そして、

中学2年の4月

母が、

持病の気管支拡張症を、

悪化させて

自宅で大量吐血

岡山県の日赤分院に緊急入院


授業中に父親から

学校に1本の電話が

『今から、日赤本院に転院になる

付いて来るか、お留守番するか』

父に聞かれて

私は、迷わずに

付いて行くと即答

学校を、早退した


肺内でも、出血していたため

逆向きになったら死ぬよ!って

言われながら、

入院先の、日赤分院から

日赤の本院へ転院


緊急手術を、2回。

ICUでの日々

左肺の下半分を切除


何とか一命を取り留めた


  父親の教育方針


我が家は、元々母が

気管支拡張症の持病を、

抱えており

病弱だったので

常日頃から、

病気についての話を

父とはよくしていました。


父自身も、

両親が共に

病弱で、

若い時から

いつ死ぬかという

不安を、抱えて

苦労してきた人なので。


父自身は元気で、病気知らずな人でしたが。


若い頃から、

親の病気と向き合って来て

辛かったけど

良い人生経験になった事もあり

父は、病気に関して

私が子供だからといって

隠し事をしたりせずに

正直に話してくれてました。


語弊を、恐れずに言うなら

母は、自分が病弱でありながら

病気に関しては無知でした


ま、

だらからこそ

生きられた

というのもあります


そして、

メンタルが相当弱い

確かに、

メンタルが強い人ばかりではないけれど


どのくらい弱いかと言うと

例えば、

高熱があってしんどかったとして

自身が何度って認識してないうちは

それでも

しんどいなりに

シャキッとしてる

それなのに、

体温測って、

39度あるとか

インフルエンザ

って言った瞬間から

ふにゃふにゃってなってしまう。


だから、

母には本当の事を言えない。

本当は、重症だったとしても

それは言えない。

言ってしまったが最後

気力を、失くしてしまうから。


そんな、母の生死をさ迷うのと

前後して、母の姪っ子

母が父と結婚するまで

姉のところで

日中、姉夫婦がお店を営業してる間

姪っ子2人の子守をしてた

だから、母にとっては

お腹を、痛めて産んではないけれど

娘と変わらない存在の

姪っ子の姉の方が

新婚早々に、

白血病になった


当時の白血病は重病で

小さいながらに

私も、

白血病がどれほど重病か

認識してた。

父も、母には

言えないと判断して

私には、正直に話すけど

母には内緒やでと。


だから、母には

胃潰瘍って事に。

姪っ子は幸いにも

ドナーがすぐに見つかり

骨髄移植を、受ける事が出来た。


ま、移植の後遺症?白血病の後遺症?

でこの後、長い間苦しむ事になるけど。

それは、また、別のお話。


母には、姪っ子の白血病を、

隠し通した。


また、姪っ子にも

母の吐血、緊急手術は

当面の間、互いに隠された。


母の命と向き合う。

2度の緊急手術で

生死をさ迷う中。


病院のエレベーターの中で

父は、私に

どこまでやったら

母さんに生きてて欲しいか?と聞いた。


つまり、

人口呼吸器を、繋いで

目覚めなくても

喋れなくても

ただ、機械のお陰で

生かされてるだけでも

生きてて欲しいのか?と。


言い方は、

悪いかも知れませんが

その状態を、

私にとって母は生きてると言えるのか?


生きてて欲しい!!

その気持ちに変わりは

ないけれど。

私にとっての

母が生きてるとは

意識があって、

言葉を交わせること。


いわゆる

植物状態では、

私にとっての、生きてるではない。


なぜ、父がそこまで

私に問うたのか

なぜ、私がそう答えたのか


それは、

ちょうど同じ頃

ICUにいたある夫婦を、

目の当たりにしたから。


そのご夫婦も

どのくらいICUに居たのかは

不明だけれど

少なくとも、私達家族よりは長い


ご主人がICUで、

奥様が付き添い

ご主人がICUで植物状態だったのです


なんとなく目に入った光景

生きてて欲しいけど

あーゆ状態になってまでは

頑張らんで良いと思った。


だって本人も苦しいけど

家族も苦しむから。


何とか、回復して退院できた。


それからも、

日常的に父とは

命との向き合い方について

幾度となく

話して来た。


冗談ぽく

もし、自分が癌にとかで

余命宣告を、受ける状態になった時

隠さずに話して欲しいと。

隠されるのは嫌と。


この命との向き合い方が

後々に、凄く役に立つのはまた別のお話。


そんな訳で、

私の中学時代は

いじめと言えば、いじめだけど。

私は、いじめと認めたくないと!!

頑なに、抵抗していた。

そして、母の命のとの向きあった

良くも悪くも、

大暗黒時代なのです。


そーゆう訳で

大概の病気に関しては

あまり動揺することがない

私ですが

たった1つ例外がある

それは、

骨折

これだけは

どうしても無理。

癌とか言われても

案外冷静なのに、

骨折だけは

ゾクゾク、ゾワゾワして

すぐにお手洗いに行きたくなるぐらい。

私の中での

唯一のトラウマ


小学校6年生の時に

父が山で落ちて

足の骨を骨折したのです。

その時、

私は1人でお留守番。

母が、連絡を、

受けて病院へ駆け付けた。

母も気が動転していたのか

手術が終わらんことには

連絡のしょうもなかったのかも

知れませんが…。

出ていったきり

暗くなっても帰って来ないし

電話連絡もない。

もー心配で、心配で

不安と恐怖を、味わった訳です。

それ以来、『骨折』の単語

聞くだけで

ゾワゾワ、ゾクゾクして

無理。

逃げ出したい!!ってなります。


でも、今振り替えると

辛く苦しかったけど

この3年間があったからこそ

強くなれたし、今の私がいる。


そう思ったら

この苦しい大暗黒時代にも

感謝しなくてはいけないと

今なら思える。

そう思える私にこの2年半で変われた。


最後までお読み頂きありがとうございます。