「ピリピリピノー」「タガタガー」

フェルディナント・マラカスは大統領宮殿のバルコニーで群衆の歓呼に応えた後、後ろの控室に下がった。

「大統領閣下、再選おめでとうございます」秘書が手を叩いてマラカスの労をねぎらった。

「うむ…」マラカスはエスプレッソを一口飲んだ。

「我が国の成長を軌道に乗せ、国民の支持を盤石なものにしなければならないナ」

「ところで、大統領…」秘書は恐る恐る口にした。「我が国の島嶼部に最近由々しい問題が巻き起こっているようです…」

「島嶼部?いったい何なのかナ?あの地震の後始末はもうついただろう。」マラカスは興味がなさそうに言った。

「それはそうなのですが…島同士の関係でギクシャクしているところがあるようなのです…」

「ふん…」マラカスはエスプレッソをぐいっと一息に飲み干した。「キミ、我が国の島のとてつもない数の多さを考えてくれ。ちょっとした部族抗争などはまったく取るに足らないのだ。そんなものにヘタに手を出しても、軍や警察の動く場面がクローズアップされて、より政情の不安を強く印象付けるだけダ。住民の数が少ないから、選挙には役立たないしナ。アレは我ら中央政府に反旗を翻さぬ限りは捨て置けば良いのダ。キミ、その話題ぐらいでは、私の目は眠気から覚めることはないヨ。呵々」マラカスは冗談ぽく笑った。

「そうですか。大統領が放置するのなら、それでよろしいのですが。私が申し上げているのは例のマクタン絡みのことなのです」秘書は深刻そうに言った。

「ああ、マクタンか…」マラカスは聴衆の去った後の宮殿前庭をじっと眺めた。「お騒がせの定番ではないか、何を今更」「そうなのですが、このところ、ウサギ島という新興勢力との間に流血の惨事が生じたのです。ウサギ島に土着化しているのは外国人なので、国際問題にならないかと」「なるほどネ」マラカスは秘書の方を振り返った。「ウサギ島はヘンな日本人の仕切り出した島だよネ?マクタンにいかにも睨まれそうだナ。しかし、キミ、日本人というのは元来おとなしいのだ。あのウサギという珍獣のようにナ。よって、中央を震撼させるような大事にはならないだろう。ともあれ、今後ナニかあったら私に報告してくれ…」「承知しました。」一礼して秘書は退室した。「アオキ…」マラカスは何事か思案しているようだった…

 

「ひょー、ウサギちゃん、もっと走るのダー。」青木は列を成すウサギの群れを叱咤した。

ウサギ島の観光の目玉を増やすため、島の海岸から沖合の岩に向けてイルカを整列させ、その上をウサギが一列に並んでピョンピョンと飛び跳ねて行く、フィリピン版“イナバのシロウサギ”事業が始まったのだった。岩まで着いたら、ウサギはすぐに海岸に引き返す。観光客はその様子を砂浜、あるいは停泊している観光船から眺めるのだった。「ブラボー」観光客の評判は良かった。最近の青木は一日中出ずっぱりでウサギを操っていた。「ふー」

「お父さん、なかなか上手いネ」砂浜に戻って来た青木をクミが優しくねぎらった。「うむ。イルカは人間に馴らされ易い生き物だが、ウサギをここまでやれるのは、このウサギ長者の私くらいのものだろうナ。」満足げに青木は自画自賛した。

「そして、クミ、ウサギ伝承館、ウサギ料理の新レシピなども順調カナ?」青木は泰然と尋ねた。「もちろん。ウサギの生態についてフィリピン人は興味深そうに学んでいるワ」クミは悠々とした感じで答えた。「うむうむ。実に良い、良いコトだ。我々への理解を深めさせることで、次なるテロを防ぐのダ」青木は天を見上げた。「クミ、私は元気だヨ。しかし、今にも崩れ落ちそうでもあるのダ…あの息子らの死から数か月、私はまだ立ち直ったワケではないのダ…」「そうよネ。私だってそうヨ…」クミは泣きそうになりながら言った。「謀反のさなかには興奮してたせいもあって悲しみなんか感じなかった。けど、時の経過とともにミチオが私に見せた優しい顔、言葉、すべてがウソだったのかと思うと胸が締め付けられるのヨ」クミは切々と言った。「おー、クミ。私は一番お前に重いモノを背負わせてしまったのかもしれない…」青木は顔を覆った。「そんなことないワ。事業拡大は私が言い出したことだしネ、もとは。アレがミチオのハートに静かに火をつけたのネ…」「うむ…そして、私が今、痛感しているのは、ダ…」青木はいったん言葉を切った。

「気づいてみると、この島には私が真に信頼をおける者があまりいないのだ。つまり、私の家族以外には本当に信じられる者がいない。従業員たちを見てみろ…」青木は船の清掃をしているウサギ観光の従業員たちを見やった。「ピリピリピー」「…言葉の壁もあって、奴らは全然信じられないのダ。MMMのモノの所持者だけを粛清したが、今掃除している彼らの中にも不穏分子がいないとも限らない。常に不安なんだ。」青木は怯えた表情になった。

「お父さん、信用できる人間はネ…」クミは青木を凝視して言った。「自分で作り出すしかないのヨ」「作り出す?」青木はきょとんとした。「結局、自分たちの身内、血筋の人間を増やす以外に方法はないのヨ。私たち子供世代はお父さんの孫をドンドン増やす。私も再婚するワ、近いうちにきっと。お父さんも老け込む年じゃないワよ。まだまだ私の兄弟をつくってもらわないと」クミは語気を強めた。「ひょー」青木の顔は真っ赤になった。「最近、完全に老翁の気分になっていたヨ…それではダメなのだネ」「お父さんは良いかもしれないけど、お母さんは完璧にまだ若いでしょうが。」クミは呆れ顔で言った。「そうヨ~。信頼できる番兵をどんどん増やしましょ。これがホントの人材づくりヨ」「やや、オミク」オミクがいつの間に青木のそばに来ていた。「通、ウサギの操縦、調教もいいけど、私もよろしくネ」「フォフォフォ」青木は満更でもなさそうに笑った。

「やや?なんだ、コレは?雪、なのか?」青木は天に手のひらをかざした。「ホントね、この熱帯の国で…」オミクとクミも空を見上げた。驚いたことに、フィリピンのウサギ島に雪が降り始めた。(続く)