Θ和尚こと田村:徳周です。
読んでいただいてありがとうございます。
2023年5月5日(金)当日、名古屋市内某所にてイベントのお手伝いをさせていただきました。
その折に感じたことです。
お手伝いの1つに「ライブイベント」がありました。
出演者はおよそ15歳~20代前後の女性ばかりです。
対してオーディエンスは様々で男女問わずイベントを楽しみに来られていました。
おそらく、そのイベントのオーディエンスで来られていたであろう、道行く「およそ10代後半」(主観です)と思われる女性をお見かけした時に感じたことです。
「どんなに一生懸命生きたり、楽しいことがあっても、『楽しかった記憶』も、『あれもこれも』死んだら全て無くなってしまう。」
(3次元ベースでのお話です。)
⇔
「今が盛り」とばかりに「咲き誇って」いても、やがて年老いて亡くなる、あるいは、図らずも若くして事故に遭う、病気になる、etc…。
と、あらためて思いました。
※今回は「どーせ死んでしまうのだから頑張って生きたって、真面目にちゃんと生きたって、しょーがなくね?」と言う話の方向ではないです。あしからず。
「人の一生」とは何なのだろう。
「生きている(「肉体」があり、「現世に存在している」という事実)」とは何なのだろう。
と。
宇宙や地球の歴史、はたまた、神様や、あるいは「おおいなる存在」から見れば、「人間の一生涯」など、「瞬きするほどの一瞬」。
そして常に「時」は「静かに流れる」のみ。
「神様」の代理の「番人」のように…。
人の一生とは
「人生は朝露の如し」
「夏の一夜の夢」
「儚い一夜の幻」
なのか。
道を行く「10代後半であろう女性」(主観です)をお見かけしてあらためて直観的に感じたことです。
「『人の一生』とは何なのだろう。」に決まった答えは無いと思いますし、また、お独りお独り違うと思いますし、各々が折に触れて「問い返して」いく事柄ではないかな、とも思います。
(そんなに考えなくとも「ドンズバ!!」と常にお答えできる方もおられるかと思いますが、それはそれで良しです。素晴らしい!)
「そんなこと考えてどうすんの?楽しいの?」と、おっしゃられる方もおられるやも知れませんが、「死」や「人生の終わり」は、どなたも「避け得ぬ」ことです。「死の瞬間」は思いがけないタイミングでやって来るやも知れません。その時、もし意識があったなら、「後悔」しないようにしたいです。そのために、深刻になることはないですが、たま~~~~~~~に意識してみると良いかもしれません。時間の使い方や、「生き方」に良い変化があり、イイことがあるかもです。
このことを誰かに伝えたくて、届く方にとどいて欲しくて書き記しました。
ここまで読んで下さってありがとうございます!!
ではまた次回。
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