ニヒリズムから脱却する目的で、ハイパーなニヒリズムに走るのはそれこそニヒリズムに毒されている証拠だ。
ニヒリズムから脱却するには科学に拠るしかない。
しかし、科学する者は、哲学的諸課題を引き受けるに当たって、自己否定的変身を遂げる必要がある。主体客体の牧歌的分離の夢から決定的に訣別し、当事者が当事者を分析し批判していかねばならない。この時、絶対的な自己撞着に逢着するが、科学が、これからの科学であるためには、科学者自身がこの事態を担い、自らを変えていかねばならない。この状況を肝に銘じて生きるのである。
この要請は、量子力学が成功した直後に既に現れていた。観測問題において、ウィナーは、観測者の意識を考慮した。現代では、目立って、生物学において、緊急に研究者につきつけられている。しかし、分野は問題ではない。天文学もまた同じ、当事者は宇宙の中にいるのだから。
研究者だけでなく、生活者もまた迫られている。否、生活者のほうが先行してこの悩みを実践しているかな? 対象は常に自分だと、どこに行って何を見ようと、誰と会って何をしようと、自分を見て、自分と戯れたり葛藤したりしているとわかっているのではないか。自分は他者の内側に飛び込みはするがそこで変りつつある自分を体験しているだけではないか。そこで生じる自己撞着に悩んでいるのではないか。