徒然。家族編 | The perfect world

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いけるとこまでいこう。

先月、うちに電子ピアノが届きました。

両親から頂きまして(おねだりした32歳)、しかもわざわざ3ヶ月も入荷待ちした白い木目調なのです。

大変テンションがあがります。


一人暮らしをする時に買ってもらった14年選手の置き型のやつは業者様に引き取って頂きました。

長い間、ありがとう。


ハノン(練習曲)が楽しいなんて一生思わないと思ってたのに、練習が楽しい最近です。

弾きたい曲が弾ける様になると、

小さい頃、気分屋な私に無理矢理にでもピアノを習わせた母に感謝したりもしてます。


今、練習してる何曲かの中に母の好きな曲も入ってます。




少し前に、母が還暦を迎えたので、そのお祝いの直前に弟と二子玉にプレゼントを買いに行きました。


久々にお互いの話なんかをしながらプラプラしつつ、

来年、弟があげる沖縄での結婚式の話や同棲準備の話なんかを聞いてると、

いつの間にかしっかりやってるんだなーなんて姉としては少し驚いたりもします。


学校にランドセルを忘れて手ぶらで下校してる小学1年の弟。

同僚と彼女への婚約指輪を買いにいく弟。


わたしの中ではいつまでもイコールなわけで。


不思議ですが大変ほほえましくもあります。






まるが最近、ようやくどらのことを家族と認識してきたような気がします。


どらがいたずらをしたり、粗相をしてると、私に吠えてきます。

『あいつがまたなんかしてる!』『あいつほっといていいのかよ!』

そんな感じに聞こえてきます。


どういった気持ちから私に教えてくれるのかはわかりませんが、

ちょっとずついい関係性を築いているようです。


わざわざ2匹で並んでひなたぼっこしてる姿を見るとものすごい幸せな気持ちになります。




他所様はどうかわかりませんが、やはりうちに限っては結婚したからといってもちょいちょい山や谷があるわけです。

傷ついたり、考えたり、許したり、確認したり。

自分や相手の心に疲労や摩擦が起こりそうなことはもちろん好きではありません。


当たり前ですが苦しい工程だったりするからです。


起こった問題は小さいことだ。


それは長い人生で見ればおそらく事実でもあり、

問題に目を向けさせず自分を納得させる上手い方法かもしれないです。


自分のキャパは無限ではないので、

物事を大きく捉えず、溜めないように切り替えることが私が思う幸せへの道のりだったりします。


理不尽だと思う気持ちや、自分の我慢に焦点を当てても何一ついいことは起こらないからです。


私よりよっぽど大変な苦労をしてきたよという人がいれば、

私もいくらか自分のことを楽に思えるので、

もしかしたら私が味わった苦労も、

いつか誰かの気を楽にさせてあげることができるのかもしれません。


なんにせよ、感情なんてほっといたら嫌でも風化していってしまうわけなので、

誰かとともに生きる為の苦労ならばそれはある意味ではおもしろいのかもと思う最近です。



家庭とは家族が心を通わせる場所。

家族が愛し合っていればそこは花園のような美しい場所となるが、

家族の心に調和が無ければ嵐が吹き荒れ、花園は台無しになるだろう。


仏陀