悠心館道場 館長 庄田 幸生先生の書かれた冊子からの抜粋です。貯徳の叶子さんからシェア頂きました☆素晴らしいお話☆お楽しみくださいねo(^-^)o
→→→合気道の先生の書いた「運のよくなる話」

「災難に遭うときは災難に遭うがよろしい。
病気になれば、患えばよろしい。
それが、災難をよける方法」良寛和尚
これは、自然体で生きるのがいいということです。
この年になって悟ったことは、修行はしない方がいいのです。

本当の修行というのは、滝に打たれたり、座禅や断食をすることではなく、
日常生活の中で心を磨いていくことだと思うのです。
修行に特別の方法という物はない。
早い話、日々楽しく、明るく、おだやかに生きることが、最善の修行です。
ただ日常生活のひとつひとつで、力を抜く工夫はしている。

対人関係で、人とぶつからないようにしたり、
そうすると相手の力とぶつからないから、
合気道の技が軽くなり、キレがよくなる。
リラックスはすべてのことを上達させるコツです。
そのままでいいんです。
そのままで。

王様の子が、がむしゃらに王様になろうとはしませんよね。
王様の子どもは王様の子どもらしく振る舞うだけで、
大きくなったら王様になるんです。

放っておいたらなるものをなろうとするのは無理がある。
だから、人間も神様になろうと思って修行するのではなく、
神様らしくふるまっているだけでいいんだと思うんです。
私もそういうことがわからず、遠回りな修行をしました。

神様は、腹も立てないし、始終おだやかなんです。
それをマネすればいい。
だkら心の中に邪念があって、腹が立っていても、
そういうふうにおだやかさを装っていけば、
それがそのうち本物となって神様になるんじゃないですか。
これが簡単でまちがいのない修行だと思うんですが、どう思いますか?

学生時代にカヌーをしていたボクのお弟子さんが、
ある時、岩にカヌーをぶつけて激流にのまれたそうです。
彼は泳げなかったので、もがいてもがいて、やっと命からがら岸にだどりついた。
そうしたら、大破したカヌーもそこにたどりついたんだそう。
もがいた自分も、川の流れに逆らわずに身を任せたカヌーも同じ所に流れ着いた。

人生も同じとちゃいまっか!
あくせく生きても、流れに身を任せても同じ!
生きてるだけで尊い。
なりゆきに身を任せる。
吹く風に身を任せる。
そんな生き方もあるということ覚えておいてください。

ぼくには、こうあらねばならない。という心があります。
自分で決めたことができないと
自己嫌悪に陥ったり、卑屈になったり。
でもボクは神の子なんだから、絶対に自分を悪く思ってはいけないんです。

神様がボクを作ってくれたんです。
ぼくの出来が悪いとしたら、
それはぼくのせいじゃなく、神様のせいということになる。
そのまま。そのままでいいんです。
小林正観さんという人が、「ありがとう」というと良いことが起きると言い、
また斉藤一人さんが、「ついてる」というとツイてる人生が展開すると言うことを教えてくれています。
これは本当に、ぼくも習慣にしてから、ものごとの流れが実によくなっています。

さらに正観さんは、五戒といって、
「不平、不満、愚痴、泣き言、悪口、文句」
を言わないようにと教えています。
そして、「嬉しい、楽しい、幸せ、愛してる、大好き、ありがとう、ついてる」
という7つの言葉をいつも言う習慣をつけようと言っています。

五戒は、試しに言ってみて下さい。
本当に流れが悪くなります。
だから、決して言わないことです。
心に思うのは仕方ないとして、言わないことです。
このテーマは、運のよくなる話ですが、その運は誰が運んでくるのか。

兄弟だったり、友人だったり、会社の同僚だったり…
それは、すべてあなたの周りの人なんです。
そのどこかの運を運んでくる道に障害があったら、
それだけ運の入ってくる間口が狭くなります。

運をよくするのは、簡単なんです。
周りの人を大切にする、それだけです。
だから、周りの人を粗末にしていて、
運がよくなるはずがないんです。
嫌いな人がいてもいい。
気にくわんヤツがいてもいい、決して五戒を言わないこと。
そいつにあたったり、ひっかかったりしないことです。
「よける、さける、逃げる」
力があれば、受け止める。
そう対処すればいい。

世の中に特別なものはない。
ただ当たり前のことを淡々と行っていく。
ただそれだけで運がよくなっていくのだと思います。