本当に嫌な半年だった2020年2月~7月くらいまでのコニカミノルタの土壌汚染問題。ようやく感情は薄れてきました。ありがたいね時間の経過。

 

結局何も今だに解決せず、汚染は20年?30年?一体いつからなのかもわからず、今も基準値を超えた地下水の汚染は続いており、地域住民もほぼ知らず、知ったとしてもその範囲は下流何メートルの住民しか多分知らないのでは?

 

なぜなら嘆願書まで出して行われた説明会ですら、コニカミノルタの何百メートル範囲にお住いの人だけです!と決められていたのだから。しかも説明会を2組に分けられ、状況の共有がしにくいように思える説明会だった。横のつながりを取りにくい気がしました。

 

コニカミノルタは地域にも知られず、井戸を何十か所も掘り、その汲み上げ処理が20年以上続いても終わることがない基準値超えの状況。

 

地下水の汚染については最初から現在に至るまで1度の説明会もなく、2020年に地域で市役所に何度も出向き電話を地域の人が描けてくれてようやく1回実現したくらい。

 

家族で市役所で調べても閲覧拒否や黒塗りに唖然としながら、知ったことについて質問をしても「回答いたしません」の返事がくる。

 

汚染物質の中に中にはフッ素も検出されていたのですが、そのフッ素も安全なフッ素なのか、今ピーフォス、ピーフォアという危険なフッ素なのかも返答しないと回答が来ました。

 

コニカミノルタが工場棟の解体工事説明会をするといったのが2020年2月。

 

その工場棟の壁にはアスベストが含まれると説明会にいって初めて聞いたことからすべてが始まった。

 

たった10数人しか集まらなかったその説明会でアスベストが実は含まれていると聞き、だったら何故配っている説明会のお知らせプリントに騒音や工事のお知らせは書いていたのに、アスベストの文字を入れなかったのか。

 

そのうえ地下水の汚染のことをチラッとおっしゃった。そこが最悪のスタートだった。いまも基準値の16倍の汚染があり私どももショックですってたしかチラッと最後におっしゃった。

 

30年どころかもっと前から、コニカミノルタのすぐ下に住み、父と母はビニールハウスで野菜を作っていた。

 

私はこの30年子供を育てていた。

 

その間1度も地下水の汚染、汚染された土壌のダンプでの運びだし、一切知らなかったのだから。

 

書き始めると胃が痛い。思い出すので今日はこの辺で。

 

 

このブログはすべての資料を残すために立ち上げた。

 

自分の家や、自分の家族が暮らす家のその横で、また野菜を作って生計を立てている畑のそのすぐ上で、汚染物質を何十年も流され続け、土壌汚染地下水汚染の法律が変わる前後に汚染除去に取り掛かり、20年を超えても汚染が安全の基準値を超えている。にもかかわらず一切知らされず暮らしてきた。

 

自分の土地の評価がゼロどころか、汚染除去を自分達でしなければ土地を売るときに汚染の状況を隠ぺいしたことになり、買主訴えられれば保障しなくてはならないという状況になった。それだけでなく企業と行政はお互いに守りあう関係だとリアルに知ることとなり、隠ぺいときれいごとにくるまれた世界。

 

福島の原発で田畑が汚染されて裁判をされているニュースを見たときに愕然とした。先祖代々お米農家さんや畑をされていた方々で、原発の爆発で汚染された土地を所有する方々が、自分で汚染された土をどうにかしならないという。土を入れ替えたりする責任が被害者であるはずの人に降りかかってくる現実。行政はどこまでも電力会社や企業を守るのかと本当に悲しくなる。

 

ただそんな救いのない半年の間にも、たくさんの人がチラシ配りや市役所への問い合わせなど、同じ思いで動いてくださり、親切にしてくれた人も多い。そういう時だから毎日うれしくて涙したのも事実です。

 

市長さんや今の行政が悪いというのでもなく、企業が悪いというのでもなく、きっとそういう時代とそういう社会構造なんだったとも今はおもう。

 

そこはそうおもう。

 

思うが、ダメなことはダメだと認めなければずっと隠ぺいや嘘や大企業寄りの依怙贔屓のような法律がそのままになる。

 

そして、そこに人間が窓口となる以上、心ある人がどれほど働いているかで、人の心はズタズタにもなるし、癒しもある。我がことのように他人の窮状を理解して、どうにもならない過去を隠ぺいするのではなく、今後どのように地下水や土壌を守り、今度起こるであろう天変地異にみんなで備えるかだとおもう。

 

井戸を掘ってももう飲めないどうなので、池の水を浄化するなどの対策が必要かと思う。

 

この件を書くと夜眠れなくなる。

 

神さまがいらっしゃるなら、どうか善き方向に私も含め皆が向かいますように。

 

怒りや恨みでは何も解決しない。

 

しかし知らないままでは善き方向もわからない。しんどいけれど悲惨な現実を可能な限り知ったうえで、変えられることを変えて、変えられない過去は水に流そう。