ずっと書こう書こうと思っていたブログを

 

 

 

 

また

 

 

 

放置していました。。。。

 

 

 

 

 

ちゃんと思菜への想いを書いて

残そうと思っていたのですが・・・・

 

 

 

 

とてもめんどくさがりの性格

 

 

飽きやすい性格

 

なので・・・

 

 

 

 

 

 

 

でも!!

 

 

 

やると決めたことは

最後までやろう!

 

 

 

 

 

 

目標を決めたほうが

ずるずる、だらだらしないと思うので

 

年内までには、書き上げて残そう!!

 

 

 

 

今はそう思っています。。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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火葬炉の前で少しの時間だけお別れをして

旅立って逝った娘

 

 

 

胎児だったかもしれませんが

私達にとっては、立派な可愛い女の子の赤ちゃん



亡くなった人と同じように

 

葬儀やお別れをしてあげたかったのですが

 


≪死産に葬儀はない≫と

葬儀屋さんから聞いたのですが・・・

 

 

 

 

お骨を拾って葬儀場から出て

 

親族と解散するときに

 

せめて

 

喪主挨拶は、したいと思いました。

 


 

 

参列してくれた人への感謝は、もちろんのことですが
 

 

思菜を授かった時の気持ち


妊娠中の気持ち


思菜の名前について



文章に込めました。

 

 

 

 

 

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本日は、お忙しい中
思菜のお別れ会にご参列して頂きありがとうございました。


2月23日 11時10分 2,828g
私達の長女として産まれました。

 

 

 

 

 


思菜が産まれてくるまでには不妊治療をし


思い通りにいかない日々に

 

 

夫婦喧嘩

 

 

精神的にダメージを過ごす日々でした。


 

 

ですが

2019年6月13日に思菜を授かることができ

その時は本当に嬉しかったです。



11ヶ月の妊婦生活は幸せな日々でした。





思菜と過ごす日々を楽しみにしていた私達に

3人家族での生活はわずか32時間というあまりにも短い時間でした。



短い時間の中で 朝 昼 おやつ 夜と

家族三人でのご飯

川の字でのお昼寝

母乳をあげてみたり

少し早いひな祭りをしてみたりと 
考えられる やれるだけのことは

 

やってあげたと思います。




でも

時間は、全然足りませんでした。






ことなの名前の漢字は、思いやりの≪思≫

菜の花の≪菜≫

思いやりの心を持った 

明るく元気な女の子になってもらいたく

この名前をプレゼントしました。






妊娠中

一切のつわりもなく快適に過ごし

分娩所要時間は3時間半で

助産師さんにとても安産だったとほめて頂ける程でした。




思いやりの持った子 

名前の通り

ママのことを考えてくれる

本当に親孝行の娘でした。





天国から見守っている思菜の為にも

 

私達は恥じない親であり続け
 

夫婦協力しながら前へ進みます。

 

 

今後とも変わらないお付き合い、ご指導いただけますことをお願い申し上げます。

 

本日は、誠にありがとうございました。


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今思えば

悲しみの中、喪主挨拶など考えられたのは

まだ亡くなったという実感が持てなかったのだと思います。

 

 

妊娠中は、順調でなにも問題がなかったのに

 

40週6日に

病院に行った時には、急に死産宣告

 

2月23日に生まれ2月26日に旅立って逝ってしまって

まだ現実味がなく

夢ならいいのにと思っていたので。。。。

 

 

時間が経てば経つほど

思菜への想いが強くなっていきました。

 

 

 

 

前を向いて歩いていこうとは思っていますが

 

悲しみ

 

絶望

 

辛さが込みあげて

 

泣いてしまい

気持ちが落ち着くまで泣き明かし

 

 

眠れない日も

 

たまにはありますが

 

ゆっくりゆっくり歩いていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あと

 

 

 

 

 

私的に思うことは・・・・

 

 

≪死産は、葬儀は行わない≫

 

 

 

そう葬儀屋さんから教えてもらったのですが・・・

 

 

 

葬儀に関して

 

 

私的に

≪親が決める≫

が出来ればいいと思いました。

 

 

 

 

葬儀って残された人たちが

亡くなった人への想いや尊ぶような気持ち的なものだと

私は思っているので

 

 

一律に

≪行わないもの≫

 

 

ではなく

 

 

≪どちらかを選べる≫

 

と、選択が出来るようになればと思いました。

 

 

 

 

 

 

娘は存在していて

 

 

お腹を蹴っていて

 

 

お腹の中で生きていた

 

 

 

 

この世に生まれることは出来なかったかもしれないけど

 

 

 

確かにあった≪命≫

 

 

 

 

それを胎児という理由で

 

やらないものというのは悲しすぎる・・・・

 

 

 

 

 

 

宗教的な考え方の問題もあるかと思いますが

 

 

お別れ会など

 

儀礼に束縛されることなく、自由に葬儀を行える

 

無宗教の自由葬もありますし。

 

 

 

 

胎児の親だろうと

我が子を想う親に生きやすい世の中になればいいなと思いました。