孫が生まれてきてくれて5ヶ月。
人生って不思議。

私は娘を25歳で出産、38歳から津軽三味線を習い始めました。娘が中2の時です。

そんな私も今年で60歳(還暦)です。

私の母は今年90歳になりました。

結構若い頃から凄い肥満体型だった母。

暴飲暴食、喫煙歴も1日2箱。85歳まで全く禁煙せず、薬をずっとのみ続けるレベルの糖尿病だったので、絶対長生き出来ないと思っていました。

しかし高血圧、糖尿病、脳梗塞、胃がん、肺がんも乗り越えて、こんな可愛いひ孫を抱いている。そんな90歳の母を見ると、人の寿命はわからないと思います。

そういう私も喘息が酷すぎて、幼児の頃に主治医から「20歳までは生きられない」と宣告されていたようです。

ですが20歳どころか今年で還暦な私💦。

本当に本当に不思議。

さらに自分が60歳になったとき、津軽三味線を人に教えてるとは、夢にも思いませんでした。

もしもタイムマシンがあって、過去の自分が今の自分を見に来たら、ぜってー驚くと思います。

20歳以降どの時代の自分を切り取っても、病気ばかりして泣き虫だった子供の頃の自分からは、全く想像も出来ないくらい全力に前のめりに生きており、幸せにフォーカスして生きていると思う。

頼る人間が母親だけだった私ですが、21歳で結婚したときから、夫という家族ができました。テッテレー♪。

25歳で出産して以降、私が守るべき赤ちゃんという存在、私だけを頼ってくれる存在がこの世に現れて(テッテレー♪)スーパーサイア人的に私はすごく強くなりました。(うぉぉー)

25歳〜32歳まで専業主婦。家事と子育てだけに集中しました。雑貨も作ってフリマで売りさばいていました(笑)。

32歳から週4、9時〜5時でフルに働き始めました。当時娘は小学校2年生。2学期の初日から学童保育にいきました。夫が離職する8カ月前です。

休みの日にはヘルパー2級の資格をとりに学校へ通う日々。夫は離職後、すぐに転職してくれましたが、子供がいる家庭では、家族に何かあれば即路頭に迷う。このままのパートだけでは食べていけないと、1馬力の危機感を持っていました。

そして38歳のときに人生の転機が訪れます。

津軽三味線を習い始めたのです。

津軽三味線を仕事としてバリバリ出来るとは思っていませんでしたが、履歴書に書ける様な特技が無い自分にとって、せめて何かを「〇〇年やってます(^^)」と言えるキャリアが欲しかった。

ただ過ごしていると、あっという間に1年が過ぎ、10年が過ぎる。

何かを始めれば、年老いていくだけだった1年が、キャリアを積み重ねた年数となり、10年が過ぎると「キャリア10年で〜す」と言える。

これが凄く良い、素敵カラクリだと思ったんです。

39歳の時に高校時代の親友が胃がんで他界したのですが、それまでの5年間、毎月のように会いに行き、メールを交わして、命について、医療や家族、ホスピスや死後の墓について語り合いました。

そんな時に「いつかなんて実は無い」「全員がお婆ちゃんになれるわけではない」「明日死の宣告をされるかもしれない」こういう事も、自分の人生を「いつか」ではなく「すぐさま」見つめ直させる、良ききっかけになったのかもしれません。

ダンス(するなら競技ダンス)、水泳(するならオープンウォーターでいつかドーバー海峡横断)、津軽三味線(有名人を知らず何のビジョンもないけれど師匠の六段に撃ち抜かれた)と、体験会に色々参加して、気に入った津軽三味線を気軽に習うと決めました。半年はレンタル三味線。

5曲弾けるようになったら近隣へボランティア演奏に行こう〜♪、10年経ったら名取になって教室を開こう〜♪と思いました。

今津軽三味線を始めて21〜22年経ちました(笑)。楽しく演奏し、楽しく教室で講師をさせて頂いております。

津軽三味線のお稽古に行くようになり、本当に2年以内に5曲弾けるようにしていただき、近隣の施設にボランティア演奏に行きました。

そしてきっかり10年で名取襲名して教室を立ち上げました。

嘘みたいな話ですが、舞台演奏もプロの津軽三味線奏者としてさせていただき、気分良く唄まで唄っています。

そして今年、孫と津軽三味線で写真撮影。夢みたい。しかも孫は三味線の音が好きで、民謡が好き。特に相馬盆唄が大好きです。



真剣(笑)

ムムームズい。

うーんうーん。

可愛い孫が、津軽三味線に触る写真を撮る日が来ようとは、20歳の私は想像もしないと思います。
人生はよくわからないけど、まあまあ異様曲折、山あり谷あり沼地あり(笑)なんですが、結局面白がって、良い時にフォーカスしたほうがいいですね♪。

津軽三味線で嫌な思いをしたことは正直1度もないです。

それは多分、38歳から津軽三味線を始めたという、自分への緩さがあるからだと思います。違うかなー。わかりませんが。

3歳から始めたと言えば、自分にもっと厳しくなるかもと思うんです。

目標が高すぎて逃げ出したかもしれません。

38歳から始めた私は、津軽三味線を持って歩くだけで最初は嬉しかったし、1曲でも弾けたら嬉しくて、努力して練習する時間さえ学生さんみたいでワクワクでした。

目標も常にユルユルで、コンクールに出られるのはクラブ活動みたいだし、合奏がとにかく嬉しかった。

教室も、生徒さんが1人でも来てくれたら、自分なんて何もすごくないのにありがと~と嬉しい。

ライブに至っては、どこの誰かもわからない主婦奏者の演奏を聴きに来て下さる事がありがたすぎて、お客様が完全に神様です。

自分の人生の価値と言うか、自分自身を大きく変えた「結婚」「出産」「津軽三味線」には感謝。

そして今、人生の後半をヒシヒシ感じていて、夫婦のいずれ来る死別の後の人生、津軽三味線だっていつまでも弾けないし、持っているものもいつまでも使えない。そうすれば最高の活用方法になるか、なども思う日々。

ただ

先の心配をしても、そうならない。

先の希望を見据えて動き続ければそうなるのは実体験で知っている。ならばそれしかないですもんね。

津軽三味線を公園でもっと弾こう。

家を雑貨店のようにしよう。

庭を公園のようにしよう。

温泉に行こう、自然の中で過ごそう。

これが私の希望。

体力がどうか分からないけれど、好きなことはこういう事。だから1つ1つ。1日30分続けると10年で土台ができ、後10年でプロになる。

ほんまよ。



大雨や台風の翌日は、同じ散歩道でも雰囲気が全然違います。
草が倒れ、木が折れていたり、亀や猫は、昨夜はどこで寝たんだろうか心配。
毛布が流れていたり、ゴミがすごく落ちている。
竹も倒れてアーチに。
それでも空気はどこか浄化されていて気持ちがいい。


JSSさやまスイミングスクールでの、津軽三味線教室でした。

第1第3月曜日
15時半〜17時までが現在の枠ですので、新規入会枠は、15時〜15時半と17時〜18時半です。

1年間のレッスン日が決まっているため、非常にほかの予定が立てやすいですね。
エアロビクスやヨガのスタジオなので、鏡張りが練習しやすいです。
私がフロントで20年前後働いたこの場所で、今こうして津軽三味線を教えてるって奇跡です。
現在50年以上、アレルギーにステロイドを使い続けてきた私が、脱ステ2年経過です。

化粧するとクレンジングで被れるのでこの2年はほぼスッピンです。

毎日の犬の散歩で日焼けがすごくて(笑)まっ黒な顔。すいませんねー。

この場所で津軽三味線を教えて10年以上。
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今日も楽しく、津軽三味線の指導をさせて頂いております。

追記
この職場に32歳から48歳まで、パートで週4 9時〜17時15分まで働いていました。

2年間コーチも兼任していましたし、プールサイドでのガード業務も10年以上兼任していました。

救急救命の講座を受けさせていただいたり、会員の皆さんと旅行に行く企画も奄美の時に企画させていただきました。名古屋水族館は、バスガイドみたいなコスプレで添乗したな♪

ベビークラスの体操も何年かさせていただきました。

クリスマス会や忘年会では津軽三味線を弾いたりもしていました。

今思うと職場でありながらクラブ活動のようでしたねー。

私が努めた20年以上の間に支配人が4人かなー?かわりました。

H支配人(私を面接してくれた)
I支配人(とても優しいお人柄)
M支配人(会議を取り入れて運営)
E支配人(津軽三味線教室や奄美旅行企画を進めてくださった)

そして
今の支配人

どの支配人にも大変お世話になりました。

フロントを辞めた今も、津軽三味線講師としてご縁が繋がっていることはありがたい事です。

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レッスン時間、レッスン曜日はご相談いただけます。

まずは1回体験レッスンにお越しください。

ご予約いただけますよ。

場所は
①JSSさやまスイミングスクール津軽三味線教室
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スイミングスクールにてご予約頂けます。スイミングの電話番号TEL0723652356

②富田林レンタルルーム日時自由の1時間レッスン
↓↓↓↓↓
アメブロのメールもしくはコメントへ(フェイスブックの津軽三味線「笑風会」にも体験申し込みのメッセージできます。)

「広報おおさかさやま」令和8年6月号に、愛護団体支援 津軽三味線ライブの記事を載せていただけました。


予約不要ですので、当日お越しくださいね。

広報を見た方からのご意見でよくあるのが「毎月あるのなら毎月やっている」と書いておいてほしい。

というのと

「予約が必要ないなら予約必要なしと書いておいてほしい」という2点なんですが、広報はそれを書けないようです。

理由はわかりませんが、多分想像するに、「毎月やっています」を載せられない理由は、その月ごとの企画物の市民活動のお知らせ、という意味合いのページで、毎月その都度掲載しているということだからではないでしょうか?

「予約が必要ない」というのが記載されないのは、多分ですが「先着200名」と記載する枠があるため、推し量ってもらえればわかりますよね?ということではないでしょうか?

これも想像ですが、一番の理由と思うのは、沢山の市民活動を左右見開きの2ページに収めないといけないので、文字数をできる限り減らす必要があるからなのではないでしょうか?

広報を読んでくださった方からお電話があって、この2点を記載するよう結構お声をいただくのですが、すみません。


現在200人のキャパの大集会室にて、30人前後のお客さまですので、全くもって超余裕でお越しいただけます。


ぜひ安心して「当日」「予約なし」でお気軽にお越しください。


そして「毎月ライブ」させていただいていますので、どこかでお越しいただけると、とてもとても嬉しいです。


とは言え60分で1000円を頂いておりますので、「津軽三味線が好き」「動物が好き」「愛護団体を支援したい」「シーナ&ケーコに会いたい」「音楽がとにかく好き」等々、何かご自身のアンテナにヒットしてくだされば是非お気軽にお越しください。


頂いた1000円は、全て和歌山の愛護団体キセキさんに寄付しております。


私たちは凄いプロ奏者とは言えませんが、津軽三味線歴は20年以上、指導歴も10年以上ありますが、今も毎月師匠のもとでお稽古も重ねています。

しかもオタク級にコンクールに出続けており、練習も大好き(笑)。

演奏能力はプロ中のプロの「吉田兄弟」さんとまでは正直全然いきませんが、主婦やパートで忙しい30代後半から、自分の自由時間は津軽三味線に明け暮れた、津軽三味線大好きな私たち。


家や車でかかる音楽はほぼ津軽三味線です。


ということで、「吉田兄弟」さんにかけて「還暦姉妹」(誰やねん(笑))と呼べる程度の実力はあるんじゃないかなぁ〜。


60女の全力の津軽三味線、是非聴きに来てください。


大汗かいて弾いたり、唄ったりしていますよ。


この歳まで弾いていると、段々疲れが取れなくて(笑)あちこち痛いんです。


あと何年ライブ活動頑張れるかも未知数なの。来れる時に是非聴きに来てね♪


待ってまーす!

わたしのトレードマークは、大好きなツバメ♪



津軽三味線のコンサートを毎月させて頂くようになって、もうすぐ丸4年。

今では毎月20人〜30人のお客様が口コミとリピーターだけでお越しくださるようになりましたが、最初は4人とか6人が普通でした。

それでもここまで、弾くことの楽しさと、関わってくださる周りの方へのありがたさだけで続けて来られたのは、ラッキーでしかないと思います。

津軽三味線のライブをただ始めたというのではなく、愛護団体への寄付金を、何か自分のできることで捻出できれば、寄付の継続性があると思い始めたことです。

4年前、近所にうろつき始めた野良犬が、うちの犬の散歩のときにつきまとって、何かされるのではないかと危機を感じていたところからのスタートです。

その犬は首輪をしていて、愛護団体から一般家庭に譲渡され、逃げ出した保護犬だとツイッター情報で知り捕まえることにしました。


生後6カ月までは雑賀崎の野犬として生きており、自活できる能力は備わっていたようで、約2カ月間、和泉市〜大阪狭山市を移動し野良犬になっても、車にも跳ねられず、食べ物も確保し生き抜けた様です。


最初このワンコは生後6カ月に保健所の捕獲器で捕まって、2カ月間保健所暮らし。

その後愛護団体に引き出され、2カ月愛護団体で人慣れして、かわいいお顔だったので(^^)和泉市の一般家庭に譲渡という流れでずっとのお家に引き取られました。

ただ一般家庭に譲渡されてからも、逃げたい衝動は続き、すきを見て逃げ出して野良犬に。

元野犬で6カ月まで暮らしていたため、逃げても十分生きられる能力があったのでなかなか捕まりません。

大阪狭山市でうちがたまたま捕まえた時も、2カ月放浪していた割に目茶苦茶体調も良く元気でした。ダニや回虫はわんさか付いていましたが。

大阪狭山市で捕まえて和泉市の元の飼い主さんに引き渡す際、和泉市の方が再び飼うことに不安を感じておられたので、犬との深い縁を感じて、うちに愛護団体から再譲渡してもらうことになりました。

その時に雑賀崎の愛護団体キセキさんと出会い、どんな経緯で愛護団体になったのかや、資金繰りの大変さを目の当たりにしました。

うちが保護犬を飼うのは人生初で、愛護団体とのかかわりも初めてでした。

お金の面で、毎月愛護団体への仕送りについて、自分が継続できる自信がなく、思いつきでしたが、津軽三味線で寄付を集めてみようとスタートしました。
少なくても毎月寄付を継続し、愛護団体の存在や活動も世間に伝えられ、タオルや餌の寄付も頂けて、津軽三味線も弾ける。

さらにお客さまが喜んで1000円を払ってくださり「来月も楽しみにしてる」「絶対来る」と言ってくださり、ご近所友人を誘って来てくださる。泣けるー。
通常いいことも、嫌なことにあるのが人生なのでしょうが、津軽三味線に関しては「弾く人」「聴く人」「愛護団体」「犬たち猫たち」全部が幸せでミラクルワールドです。

ほかの人にも絶賛おすすめですよ。
最近椅子を多めにセットしてます。強気の準備(笑)。

最近コンサートが終わると、お客様が椅子を片付けてからお帰りになるんです。

70代80代の方が多いですし、私たちが片付けますとお声がけしても、動ける方が杖をついておられる人の分まで持ってくださいます。

愛護団体支援の津軽三味線ライブが、地域であまり知られてないことを勿体ないと思ってくださったお客様がおられ(ありがたーい)金剛コミュニティという地域の新聞に取材してくれませんか?とお声がけしてくださったそうで、先日コンサートの写真撮影と、取材がありました。

いつ頃何故、津軽三味線を習い始めたか?

いつ頃何故、津軽三味線「笑風会」を作ったか?

いつ頃何故、愛護団体支援津軽三味線ライブを始めたか?

聞かれて話すと忘れていたエピソードを思い出すんですよねー。もう全部リアルに。

だから取材が楽しすぎて2時間くらい喋りました(笑)。

記事は7月か8月に出るそうです。お楽しみに〜。(写真きれいに写ってるかな〜(笑))

「不思議なものですね」という新曲ほぼできたー。







私のアメブロ日記のなかで、10年以上前に書いた撥の持ち方について書いた記事が、ずっと多くの方に読まれており、10年ぶりに読み返してみて、今の見解も書いてみようと思います。

2015年4月に書いたこの時の私は、名取襲名して教室開講したばかりの頃です。

今が2026年5月なので11年も経過(汗)。

11年前は撥を持つ手がまだ綺麗です。今はしわくちゃ(笑)。

さて、バチの持ち方ですが、この11年で変化、進化しています。当時は薬指とか小指を大切に意識していましたが、今は断然中指の大切さを生徒さんにも熱く語っています。

そして親指も、指先では押さえずに、関節や骨の向きや圧を意識してもらっています。言うなれば母音捺印感覚。

さらに撥を握らない、ゆるゆるで持つ、打ち込むよりも置くような感覚、布団に仰向けで寝て打ったときの導線、等々11年経過して伝え方やアドバイスも多様化しています。

まや胴掛けに腕を置く位置、肘の開き具合、もっと言い出すと足の位置、足の裏、身体は傾いていないか、首は下を向いていないか、目線、左手の力の具合(どちらか一方だけ力まないとかは無理なので)等々、結構思いつくままお伝えして、試していただき、どのくらい音が変わるかチェックしてもらってます。

駒の高さ、撥の大きさや柔らかさ、糸の張る位置、駒の位置、糸巻きのどこに糸を巻いているか、さわりはつけているか、糸や根緒はきれいか。

いろんな事も合わせて、そのうえで撥の持ち方で音がぐっと良くなり、良くなるだけでなく体を痛めず、歳に合った奏法で末永く良い音色を楽しめることが目標です。

今年60歳になる私は、昔のように調弦を上げて練習をするパワー系の練習もしないですし、闇雲に100回弾くとか、何時間も倒れるまで(腕の感覚がなくなるまで)弾き続けるというのが(笑)できなくなりました。

今は好きな時に好きな時間弾き、飽きたらぱっとやめて、弾きたくなったらぱっと始める、音も最小で弾いたり爆音で弾いたり、体の声を聞くようになりました。

時間を決めて、とにかく練習を毎日するという世界は15年くらいで終了。この5年は本当に変わってきています。

やはり55歳くらいから無理が効かないんですよねー。

更に親の介護がガッツリあった4年前、2カ月実家に泊まり込み、自宅に戻っても半年は三味線の練習をする気になれなかった。

何をするにも、自分の心と体の両方が元気でなければダメなんだと思い知りました。

今は自分を鼓舞しなければならないような事はなく、思うようにやりたい事だけ津軽三味線は自由にさせてもらっています。

教室も生徒さんに教える事が、ただただ幸せな時間であり、自分が津軽三味線を頑張ってきたご褒美のような時間です。

撥の持ち方と、弦を押さえる指使いは左右両手完全にセットだと思います。どちらも力むときは両方力むし、どちらも動きにくくなる。

だから両方同時にスムーズにもなる。

姿勢、目線、足裏、椅子のどこに座るかも、手に関わると思います。

そして腕がどちらにねじれた時に手首より先が強くなるか、手首をどうロックすると、肩から動くかも、使える方法論だと思います。

両腕を上げて坂をくだると足が楽とか、手首を返すと走りやすいとか、タスキや腰ひもで身体が整うなど、津軽三味線に使えることは五万とあるし、メンタルについても他の事で使えることは色々あると思います。

楽しみながら、おばあちゃんになっても津軽三味線が弾けたらいいなぁというのが今の希望❤。





津軽三味線の演奏を、今日は五軒屋会館というご近所へ、雪月風花の仲良しメンバー4人で行ってきました。

楽しい時間🩷。

お揃いの衣装も嬉しいわぁー。



長次郎の蔵馬が最高に美味しいなぁー。

五軒屋総合会館。

沢山のお客様。

スタッフを含めたら70人〜80人くらいお越しになられていたかも。

皆さん熱心で、すごく集中して聴いてくださいました。

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明日は愛護団体支援津軽三味線ライブです。引き続きお待ちしております🙇。15時〜16時 お一人1000円 大阪狭山市公民館 大集会室にて津軽三味線ライブ
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月に2回、月曜日にレッスンがあるJSSさやまスイミングスクールの生徒さん♪唄も三味線も熱心に練習しておられます。

孫が好きすぎる私(笑)。孫の絶賛推し活です。キャワゆい❤。

#上妻宏光さんのかっこいい曲「遊」チャレンジです。ムズいー。でも楽しいしよい練習になっています。



昨年2025年3月4月は、脱ステ地獄の本格的なのが脱ステして1年以上経っていたのに急にやってきて、3月4月に死にそうになっていました。

 

泣きながら周りに助けてもらい、なんとか生き延びました。

 

今年の3月4月は死にそうにまではならず、なんとか夜も眠れてメンタルも持って5月を迎えることができました。

 

感謝~~~。

 

昨年は本当に危なかった。

 

昨年の生きるか死ぬかの時に行ったことはその当時のブログに書いていますので今回は書きません。思い出すと眠れないので。(びわのは温熱とか詳しく書いてます。眠れない方は是非)

 

 

で、今の脱ステ3年目にしている事を書いておきますね。試したい方は自己責任でおねがいします。

 

1,添加物はできるだけ排除するのを継続中

2,シャンプー石けんは使わない(洗濯石けんも使わない)

3,小麦粉は米粉に変えて、植物油はバターに変えました。(よつ葉バターかグラスフェットバター)でもたまにはケーキ食べてる。

4,砂糖は控えていますが、大根からつくったお砂糖は使います。蜂蜜も日本蜂蜜を時々食べます。

「できるだけ」というのは1年くらい完全に排除していましたがいまは完璧な排除はやめました。でもマクドナルドやカップ麺、ケンタッキーやミスドなどは一切食べないようにしています。植物油を食べるとやはりめちゃくちゃ痒くなります。酸化した油がだいぶん私には合わないようです。それに最近では植物油を食べると胃が受け付けないんです。これびっくり。

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ここまでは昨年もしていましたが、今特に始めたこと

 

5,酵素のお風呂

びわの葉、松葉をお風呂に入れて保温ヒーターでお風呂を沸かし、1週間から10日は同じお湯につかります。体はきれいに洗い風呂にはつかるだけでタオルはつけません。つかってる保温ヒーターはリンクを貼りますね。

クマガイ SUNART 多目的&保温ヒーター 沸かし太郎 SCH-901

最近シャワーヘッドをミラブル的なのに付け替えました。インテリアハーツで購入。

 

6,今日届いて、今は洗って干していますが、明日から「ヘンプ100パーセントのパジャマ」を着て寝る予定です。これはインスタでみた「ヘンプがアトピーの人の皮膚にあるブドウ球菌だか黄色ブドウ球菌かなにかを死滅させる」という生地だからです。麻でも無く、リネンでも無く「ヘンプ100パーセント」じゃ無いと駄目みたいです。ヘンプのパジャマ効くと良いな~~~。効いたら服も下着もみんなヘンプにしたいくらい。

 

7,風呂上がりに塗っていたものを食べられるものに変更。例えばワセリンって石油由来で食べ物では無いですよね。だから馬油とヒバオイルにしました。ヒバオイルはそのまま塗ると痛いので、手を水で濡らし、1-2滴ヒバオイルを垂らして、それで顔に塗ります。首も。オイルが多いと痛くて眠れないので、最初は少なめに。馬油はどうしても塗りたいガッサガサの割れそうなときは塗ります。ガッサガサの時に馬油ではどうも皮膚割れると言うときは、狭い範囲ならアルガンクリームをつかいます。

 

基本はヒバオイルで皮膚の表面を抗菌してガサガサに耐えます。この方が体が自力で保湿に動くと思うので、今はそうしています。前は紫雲膏とか枇杷の葉化粧水とか色々保湿を試しましたが、今はヒバオイル水で薄めたのをうっすら塗るだけ。

 

8,歯磨き粉の代わりに重曹。ステロイドの代わりはレスタミン、ニキビはレスタミンに重曹のせです。痒いときはアイスノン。喉が痛いときはマヌカハニー。

 

9,卵や肉、魚をすごく食べるようになった。これはなぜか分からないけれど自分が欲していると思う。食べる量が増えてから皮膚の調子も良い気がします。

 

10,1日1万歩以上歩く。前は6千歩くらいですが、今は1万歩どころか、1万4千歩くらい毎日歩きます。死にかけた犬が助かるように願掛けをしたので(助かったら散歩を倍にしますと祈ったら助かったので)神様戸の約束を守っています。日焼けもすごくてもはや畑仕事しているレベルかゴルファーですね。

 

11,化粧品は昔のアネッサを使う。これはアネッサを使っていたときすごく調子が良かったんですが、廃盤になってアネッサが無くなったんです。仕方なく他の物を使っていましたが、どうも合わないので、アネッサをメルカリやヤフオクで新品を探して購入しストックしました。

 

12,今アマゾンで古伝馬子さんの動画でおすすめにあったアーシングシートを購入し到着待ちです。アース付きのコンセントがないので、庭に線の先を埋める予定です。前から気になっていましたが(炎症が治まるらしくて)本当に帯電している物が抜けるか信じられず購入に至っていませんでした。しかし古伝馬子さんが機械で検証してくれていたので即購入。自分の体で試さないと分かりませんからね。

 

こんな感じでしょうか。思い出せてないこともあるかも。また思い出したら追記しますね。

 

脱ステしてから首がしわしわでお婆ちゃんみたい。悲しい。もともと首は線だらけでしたが水分はあったんです。いまは亀さんの首です。(亀さんごめん)刺激になると痒いのでネックレスもつけられません。

 

それでも昨年の地獄があるので、今年がありがたいと思える。

 

アレルギーの記事が私のスマホに上がってくるのですが、治った皮膚で無く「どん底」の皮膚がドカーンといきなり映し出されます。そこからいかに治ったかの記事なんですが、あの写真を見るとめちゃめちゃメンタルに重いパンチがきます。そしてめちゃくちゃ痒くなる。できれば見たくないので、見たい人がスクロールしたら見られるようにできないかな。私も気をつけよう。

 

人は色んな困難にあうけれど、その困難をいかに乗り越えるかが、その人の大切な決め手となる。そして乗り越えたら、同じ困難にあってる人の気持ちがすごく分かるし、自分が体をはって検証したことは事実でしか無く、それらの情報交換もできる。古伝馬子さんもいつも検証されてて大好き。私も自分が何ヶ月かやってみないと納得できない。

 

どんなことも個人差があるから全員には合わないだろうし、情報は多いに越したことは無い。選べるって嬉しい。私が痒くて眠れず死にそうになって泣いているとき、うぅ・・・書きたくないけど書くけれど(トラウマの台詞)「どうしたらいいの」を夜中なきながらずっと繰り返し掻きむしりながら言っていた。「死にたくないのに死にたい」というのがこの先に続くトラウマの台詞。

 

だから「どうしたらいいか」何かを言ってもらえる、教えてもらえる、情報があるというのが「生きる一筋の明かり」だった。自分がどうして良いか分からないときに「これはどうかな」と言ってもらえるって救い。手当たり次第試せることでしか生きられない自分だった。そのくらい痒くて眠れなかった。なにかしなくては超えられなかったあのとき。

 

あんな思いはもう二度とごめんだし、誰にもあの地獄を渡ってほしくないけれど、きっと脱ステ地獄はこれからも何処かであるだろうし、他の病気でも病院ですることを30年40年やり尽くし、打つ手が無くなってここまでに至る人がいるとおもう。そういうときは、色々自分に合う物を試して「生きる希望」にしてほしい。

 

時間が解決するのか、何かに出会うのか、人の情けで助かるのか分からないけれど、とにかく死なないで生きてこの夜を乗り越えましょう。かゆさで死なないと言うけれど、かゆさで眠れない日々がどこまで続くか分からない絶望は計り知れません。そのときは是非枇杷の葉温熱療法をしてみてね。眠れたから。眠れたら生きられるから。東城百合子さんの「自然療法」という本も読んでみてね。どこかにヒントがあると思います。

 

私は昨年脱ステ地獄を赤裸々に書いていたら、脱ステ専門の入院できる病院をこのブログのコメント欄で教えてもらいました。そのときも逃げ場があると知り泣きました。嬉しくてね。入院できる場所があり、脱ステも継続出来るというのが嬉しかった。そしてその病院に入院したつもりで、大好きなタイ古式マッサージに毎週通うようになったんです。入院したら1ヶ月とか2ヶ月入院で、1泊1万円以上です。だったら週に1度タイ古式マッサージの方が全然安い!ってへんなスイッチがはいりました。

 

それまではマッサージは月に1回とか自分で自分を縛っていたんです。お金や時間の価値観も、全て昨年の脱ステ地獄で変わってしまいました。良い意味で。自分の体さんと心さんと魂さんの3身一体のそれぞれ優先で生きようとおもい、霊気も使えるように習いに行き、生前整理も資格を取り、「自分が」行きたいところに行くようになりました。

 

母優先もやめました。自分が壊れたり、死んでしまえば母も困りますし悲しみますから、自分優先、母はその次です。自分が幸せであれば、私の母もきっと幸せです、それが親ですからね。

 

今年もアレルギーも喘息もまだまだありますが、夜バタンキューで暮らせてることに感謝です。

 

皆さんも夜快眠できますよう祈ってます。おやすみなさい。

 

 

5月13日(水)

15時~16時

愛護団体支援ライブです!

 

 

 

 
うちのサクランボの木は、水もやらず、消毒もせず、肥料もあげないのに、毎年最高に美味しいサクランボを実らせてくれます。
雪月風花の仲間の家も、毎年サクランボが沢山実るそうなので、庭に1本あると最高だと思います。花もきれいです。

毎年サクランボの食べ放題を、自宅でできる幸せを噛み締めています。

おすすめですよ。

プルーン
ビワ
イチジク
甘夏か八朔(どっちかが楽に実る)
ユスラウメ
桑の実

これらは放っておいても律儀に実をつけてくれます。

あとハンダマという野菜も、庭に植えておくと、永遠に食べられます。

包丁は鋼か鉄かステンレスしか知らない私でしたが、夫がたまたまフルーツのカット用に、2年くらい前に買ってきた小さなナイフが最高すぎて、思わず追加購入しました。更に勧めたくなって娘にも購入しました。
切れ味がいいということ、切れ味が落ちないということが凄いのですが、刃のうすさが使いやすさに繋がっています。

別の会社のセラミックナイフを、このナイフがあまりにも良かったので、別のメーカーでしたがセラミックというだけで気軽に購入したのですが、そのナイフは刃渡りは同じでも、刃の厚みがあって使いにくく(小魚を捌くなら厚みがある方がいいのかも)京セラのセラミックナイフの薄さの凄さをしりました。

これがあまりにもいいので、普通の京セラのセラミック包丁も今日買っちゃいました。切れすぎて怖いくらいです💦。