いつもありがとうございます

映画監督ヤン・ヨンヒさんに
スポットを当てたドキュメンタリー

NHK ETV特集
オモニの島 わたしの故郷
タイトルだけ見て
韓国~😆って思って録画

そして見て衝撃~


私は何者なのかを問い続けながら
生きる在日朝鮮人2世
知っているようで知らない
在日の方の暮らしや心情

ヤン・ヨンヒさんは
主にドキュメンタリー映画を
撮っている監督さんです

以下家族のドキュメンタリー映画

「ディア・ピョンヤン」
「愛しのソナ」
「スープとイデオロギー」

朝鮮総連幹部の父親
済州島四・三事件の犠牲者の母親
 
そんな両親の元に育ちます

ドキュメンタリーでは
家族を撮っているが
「自分を知りたくて撮っている」
話されていました

一本の映画で世の中を変えられないが
一本の映画で考える瞬間
持ってもらえばとも


そんな監督の映画の中で
俳優を起用した映画があります



2012年公開映画「わたしのくに」


安藤サクラ
井浦新
ヤン・イクチュン等

Prime Videoはレンタル視聴可
私はまだ未視聴です不安


国家の分断により離ればなれに暮らす家族
病気治療を理由に兄が25年ぶりに日本へ

監督自身の実体験による在日家族の
価値観や生き方を描いた映画


この映画で、ヤン・イクチュンさんが
兄に同行した北の監視役で登場

北のスパイにならないかと兄に誘われ
その怒りを監視役にぶつけると
男は「あなたの嫌いなあの国で、
私もあなたの兄も死ぬまで生きる」と
言われるシーンなのですが

映画を見てないのに
「あー、それが北なのか」と



番組ではヤン・ヨンヒ監督の
生い立ちや何故カメラを持とうとしたか
そして、現在の姿までを紹介

日本の植民地支配だった頃
済州島から日本へ来た家族

1945年終戦後に
38度線で南北は別れ

在日朝鮮人も南北に別れ
父は北を選んだ

1954年から帰国事業が始まり
地上の楽園へと呼ばれた北朝鮮へ
多くの在日朝鮮人と家族が渡った
ヤン監督の兄らも自身の意志で北へ

クラシック、コーヒー、映画が
好きだった長男は日本に残ったが
将軍様の生誕記念行事の際に
長男も帰国させよと命令が
(栄光の帰国と言われたとか)

両親と日本に残ったヤン監督は


日本の民族学校へ通い
立派な朝鮮総連の人になれ
選ぶ権利はないと教育されます

学校の中では全体主義を学び
学校の外では個人主義を学ぶ

両親が北へ仕送りをすることで
兄らは生活出来てましたが
祖国・将軍様のおかげで
息子や孫は元気で暮らしてると
母親は口にしていたそうです


朝鮮大学までいき国語教諭になるも

父親の猛反対を振り切り

ドキュメンタリーを学ぶため

アメリカへ留学

(北で心を病んだ長男との再会が

影響しているようです)

留学後、ドキュメンタリーを撮り始め


息子を北に行かせたことを

後悔しているか父親に問います

父親は当時30代で見通しが甘かったと
後悔らしき発言をします

このドキュメンタリーの公開で
総連から謝罪文要求されます
(でも無視したそうですw)




生まれてもなく育ってもない

国の影響を受ける人生

2008年には入国禁止に

北朝鮮を描き公開する際に
みんなが腫れ物に触れるように
「本当に大丈夫ですか?」と

他国を描く時はそんな事聞かないのに

北を腫れ物扱いするのは
自分自身も腫れ物になるようだ
「わたしは腫れ物になりたくない」と



知ってる沢山のことを言えば

家族が何らかの犠牲になる

だからと言って止めますと言えない

正義感じゃないけど
残酷な決断でも(ドキュメンタリーを)続けたい


何故?母は頑なに北に忠誠を誓うのか


その謎は「済州島4・3事件」に



年老いた母にカメラを向けた

ドキュメンタリー

「スープとイデオロギー」


韓国済州島で公開された時の様子も

放送されました


自分らしく生きることは

簡単なことではない

ヤン・ヨンヒ監督の映画にも本にも

興味が沸きました