私の母が嘗て新潮社から出版した私の父の看病日記は、ベストセラーとなった。二度テレビドラマ化された。父親役は、一作目二作目ともに田村高廣、母親役は一作目岩崎加根子二作目左幸子。映画化の話もあり、監督恩地日出夫、父親役は、田村高廣か芥川也寸志、母親役は左幸子の予定だったが実現しなかった。
本の裏表紙に本の一節が引かれている。
「最後のさいご迄君の手を煩わしたね」と私をいとおしむ夫の声が聞こえる。パパ、サヨナラ。私は夫の死体にマッチを擦る。星のない夜空に、まっすぐに一すじ召された生命の煙が静かに昇ってゆく。パパ、本当にサヨナラなのね。枯れていたはずの涙がまたあふれ出て、細い白い煙が見えなくなった。……
この時母は三十五歳だった。十年前、八十六歳で死んだ。
前夜まで私とおしゃべりをしていた。連想豊かで、ユーモアとウイットに富んだ話し手だった。こういう人間を、治療を取りやめて死なせてしまうといつの間にか決まっていた。妹は、私が反対するのはわかっていたので、私に知らせずに万事手配していたのだ。
絶対許さんからね。
(煩わしたね、は、まあよしとしても、死体にマッチを擦る、は、唐突で舌足らずなモノスゴイ表現なので、編集者たちとの間でいくらかのやりとりがあった。結局、当人のその時の生々しい実感が尊重されて、原文のままになった)