて頂きたいと思います。
私の両親は、新婚旅行で九州を1週間ほど回っております。鹿児島や熊本、大分、福岡などを旅行したそうです。熊本に行った時に、水俣の孝蔵さんの実家にも寄っています。
孝蔵さんが、小学5〜6年の頃だったそうですが、
東京から来た私の両親は、孝蔵さんにはとても都会人に見えたそうです。
孝蔵さん「新婚旅行で水俣の家にも寄ったんだけど、二人ともスラーっとしてて、お洒落でさ、シティボーイ、シティガールって感じで格好良かったんだよね〜」
そのシティボーイ、シティガール、の言い方が可笑しくて、私はゲラゲラ笑ってしまって、孝蔵さんもつられて、二人でゲラゲラ笑ったことを思い出しました。
私のアルバイトしていたカフェでは、グァバジュースを飲むことが多く、(3回に1回はコーラだったと思いますが)、そんなに味が気に入ったのかなぁ、とアルバイト帰りに家に送ってくれる車の中で聞いたことがあります。
夏子「今日もグァバジュースだったね。」
孝蔵さん「注文聞かれて、グァバジュースって言うと、ちょっと知ってるな!って、感じがして格好良くない?」
との答え。
今から35年ほど前ですので、カフェでもグァバジュースを扱っているところは少なかったかもしれません。
味も好きだったとは思いますが、コーラばかりでも飽きてしまうし、コーヒーは飲まないし、ちょっとお洒落な雰囲気のするグァバジュースにハマってしまったのかもしれません。
孝蔵さんとの会話はいつもついつい笑顔になってしまいました。
孝蔵さんの父親が映画館を7館経営していたため、孝蔵さんは子供の頃から洋画も観ていましたし、加山雄三さんのエレキの若大将にも憧れていました。カタカナや英語がダメなことはありません。
自分の働いていたカタカナの店名をまともに言えたことが無い、とは本当に失礼な話です。