アルプスの少女ハイジは、ウィキペディアによると1974年(1月6日〜12月29日)に放送されたそうです。1974年1月、私は5歳の誕生日を迎えていました。
主人公のハイジの5歳から8歳までを描いた作品。当時、自分と重ねて見ていても仕方ない年齢ですよね。。。
そんななりきりハイジだった私が、28歳で糖尿病を発症して。当時、アルプスを離れフランクフルトの隣町に住んでいました。
ストレスでいっぱい。対処方法もわからないまま、糖尿病を発症して。でもね、そこはさすがはハイジ。いい主治医に出会って。。。
食事療法と運動療法を開始。フランクフルトより、ちょっと田舎だったから運動する環境にも恵まれてました。糖尿病であることは、離れて暮らす家族以外まわりの誰にも伝えてなかったから、私の運動の必要性を理解して付き合ってくれたり、せめて理解を示してくれるような人も誰もいなかったけれど。
玄米のお弁当を持参して、ウォーキングに励む私の姿に「やり過ぎも良くない」と言ってくれた人が、当時いちばん寄り添ってくれた人でした。
糖尿病になって、10年。そんな環境で頑張っていたけど…もう限界アルプスに帰って、栄養士として働くことになりました。
栄養士になったら、自分以外のインスリン療法されてる方の血糖の動きを知る機会ができて。あと、平日のお休みも取れるようになって。かかりつけの糖尿病教室にも参加してみたり…3年経って、忙しいと血糖が乱れて。こんな風じゃ合併症になって、今よりもっと大変になるのに今すらコントロールできないって、あたしやばいよって。
教育入院で聞いた、15年くらいで合併症を目前に控え…とりあえず、仕事を辞めて血糖コントロール方法を探してから再起を図ることを、41歳のハイジは決断したのでした。先生たちや野球選手だってできてるんだから、私の知らない別の方法がきっとあるはず。。。
まずは、新聞で1型糖尿病の先生が紹介されてた慢性疾患セルフマネジメントに参加してみることに。。。残念ながら、1型糖尿病の患者さんの参加はなかったけど、詳しい方がいらっしゃって。そこから、カーボカウントに出会ったところで仕事が見つかりました。4月から、ちょうど半年が経ってました。
3月の管理栄養士の試験を目指しながら、新しい職場の仕事をこなし、カーボカウントもマスターして。自分の目標とする血糖を目指せるようになったことは、それだけで自信に繋がりました。
試験が終わって4月。カーボカウントのセミナーで、インスリンポンプの説明を目の前で聞いて。
(簡単。。。これなら、私にも使える。)
トイレに行かずにインスリンが打てる、仕事が立て込んで食事時間が遅れても基礎がストップできるから、補食も減らせる。一人一人に合わせたベースの設定ができる…当時、私が困っていた事を解決してくれそうな要素をいくつも兼ね備えていることは、たった1回のセミナーに参加しただけで十分理解できました。
アルプスから都会に出てきたハイジにとっては新鮮だったからかもしれません…
だから…フランクフルトに住み。
5年くらい前から、ポンプ導入してます。
毎年、「糖尿病学会に参加しますので、休診します」とか言ってるのに。
ボーラスウィザード知りませんとか。
ほかにもいくつかあったけど、忘れた。
天変地異って言うか、ハイジびっくり(((( ;°Д°))))
(何があってるんですか…)
バカになんてしてなかった。ただただ、何があってるのか理解できなかっただけ。
カーボカウントのことは、口にしてはいけないとか。自分が良かったから、良かったよって言ってるだけなのに、流行らせようとしてるとか、患者さんには患者会で睨まれたり。
そんなフランクフルトの患者会に行っても、ちっとも楽しくなくって。息が詰まりそうで。
クララはクララで、年齢を重ねて。
友だちがいなくて、さみしくひとりぼっちとかではなく。発症前からの友だちで、発症後も理解してくれるような人がいっぱい居て。
フランクフルトに行っても、ハイジはさみしい思いばっかり。だから、もう行きたくなくなった。そんなハイジに、ロッテンマイヤーさんは出て行けーって。
私は、アルムおんじを自分で探しあてて。
本物のロッテンマイヤーさんは、ゼーゼマン家に執事として雇われていたから、クララに特別だった。それなら、理解できる。
私だけが、先生たちを見下すおバカな1型患者と誤解されたから意地悪されたのか?みんなにそうだったかは、不明。ハイジは、ロッテンマイヤーさんが誤解していることを教えてあげただけ。
こうして考えてみると、成長していないのは私だけで。ロッテンマイヤーさんもクララも、そのままではない。
今回、アルプスのハイジに当てはめて考えて。いい線いってるのは、おじいさん。私の主治医は、私にとってのアルムおんじだってことに気づけたことが収穫