2010/11/28
Aをなそう、ではなく、非Aはこれだ、と示すのが文学である。Aを読者に作り出させる。イマジン。雲の上には天国はない。空がある。クウがあるのだ。地面の下に地獄はない。従って! 宗教もない。国家を捨てよ、理念を捨てよ、ここは譲れない、を譲れ!
2010/12/02
自然科学に対して、いったいそれが、どうだっていうんだ、という立場がある。水晶宮に対しては、あれは科学の応用問題、実用化としての技術なので、混同してはならない。
2010/12/05
他人と一緒に暮らせるためには、
無限に会話が出来ること、
食べ物の嗜好が同じであること、が、必要条件である。
すなわち、他人でないことが条件だ。
2010/12/07
東浩紀のquantum familiesについて。私の、タダヨシの宣言文と関連するので、覚書を綴る。〈……〉部分が私見である。
意志の確立が普遍的立法(律法の間違い?)の原理と妥当するように行為せよ。
普遍的律法VS単独者、地下室人、テロリスト、尊厳を満たされない者という対立図式が成立する。
尊厳=希望の総量は、富の総量とは異なり、変わらない。
〈富は、現実的な物量であり、それを背景にした貨幣である。総量は技術と交通の発達とともに増加するが、人の人生の短さに比べると、増加量は小さい。ところが、尊厳とは、畢竟観念である。算定のためには、貨幣化のような物量化、数量化が必要だ。尊厳には交換過程がないから、それは不可能だろう。作者の言う工学的解決の内容は私には悲観的であると思われる。〉
地下室人、亜人間、あらゆる救済に抵抗する天邪鬼、自己懲罰者の生をそのまま受容する空間、尊厳なしで人が生きることが出来る空間を作れ。
〈尊厳死を提供する手がある。死は体験できない、死は快楽である、等の洗脳を前提とするが。〉
方法。君の意志の格律は、たとえ君がどのような行為をしたとしても、いつでも同時に普遍的律法の基礎として計算される。
〈つまり、普遍的律法は存続する。その保持に君は参加する。自由な言動をとっても矩を超えず、ではない。矩が先行するのではなく、個が矩の構成要素となる。しかし、これは、近代民主主義ではないか。近代民主主義の方が、反証可能性を自認している分、開明度が高い。〉
地下室人の世界への「貢献」を、その現実的可能性/現実的消費ばかりか、地下室人に陥らなかった場合の反現実的それら、も含めて算定し、資源を割り当てる。尊厳だけを無限の可能世界から調達する。その総量を爆発的に増やす可能性あり。
〈有限で、分配に支障をきたす尊厳が、このマジックによって、無限となる。想像を絶する。工学がブラックボックスになっている。〉
尊厳を傷つけず、ただ世界の豊かさを単独者に拒否させておき、それでも世界全体は普遍的合理性に則って運営される。
〈普遍合理性は温存される。その基礎が単独者である君の意志格律にあったのに、ここでは、君の上空を、君と雁行する。ハイパープレインとなって君らを覆う。集合が、数量から質への転化を遂げ、一般意思となる秘密は、ルソーも指摘している。東自身が引用している。〉
グローバル化、新自由主義化、監視社会化を臨界まで推し進めねばならぬ。マルクスがブルジョワ資本主義について述べたように。
キリストと真理が対立するのであればキリストの側に立つとスタブローギンは言う。未来の地下室人は宗教的にでなく工学的に救われるべきだ。
〈科学VS 私、すなわち、パースペクティヴという形式的制約(これは人類すべてに共有されているので、その意味で、世界に私は一人しかいない)と、無数の連想の束である記憶という内容的制約を基に成立している私という対立図式が成立するかに見える。科学、真理、ともに、あまりに人間的である。一方、世界に一通りしかない形式たる私は、決定的にグローバルである。実は、対立は見かけだけなのだ。
2010/12/08
続き
〈並行世界論はたわごとである。
エネルギー保存則に反しているからだ。
人間原理について。人類が存在している確率は無限に低い。どの存在もそうである。ただし、存在確率すべてを合計すると一になる。何の不思議もない。一個の存在がそう存在する確率はゼロに近い。しかし、それらの総和は一だ。一個の存在からのパースペクティヴで、ゼロに近い希少性を不思議がるのは錯覚である。別のものになったとしてその確率はゼロに近く、また別のものになったとして、……。
我々がわかるようにしか宇宙は解釈しようがない。わかるような仕方でわれわれは存在する。その意味でわれわれは宇宙の子である。すべての学問は自己解釈のためにある。そこから出られない。〉
人間原理によって、並行社会の虚構性を証明できる?
夢と現実が区別できないなら、その視点に立てるこの夢こそ現実を僭称する資格のある唯一の夢。
一方、並行社会とこの社会とを差別するのはフェアーではないという意見がある。
2010/12/08
続き。
量子脳計算機科学は、並行世界が実在する、と、量子ネットワークが並行社会が実在するかのような情報を生み出す、との間を区別しない。意識が存在する、と、ニューラルネットワークが特定の意識が存在するかのような情報を生み出すこととの間を区別しない。意識とは区別できない状態そのものだ。
〈ウイルスのように、適応進化を蓄積しない戦略をとるのではなく、進化の記録を蓄積する戦略に出た生物群は、リセットできないので、再構築ではなく上乗せすることで適応してきた。短期の危機(例えば小惑星の衝突)には適応できないが、緩慢な危機には、突然変異した遺伝子を上乗せすることで、適応できた。環境に、危機が過ぎたとき、この変異は余剰となるが、リセットできないので、蓄積していく。脳神経系が、ヒエラルキー化していき、余剰が充分になったとき、対象を持たないそれらは、自らを対象にした。過剰が遊んだ。このとき意識が生まれた。意識とは常に自己意識である。ハウリングであるから、異常事態であり、死に至る病である。形式的我、すなわちパースペクティヴと、内容的我、すなわち記憶、連想の束の誕生だ。ニューラルネットワークは、個体ではないので、つまり、生物のサヴァイバル戦略としての個体分化をしていないので、自らを対象化するのはきわめて難しい。したがって、ネットワークにつながっていない人間が、ネットワークがあたかも意識を持っているかのように感じることは大いにありうるが、個体化と自己対象化を経ていないので、ネットワークには意識はない。〉
〈ボーア=ペンローズ器官による揺らぎは、量子力学の観測問題に関することで、あるいは、シュレディンガーの猫に関することで、ここでの問題とは無関係。〉
〈ヴェルトビルデントは、幻想の実体化、矛盾がない概念は実体と同じであるという考え方、物神化の謂いである。並行社会のことではない。〉
〈複雑さの閾値を越えると意識が発生する、は、化け猫の論理。歳を経た猫はある時突如化け猫になる。〉
〈解離性同一障害は、内容的我が、連想の束であることを示している。現時点でのそれの横方向の切断面を見ると、優勢劣勢濃淡広狭はあるものの、無数の記憶痕跡からなる地図である。障害ではなく、健常そのものだ。束の中にストークが混じった場合、あるいは時間的に、縦方向に連想が連鎖してストークをなした場合、多重人格が生じたように見える。束全体を一本のストークと見做していた、我に対する唯一性の幻想が暴かれる。〉
脳の複雑さは一つの意識を作り出すには充分だが、命題空間全体(へ?)の発散、つまり魂の並行世界への遊離を引き起こすためには数桁足りないのだ。
〈全く逆である。複雑さは充分過剰だった。一つの意識という固定観念を実は超えていた。個体としての自らを対象にするたびに前回とはズレた自分を見出す。〉以上で、quantum familiesについてのメモは終わり。
生命の生き残り戦略の飴と鞭は、欲望、快楽と苦痛、恐怖である。
それらと実質の関連は恣意的である。
りんごをなぜりんごというかに理由はないように。
死が、体験できないのに、恐怖を与え、死はむしろ睡眠との関連が強いと思われるのに、苦痛との関連を強調するのは、生命のたぶらかし戦略の一例である。
2010/12/10
生命の原則に則って生きると、人間界では悪とされる。生命が悪である。善という糊塗に何ほどの力があろうか。
2010/12/11
認識は自然のまねである。
もちろん自然は認識などしない。在るだけだ。
まねをしなければ認識できない。理性とは、人間の中の自然性だ。
しかし、認識が方法化して(それはしかたがない)、認識の方法に神学的な、形而上学が入り込んだ。それが数学だ。
無限、連続云々。自然界にはない。自然を捉えるための連続的近似、シミュレーション、イラストレーションだ。従って、仮説のための道具として有用だ。自然の不連続を、連続で近似してわかりやすくしてくれるが、誤解も与えた。さらに、自然は演算しないのに、演算を導入した。
当面の対象がなくても、励起状態を保つ脳神経系は、つまり、暇でうずうずしていたが、いじる相手の見つからなかったそれは、自己を対象にした。
沢山の戦争と危機があった。その時の脳の発達は消えない。リセットできない。遺伝子に蓄積された。敵のいない平和なときには、相手がいないので、自分を相手にした。ここが、意識の発生の秘密だ。
2010/12/14
ハードがソフト化する過程がある。人類が辿ってきた道だ。量と数が質に転化するだけでなく自己対象化を経て意識が発生した。さらに、空である内容を埋めるべくハードがソフト化する契機があった。ソフトそのものなどない。ソフトもよく見ればハードだ。ソフトとは、目的的な、モノ、だ。目的は、過去の連想がシミュレーションする情報だが、情報は光の点滅と同じ、エネルギーの差異だ。エネルギーとモノとは同一である。
2010/12/21
人間の本性=悪が露出するのは、甘えの許される時。危機と戦争の時。両者の現象面での正反対の印象に反して両者を貫く解放のチャンス。甘えを生む母子関係は悪の温床か? 甘やかされた子供の成人後の悲惨。愛されなかった(子供にとっての危機と戦争)子供の成人後の悲惨も。
2011/02/13
永劫回帰について。
科学的にはありえない。宇宙は、膨張と収縮を繰り返しているのではない。発散の過程にただあるだけだ。
しかし、実感なのだ。
回帰があると仮定して、その周期は?
あっても、ワタシ、には関係ない。
ワタシ、はいないのだから、一秒であっても、無量大数であっても、差異がない。
自分を意識するには、前もって相当悪いことをしておかなければ出来ないものだ。
2011/03/28
モノの使用価値と交換価値の差異を如実に物語るものが、個人的な思い出の品だ。無名の人物の古い写真、手紙、描いた稚拙な絵等々。
交換価値は特異な観点(例えば歴史的価値)から見た場合を除いてはゼロだ。使用価値は、当人かその親族にのみ生じるだけだ。その価値の実体は、心理的な、効果の範囲が限られたものだ。モノを無理やり商品とみなすとこんなことになる。
2011/04/05
9・11で、アイラヴユーが、最後を迎える人たちが最も多く発した言葉だった。3・11で、被災者が最も多く発した言葉達が、がんばる、大丈夫、ありがとう、心配するな。
すべて
常套句だ。言葉にうるさい人間は、ばかにすべきか?
いやいや。常套句だからと反撥するのは、教条主義者がやることだ。
常套句が指し示す、内包する事柄は、常套句の普遍性が潜在的に意味する重大なそれである。
2011/04/07
形式的我は、その同型性を同一と見れば、世界に一人しかいない。
内容的我は、個々の経験内容が同一でないゆえに、自己同一性が保証される。一人一人の我は、世界に一人しかいない!
イニシエーションは、社会の分節化されていることを若者に思い知らせるためにある。カオスを分節化するのが言語だ。イニシエーションは、言語の存在とその習得を幼児に促すことに似ている。
博愛と偏愛が矛盾するのは字義通り。
偏愛の代表的なものは、恋愛と親子愛だ。この二つが、偏りなく、普遍的で、博い、のは皮肉なことだ。博愛は敬して遠ざける。偏愛こそが広く愛される。偏愛と社会基準とは激しく対立する。三高、五高は恋愛を醒めさせ、模擬テストの結果、入学した学校のレベルは、親子愛を親子喧嘩に変える。
悲惨を同時に共有し、同時に了解したとき、運命を共有したとき、モラルは生まれる。われわれは素晴らしく高潔になる。震災と津波で覚醒することもあるだろうが、原則として、生の有限性、死の確定を共有しているのだから、モラルはほとんど先験的である。
芸術的知性とは何か。ゴッホの手紙にそれを感じる。ゴーギャンのノアノアにも。
合理的であると、なかなか個別が見えない。合理が進んで個別がわかり始めたときには、もう遅いことが多い。論理に時間はないので、そこで躓くのだ。この躓きは、論理が内包する(内包していないから躓く?)本質的なものだ。
冠婚葬祭は、現実への恐れから生まれた。それが伝統の礎となった。
脳について。
先に大容量のハードが出来てしまったとする。ハードがソフト化する。余剰と余裕が自己対象化のきっかけとなる。
母性愛が宗教の源泉である。生命連鎖の基でもある。男が宗教に関わりあう場合、女性的な部分に依拠していない場合には、自己処罰的犬儒主義、マゾヒズム、あるいは、権力意識を背景に持つ政治的功利性に、モティヴェイションが潜んでいる。
母は、東京に行ってらっしゃい、大舞台で勝負をしなさい、と願う。別れたくないし、その後、迷惑をかけさせたくもない。どの母も、自分の不幸を誰にも言わない。それを体験する母は、それを残したくない。そうするから不幸は温存されてしまうのだが、だからといって母を責めるのは酷だろう。
点描を、線分描にしたのがゴッホ。
2011/04/09
既知の現象に対しては、それに対する反応が過剰であるといえる。
未知の現象に対しては、過剰反応こそが、ノーマルな反応だ。
2011/04/09
生命の誕生以来数十億年も浴びている定常的放射線と、突発的な変動の激しい放射線とを、量だけでは比べられない。
保守主義的ナショナリストは、文化本質主義的=実体論的な国民観を持つ。三島がそう。
だが、新しい教科書を作る会の代表であるかのような坂本多加雄は、国民とは想像の共同体である、という、ベネディクトアンダーソンの構成主義的な国民観を採用。実体論的でなく、作る会の代表らしからぬ。
アリストテレスを賞賛するノートを作ろう。時代が経っての有利性を、一切表わさない批判ノート。
2011/04/10
卑しい人間、さもしい人間を、どれほど嫌悪するか、つくづく嫌と思うか、どれほどそれらが多いか、その多さにどれほど落胆するか。
そのやつらも、赤子の時にはそうでなかったろう。いつからそうなった?
大問題だ。
あの天使が、いつから卑しくなったのか。なぜ卑しくなったのか。
おまえはどうだ、と、君はきっと言う。
だから、なんだ。
もしかして、ワタシも卑しいかもしれない。それが、どうした。
卑しいのを目にし、係わり、ともに過ごし、別れる、それが、どうした。
2011/04/30
この世が仮の世であると見做すのは間違っている。
これが実体である。可能性がとても少ない現象ではあるが、実体であることには間違いない。仮想であると思うという思い方が錯覚である。
色即是空が間違い。実体しかない。素朴経験論、外在論を言っているのではない。
回転が、乱転から、直線を軸にする安定回転にいたるまでどのくらい時間が必要かは、物理的に解明できる。それによって宇宙の開闢まで遡行できるだろう。
ピョートルが、沼地をサンクトペテルスブルグに化しえたのは、ヴェニスの都市化工法を取り入れたからなのではないか?
2011/05/05
詩は他者性の体験として理解されるべきだとバスは言う。
さて、詩人は、自らを他者と感じるのか、表現対象を他者と感じるのか。
詩人は、空を描くとき、空となっているのであり、従って、第二の場合はありえない。自らが、今までの我から離脱し、他者となった体験を詩として表現するのだ。異化とは、自らの他者性に合致する言葉を紡ぐことによって対象が自らに同化することである。対象との同化が表現の異化をもたらす。
バス自身は、あの人やこの人を本来の他者にすることと、自らが変身して自身本来となることとの二つを並べて述べている。
世界のイメージの消失と普遍的な言葉=科学技術の出現が、意味を危機に陥らせる。科学技術の向こうは未知であるか何もないかだ。未来は我々を襲ってくる未知のものであり、過去は、無意味であった一連の努力だ。科学技術の普遍化は、あらゆる場所である一つの場所での、狂乱的静止となって現れる。これは、固有の生とは正反対の体験。
では、固有の生とは? 固有の生とは、自身に見られる他者性の認識だ、とバスは言う。この絶対矛盾の並立!
統一的な調和社会の破綻。分散へ。分散とは無数の小規模繰返しのこと。盲目な自我同士の盲目的な戦い。同一の自我にすぎない者同士の。その繁殖、蔓延。自分自身であることは、統一的だった自身に手足切断の刑を宣することと同じ。
批判。
近代が自己批判の末にニヒリズムに陥った。
一方、詩は、自己批判の、たどり、の表現である。
どちらも自己批判であるのに、一方は退廃に陥り、他方は、未来を切り開く希望の伝手であるのはなぜか。
種、類、とは、激烈に相反する個は、ときめきと偶然で、実は、種と類と、さらに生命を持続させるのだ。生存は、類では、そのレベルでは、維持できない。その時、その場のときめきがすべてだ。それが、類全体を、結果として救う。生命は、特殊個別が、全体を維持するように、仕組まれている。
2011/05/11
断定のビー動詞、とは、結論をあらわす。あるいは、一瞬の印象を表す。
結論の前に、長い行動があった。経巡り辿る一般動詞の連鎖があった。これを遮断したのが印象だ。それには、自己の蓄積のいくたりかが投げつけられる場合と、他者の異形さに打ちひしがれる場合と、二通りある。
2011/05/24
共時的に、複数のものが一致していること。通時的に、一連のものが同型であること。これらが正しいなら、実は、それらのものは、一個しかないのではないか? 例えば、物理的な基本粒子は一個であって、それが超高速で飛び回っているので、時間的にも空間的にも断面をとれば、同一のものが無数に観察される。あるいは、時間も空間もないのではないか? だから、無理に時間を作ると、同一のものが、多数見えざるを得ず、無理に空間を作れば、やはり同一のものが多数見えざるを得ない。
笑いの連発を見て聞いて、なんだかお世話になった気がしないか? こちらは面白くはないが、偽の善意から発した偽の笑いを供与してくれただけでもありがたいと思わないか? それほど我々は貧しいのだ。
視聴者側の優位性を疑わしくさせるような言辞を振りまくコメディアンも、それと並行して、優位性がくつがえらないことをそれとなくあるいは露わに視聴者に示しているからこそ、面白がられる。へまや不快を人は楽しむ。NG集が何故受けるかわかる。
証明は奴隷がしてくれる。喜怒哀楽は女中が肩代わりしてくれる。愚かしさは世間が荷ってくれる。君はただ生きればよい。なに? あれらのくだらないものがなければ生きることにはならないだって?
悪魔が神の全能性を試す:
「あなたが持ち上げられないほど重い石を作りなさい」
言語は要約である。縮退である。どんな描写も実態に近づけない。言語のテクニックは指し示すことを目的にしている。
正しい道を確認するためにはロバに後ろ向きに乗らねばならない。
彼の狂気には筋道が通っている(ハムレット)
不均衡が宇宙を生んだ。しかし、その不均衡が宇宙を崩しかねない。産むと殺すには差がないという一例。
Idiotのギリシャ語での意味は、特異性。ところで、存在するものはすべて特異である。
概念は、対象の不自然さを説明する。しかし、技巧として、想像上の解決として、利用すべし。
厭離穢土=白痴的現状は我々に何も提供しないから、我々の欲望は存在しないものに向う。存在が白痴的、マイナスなので、非存在を求める。
女の言い分。毎月の生理がある限り、形而上的なものは受け入れられないわ。
守られるべき秘密がないという秘密を守るために全力を尽くしている者は誰だ?
カイロス=予期せざる生起。後頭部が禿げている。(時機を失すると終わり、ということ)
規則は例外への例外。
子供のころを顧みて。「いつから空想は非現実的になったっけ?」
物理学はファンタジー。空間のみが、虚が、膨張している。
道徳におけるアソビ(酒、祭り、……)は、痴愚の取り込み。
合唱訓練と一般教育の相似性。
人為と自然の対立は、自然と偶然の対立と呼応する。
2011/05/27
言葉は表現でなく具現である。(オクタビオ・パス?)
具現は宗教で具現する。ソシュールは、言葉は具現であると言っていたことになる。
カテゴリー化された情と情そのものとは違う。情の残骸、見かけの情。分類されたとき、もとの情は既に死んでいる。
2011/05/28
理系って、体育会系に、似てねえ? バカだよね。
ということは、体育会系の理系の無教養たるや、当然体育会系を越えるね。
契約たるものは、社会契約、つまり、全体社会を維持するための個々の権利に関する妥協、だけだと限定するのは、人間の傲慢でしょ。
柄谷行人の、交換形態による分類で、社会構造を分類するやり方が、アルチュセールの構造化によく似ているなあ。
2011/06/03
生命という賭け。個別も、類も、全体も。
2011/06/13
多数決とは、採決以降、文句を言わせない方式なのであって、正しい判断とはなんら関係ない。不遡行の原則とこみになって、権力がここで生じる。民主主義と呼ばれる。その正体は、決まったものは仕方がない、覆せない、従わなければならない、という、奴隷精神である。
一枚いくらの世界において、借金まみれのバルザックは、細かく書いて枚数を稼ぐように強いられた。経済の近代化は、文学の近代化を生んだ。文字による詳細記述は、神話世界から近代世界への転換を促した。
2011/06/15
有限集合において、Aを含むすべての集合の共通集合はAとなる。つまり、すべての必要条件をANDで結ぶとAとなる。つまりそれは充分条件でもある。つまり必要充分条件となる。
何故左へ行けと強制するのか、私は右に行きたい、それは私の自由だ、と主張するとき、その選択もまた決定されているならば、決定論が関わる問題は、すべてのものはクォークで出来ていると主張するのと同様の、閑問題である。何故自由と主張される事柄があるのか、つまり主体の存在の根拠、錯覚の理由を明らかにすべし。
対象をこれ以上みつけられなくなった飽和期があったらしい。
自らを対象にした。こんなはるか昔に近代が発祥したとは。
脳の近代性が実現する過程が歴史であり、ヘーゲルである。
2011/06/21
この世が夢かもしれない、両者の混同が起きている、ということはない。
君は忘れてしまっている。夢は、焦点を持たない。よく思い出せ。夢の世界にいるとき、君は、焦点と、それ以外との顕著な差を意識したか? していない。後から、現世と同じように見たと思っているだけだ。夢では、現象は、焦点が当たっているところとそうでないところとは、差異なく現れる。ベタだ。遠近法がない? 夢の中で移動するとき、景色も移動したり回転したりするので、あるいは、はるか地平線上にある大構造を見はるかす時、遠近は意識できるので、特異な遠近法が支配しているというべきか。その特異性を見極める必要がある。しかも夢の中の視覚像は、現実よりもはるかに詳細だ。圧倒的だ。都市を見たとき、そのすべての建物の詳細が焦点がないから一挙に同時に見える。山を見たときそのすべての木々の詳細が一挙に見える。夢とはそういうものだ。だから、夢の中にいるときは、いることがはっきり分かる。人は、夢の中では、サヴァン症候群に陥る。