例え今日 飛べなかったとしても
明日は飛べるかもしれない
例え今日 例え今
何かが思うように行かないとしても
明日 次の瞬間
急展開が起きるかもしれない
未だ来ていない瞬間
そう 「未来」というものは
常に無限の可能性で満ち溢れている
そんな耳障りの良い
格好の良いことを言いたいわけではない
時間という概念
時計という物質が
私たちに
過去も未来も今の延長線上で
1本に繋がっている
と錯覚させている
それはただの脳の錯覚だ
パラパラマンガというのだろうか
ノートや教科書のはしに
描いたひとつひとつの絵が
ページをペラペラと連続してまくれば
繋がったひとつの動きに見えるのと
同じ錯覚だ
座っている犬が
次のページでは急にジャンプしていても
その2つの独立した絵の間の
足りないはずの動きは
勝手に脳が付け足しているからこそ
連動して見える
あれと同じ
私たちの「今」は常に「今」でしかなく
それがパラパラとまくられていくことで
過去になっていく
まだまくられていない絵が未来なだけだ
しかしそれらは決して連動しているわけではなく
常に「今」という単独の時間だ
だから今、今日、何かがうまく行かないとしても
その次のページ…
つまり明日ジャンプすることも大いにあり得る
そしてその間の
足りないはずの動きは
脳によって勝手に補足され
それはまるで繋がっているかのように
見えるだけだ
今と1分後、そして今日と明日
今年と来年は
まったく繋がってなどおらず
常に今どんな絵を描いたか?
だけが
答えだ
今日が冴えない日だったのなら
明日は最高の日にすればいい
今うまく自分をコントロールできずに
思わぬ行動をしてしまったのなら
すぐやってくる次の「今」に
違う絵を
違う今を
違う自分を
都合よく思いのままに描けばいい
自らの人生に
美しい色の点を
どれだけ打つことが出来るのか
それが人生の彩りとなり
そのまま己の人生そのものとなる
「今」好きな絵を描け