物語として背景を説明するストーリーである前半部分と

気づきを与えてくれる後半部分。

ごくごく薄い本だ。


ボクは、この本を読んで初めて、

人生は、自分が作るものなのだと知った。

それまで、人生っていうものは、

誕生日や親が決まっているように、

そのすべてが決められているものだと思っていた。

お金がないことも、彼女がいないこともそうだし、

生まれた環境の中から、

ボク自身の学歴さえ決まっているものだと思っていた。

パッとしない毎日のパッとしない人生。


でも、それはすべて、ボク自身の心が決めていたのかもしれない。

だって、少なくとも彼女と過ごしていた日々は、

そのときのボクにとって、過不足がない生活だったはずだ。

それが彼女と別れたとたん、ボクの人生の何もかもが、

失われたように感じるなんて。

それこそ、現実的なプラスマイナスから考えたら、

彼女以外のマイナスは何もなかったはずだったのだから。

会社の給料が減ったことを理由に、

仕事を投げやりにしたのも、ボク自身だ。

仕事への夢や希望を、ボク自身が持たなかっただけだ。

給料や賞与は、そんなボク自身の考えを反映したにすぎないのかもしれない。


そしてボクは、自分の人生を自分で作ることを決めた。

どうせ、いまのボクには何もない。

失うものがないのなら、信じてみてもいい。

少なくとも、この本を読み終えた瞬間に、ボクは胸の高揚感を感じることができた。

これを信じてみてもいいんじゃないだろうか。


そしてボクは、自分の人生を作る旅へと出かけることにした。

それは、これまでボクがしたどんな経験よりも、

すばらしく素敵なアドベンチャーだった。

その本を初めて手に取ったとき、

ボクにはその本がとてもきれいに見えた。

なんともいえない、喜びがこみ上げた。

いま思い返せば、それは波動とでもいえたのかもしれない。


夜、眠れなくなっていたボクは、

聖書を読んだり、お経を読んだりしていた。

だけれども、けっして心が落ち着いて、

眠りにつけることがなかった。


それなのに、『運命の貴族となるために』を手にしたとたん、

ふっと気が楽になったんだ。


わけもわからぬまま、

ページを開いた。

その主人公の様子というのは、

まさにボクそのもののようだった。


疲れ果て、絶望しつくした挙句、

立ち上がることも、寝ることすらできない。

主人公の姿に、そのままボクの姿を映した。


彼は、マスター、つまり

自分の人生を自分の力で支配できる者の存在を知り、

その知恵を学ぶのだ。


ボクは、不思議とその本を読んでいるうちに、

聖書やお経では得られなかった、

心の平安を感じた。

同時に、なんだか、久しぶりに、

力強い興奮を覚えはじめていた。


数年前まで、ボクは、ただのサラリーマンだった。

ただのっていうのは、“与えられた仕事をこなしてお金をもらうのがあたりまえ”

“給料さえもらえれば、それでいい”っていう意味で。

とりたてて、特技や才能があるわけではなかったので、

適当に働いて、適当にお金をもらって、そこそこの生活をしていくのが、

ボクの人生なんだろうなって思っていた。


あるとき、ボクは、4年間付き合っていた女の子にふられてしまった。

彼女は、そのすぐあとにもっと優秀な会社の優秀な人と結婚したっていう噂を聞いた。

きっと、ボクのそんな無気力さがいやだったんだろうと思う。


彼女にふらたとき、ボクはかなり落ち込んでいた。

適当に働くことも適当に遊ぶことも、

そこそこの生活をしていくことも、つらくてできなかった。

いま考えると、ちょっとしたウツ病に近いものがあったんだと思う。

毎日の仕事もあまり手につかなくなり、

会社もやすみがちになった。

悪いことはつづくもので、

会社の業績が悪化したことを理由に、

給料や賞与もなくなっていった。

金もない、愛する人もいない、未来も希望もない。

そんな、ないものばかりをいつも口にして嘆く毎日だった。


たしか半年くらい、そんな状態にいたときだったと思う。

そんなボクを心配して、大学時代の先輩が1冊の本をくれたんだ。

『運命の貴族となるために』(飛鳥新社)。


(現在は『マスターの教え』に改題)

ジョン マクドナルド, John McDonald, 山川 紘矢, 山川 亜希子
運命の貴族となるために



まさに、この1冊が、それからのボクを変えてくれた。

そして、ボクの人生を変えてくれたんだ。

ジョン マクドナルド, 山川 紘矢, 山川 亜希子
マスターの教え