「而今」

生かさせて頂いていることに感謝有るのみ

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とある方から教えを頂きました

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お釈迦様ご誕生日おめでとうございます㊗️

 

インド北部で栄えた釈迦族の長・浄飯王(じょうぼんのう)

后のマーヤー夫人には、永らく子供が恵まれませんでした。

ところがあるとき、待望の世継ぎが授かりました。

月満ち、初産だった夫人は故郷の隣国へ里帰りしました。

その帰途にあったルンビニーの花園で突如産氣づいた夫人は、

後の仏陀、釈迦牟尼となるシッダルタ太子を出産されます。

 

このとき太子は東西南北に7歩ずつ歩まれて、

右手で天を、左手で大地を指さしてこう宣言されたといわれます。

 

天上天下 唯我独尊 三界皆苦 吾当安此

天上にも地上にも、

人間〈我〉のみの独尊あり。

人生〈三界〉はみな苦なり。

吾〈釈迦〉当に此を安んずべし。

 

いかにお釈迦さまでも、生まれてすぐに歩かれたり、話されたりするはずはありません。

この話は何を示唆しているのでしょうか。

 

まず、東西南北に7歩ずつ歩まれたとは、6より1多い「7」に意味があります。

私たちの生命は「六道」という迷いの世界を輪廻している、と仏教では教えられています。

 

「六道」とは「六界」ともいわれ、次の6つの迷界のことです。

○地獄界──最も苦しみの激しい世界

○餓鬼界──餓鬼道ともいう。

食べものも飲み物も皆、

炎となって食べられず

飲まれもせず、

飢えと渇きで苦しむ世界

○畜生界──犬や猫、動物の世界。

弱肉強食の境界で、

常に不安におびえている世界

○修羅界──絶えない争いのために苦しむ闘争の世界

○人間界──苦楽相半ばしている、我々の生きている世界

○天上界──六道の中では楽しみの多い世界だが、

迷界に違いなく、悲しみもあり寿命もある

 

7歩歩まれたとは、この6つの迷界(苦しみの世界)から1歩、出て離れることを表します。

 

すべての人に「人間に生まれた目的は、この六道を出離して真の幸福になることである」

と示されたのです。これが「7歩」の意味です。

 

続けてお釈迦さまは、「天上天下 唯我独尊」と仰います。

 

一般に「天上天下唯我独尊」と聞きますと

「ただ自分(釈迦)だけが偉い」という意味で、

いばって言われたのだと思われていますが、そうではありません。

 

「実るほど 頭の下がる 稲穂かな」と言われます。

本当に偉い人はふんぞり返って「俺は偉いんだ」などと言わずに腰が低く謙虚なものです。

それなのに世界三大聖人のトップに挙げられるお釈迦さまのような方が、

自ら“オレは偉いんだ”などと言われるでしょうか。

これは「唯我独尊」の「我」をどう理解するかで意味が変わってきます。

「我」は釈迦だけではなく、私たち人間のこと。

 

釈迦自身を表す「われ」は、この後の四句目「吾当安此」の「吾」ですから、

ここでお釈迦さまは、

「ただ我々人間にのみ成し得る、たった一つの尊い目的(独尊)がある」と仰っているのです。

我々人間の命に差別はなく、皆、平等に尊いということですね。

 

丸山角志