「ああ、ラクダに乗るとホントにラクだナ~」青木は言い古された金言を口にしつつ、ラクダから下乗した。

「やっとオアシスに着いたゾ」青木はラクダに貿易物資を積んで諸国を経巡っている貿易商で、かなりの利益を上げていた。

「今日は一休みすることにしよう。ベリーダンスでも見て盛り上がるか」青木はパブに入って行った。

「やっぱりベリーダンスショーは最高だナ~」妖艶な踊りが延々と続き、青木は酩酊感に捉えられていった。「もう夢と現実の区別もつかなくなってきたゾ…」青木は肥え切った自身の腹を撫で、ワインを飲み、チキンを貪りながら眠りに落ちた…

翌朝…「素晴らしいショーの一夜だった…さて、私のラクダの様子はどうなっているカナ?」青木はパブの裏に繋いでおいたラクダを確認しに外に出た…アレッ?留めておいたハズのラクダがいないゾ。青木は呆然自失となった。「ラクダに積んでいた荷がすべてパーになったということダ。しかも、あの相棒がいなければこのオアシスからもう外には出られない。広大な密室に閉じ込められたようなモノではないか…」青木は頭を抱えた。

「どうしましたか、旅のお方」絶望している青木に美しい少女が声を掛けてきた。「貴方は誰ですか?」「私は昨夜貴方の楽しまれていたショーに出演していたベリーダンスのダンサーです。困っているのならどうぞこちらへ…」青木は不審な成り行きにキツネにつままれた心持ちだったが、ほかに一切の当てがなくなったため、とりあえずダンサーの後をついて行った。

「かなり質素な家ですネ」贅沢な生活に慣れていた青木は沈んだ声で言った。「ふふふ。貴方は一文無しになったのですよネ。それならば、ここでの生活に満足するしかないでしょう。あなたにふさわしい仕事はコレです!」ダンサーは部屋の窓から見える公衆トイレを指差した。「アレが何なんですか」「あそこは観光客や旅人がしばしば使うトイレです。貴方はあの入り口に一日中立ち、人が来るたびに手を差し出し、チップをもらいなさい…」「それで、どのくらいの収入になるのですか?」「だいたい1日で100エジプトポンドくらいにはなるでしょう…」「そんなカネでは一日にパン一切れくらいしか食べられないでしょう!」青木は肥満した腹を叩きながら絶叫した。「その意味でもあなたにふさわしい仕事です。カネがなければその分食事を減らせるのですから…楽しみなら、私があなたに与えますヨ…」ダンサーは名をミュウと名乗った。「私のベリーダンスは天下一品と言われているのです、どうぞお楽しみを…」ミュウは単に痩せているというのでなく、非常に麗しい曲線美をもったスレンダー体型だった。青木は日がな一日トイレでチップ稼ぎをしパンを買った後、ミュウの部屋でベリーダンスを見、少ない食事を踊りを観賞する悦びで誤魔化しながらやり過ごす日々を送り続けることになった。「さあ、この水たばこでも吸いながら見てください、青木さん…雰囲気が出ますヨ」「水たばこはカネが掛かるでしょう…」「だから、この器材だけです。実際には吸わないでくださいネ」「まぁ、なんでも良いです」青木はミュウの言うことに身を委ねていつまでもパン一切れの生活を続けた。

10年後…「ああ、貿易商として荒稼ぎしていた日々はスッカリ遠くなった。その代わり、非常に健康的な痩身美を体現するようになったゾ」青木はスッカリへこんだ自身の腹を改めて打ち鳴らした。「健康って素晴らしいナ~今日もまたミュウのダンスを見るゾ」トイレから帰った青木は部屋の中をキョロキョロした。「アレ、ミュウがいないゾ」室内はもぬけの殻で、テーブルに置き手紙があった。

“青木さんへ 私はかつて貴方の容姿をパブで見たとき、貿易商として鳴らしている貴方の、病んで死にゆく壮絶な最期が予感され、貴方を健康的に痩身体に導くため、このような策を弄したのでした。今、貴方はスッカリとお痩せになりました。私の役目は終わったので、コレでお別れです。さようなら ミュウ”

「なんだ、コレはどういうことダ~」青木は叫んだ。ピンポーン。「あなたが青木さんですか」「そうですが、貴方は誰ですか」「私は貸し倉庫屋を営んでいる者です。ミュウさんからの返却物がありますので、ドウゾ」青木は男に連れられて倉庫のある場所まで行った。「なんだ、ココにいたのか~!」青木の眼の前に、10年ぶりに見る自身の所有していたラクダの姿があった。「コレがミュウさんからの返却物で~す」男は事務的に告げ、去った。「あのクソアマめ~、この相棒がいなくなったと思ったせいで、オレはどれだけ苦汁を舐めたか…」いきり立って、青木はふと我に返った。「いやいや、ミュウの手紙を思い出せ。この日々があったからこそ、オレは健康になれたのだ…」青木はまじまじとラクダを見つめた。「コイツとの生活に戻れば、またオレは砂漠を悠々と渡り歩き、富を成せるだろう…しかし、それではミュウの配慮は無になるゾ…」しばし考え込んだ後、青木はラクダに乗って、オアシスを発った。「行くぞ…」

青木の向かった先は、かつて目的地としていた商都ではなく、ゴツゴツとした砂漠の岩山だった。青木は岩山の麓にラクダを乗り捨てた。「ありがとう、オレのラクダよ。もうどこへなりと行って良いゾ…」青木はラクダに挙手の礼をした。

「オレはここで修行を積むのだ。ラクダのように省エネになろう。水など10日に1回も飲めば良い。オシッコは一日に1回1リットルきりで十分だ、濃さを重視しよう。奴はそれで200キロの荷を負って日に20~30キロを歩いていたのだからナ。あいつに出来てオレにできないことはないのダ。ミュウ、オレはやるゾ!」青木は一心不乱に経を唱え、瞑想をし始めた。

…さらに十数年の月日が流れた。青木の身体にはゴツッとした瘤のようなモノができ、なんとなくラクダのような逞しさが見えていた。「食のことを考えることはほとんど無くなった。水を口にするのももはや稀ダ…」青木はただ経を唱え続けていた。そんな奇矯な僧が山に籠っているとの噂は方々に広まり、青木を生き仏として拝む人々が次第に押し寄せるようになった。「ありがたやー」「アリガタヤー」人々は合掌し、少額のお布施を投げ置いて行く。しかし、青木にはもうカネなど無用の長物だった。「私の心にあるのは今やラクダのみ。ラクダのみダ…」むっ。押し寄せる群衆になど何の興味もなくなったと、そう思い込んでいた青木の眼に一人の女の姿が飛び込んできた。「アレはもしや…?」青木は読経を止め、突如立ち上がり、女に駆け寄った。「なんだなんだ、尊者が突然動座されておるゾー」群衆が色めき立った。「貴方はミュウさんではありませんか?」女は確かにミュウだった。ミュウは以前に比べるとハッキリと太った体型になっていた。「お恥ずかしいです、青木様、いえ、尊者様。私はあの後、ダンサーを引退し静かな生活を送っていました。基礎代謝が下がったのでだいぶ太りましたが。そんなとき、山に籠って修行している尊者の噂を聞き、もしやと思ったのです。やはりあの青木さんだったのですネ…」ミュウはとめどない涙を流していた。青木はミュウの手を取った。「ミュウさん…私はあのとき貴方にラクダを隠されたお蔭で、一度きりの人生を快楽にのみ身をやつして無駄にすることなく済みました。こうして真人間になれたのです…」「青木さん、私ももう一度体型をスリムにしようと思います…」「ハハハ。修行を始めればそんなことはすぐでしょう。どうぞこちらへ…」ミュウは青木に促され、青木の隣に座り瞑想を始めた。しばらくすると卒然と立ち上がり、青木の横でかつてのごとく舞を舞い始めた。「オオー」「これぞ踊念仏だゾー」集まっていた群衆は喝采を送った。「尊者さま~」「天女さま~」青木の瞑想とミュウの踊りはいつまでも続いた。

今、岩山には三頭のラクダの慰霊碑が建っている。青木尊者とミュウ、そして青木が乗り捨てたラクダを顕彰するものとして。ラクダを神獣として崇める踊念仏は、このようにして始まったと言われている。(完)