一ヶ月健診後

少ししてから自宅に帰ろうと思いました。


両親は『そんなすぐに帰らなくても好きなだけいればいい』とは言ってくれました。


夫が仕事をしているので

日中は、私一人になり

寂しい思いをするのではないか。と、両親は心配していましたが


両親も共働きの為

実家にいようが

自宅にいようが

 

一人の時間はあるし
 

どこにいようと

 

寂しく辛い思いは変わらない。と、思っていたので

 

帰ることにしました。









正直

この場所にいたくない。と、思ってしまって・・・





ここには

思菜との思い出がたくさんありすぎる。






どこにいようと思い出はあるのですが

もうすぐ生まれるから 


もうすぐ会えるから 

 

待った時間が色濃くて・・・





早めに産休に入り

実家で暮らして

どんどんお腹が大きくなって

早く生まれないかと毎日散歩をした


 

たくさん歩いた道路

 

一緒に行った店



もうすぐ会えるね。

たくさんお昼寝した実家のベット

一日一日楽しみにして起きるたびに
ベットから見た天井のシミ



これがおしるしかも!と、喜んだトイレ


これが陣痛!?と悩んだベット



もっと陣痛が来るようにと動き回ったリビング





どれも

もうすぐ会えるから と、楽しみにしていたのに


一瞬にして悲しい思い出になった物たち




 

それを見るたびに

『あぁ・・・この道、思菜と一緒に歩いたな・・・』

天井のシミを見て
『もうすぐ会えるね。早く出ておいで。ママ待ってるよ』と

お腹を撫でて思菜に話しかけていたのに・・・


この思い出に囲まれるていると

涙があふれて心が締め付けられて辛かったです。

















そして
実家から自宅へ帰る日


お骨をもって



本当だったらチャイルドシートに思菜がいて


自宅に帰るはずだったのに



私はお骨を抱っこしている





悲しくて・・・・

悲しくて・・・
涙があふれでました。






父『泣くな!泣くんじゃない』と
私の肩を叩きました。


叩いた父も泣いていました。


私に泣くな。泣くな!と、何度も言った父



父は、これでも愛情深い人で
孫を楽しみにしていて
毎日思菜の写真を見て隠れて泣いていたこと。



昔の人だから
人前で泣かない様にしているだけ



私は知っているよ。お父さん・・・

















両親の見送りを背に出発しました。


膝には
ずっと思菜を抱っこしたまま


片時も離しませんでした。





本当だったら思菜と三人で


ドキドキはらはらの三人での生活だったのに・・・











部屋にあるベビーベッドは火葬後すぐにしまいました。


見ていると辛かったから



でも

ベビー用品はたくさん用意してあったから

目にとまると泣きました。





赤ちゃん道具は

全て実家に置いてきました。



持って帰っても辛いだけ・・・



















4ヶ月ぶりの自宅につきました。



自宅を見て泣きました。

 

 

三人で帰ってくるはずだったのに



これから三人での生活だったのに



思菜がいない




また二人だけの生活・・・・


なんで思菜はいないの


どうして・・・








荷降ろしをして

自宅に帰る前に買った
お仏壇のはせがわの仏具をリビングに設置しました。



泣きながら
思菜の思い出コーナーを飾り付け


両親が買ってくれたミルクをお供えして


そして

お線香をあげました。



思菜



帰ってきたよ



思菜に会いたい



恋しいよ



思菜は産まれてきたのに



達のもとにやってきてくれたのに





ずっとずっと悲しいの






元気に思菜を産んであげられなくてごめんね・・・
















私は、今回産休を取っていました。



以前、出産の話で会社に電話した時
会社の対応は

『産休は出せますが、育休は出せません』でした。

育てる赤ちゃんがいないのだからそれは仕方ありません。


だけど

『気持ちが落ち着くまで少しだけ休みを伸ばします』と

産休が終わってから約一ヶ月くらいは延長して休みをくれました。

『ゆっくり過ごしてください』とのこと



会社には甘えて休むことにしました。




休みが終わった後は

復帰する気持ちでした。



また、不妊治療をしたい。



その為には

 

働かなきゃ・・・

お金を稼がなくては・・・


その気持ちでした。