眠れ、眠れ、いとしい坊やよ、
夢の中で、お遊びなさい、
雲雀といっしょに空に昇り、鯨といっしょに海に潜り、
夢の中で、お遊びなさい、
朝の光と母の乳房が、目覚めるあなたを迎えるまでは……
ところがベータ、子守唄の効果なく、たちまち目を覚ましてしまった。
再びヘレンから離れて遊びだす。明らかに興奮している。
赤ん坊をつくづく観察できる時間が持てた。こんなに近くで、こんなに長い間、観察したことはなかった。おや、不思議。時間が経つにつれてベータが、ヘレンそっくりから僕そっくりへと、みるみる変化していくではないか。今まで長らく続いていた錯視が融けていった。なるほど、普段は、ヘレンに抱かれたベータしか見たことがなかったから、両者の顔が常に接近していた。だから、類似部分がそうでない部分を圧倒し、覆っていたのだ。空咳する、爪を噛む、舌打ちする、額にしわをよせる。今まで見えたり聞こえたりしていたはずなのに意識しなかったことが、次々に露わになっていった。姿かたちだけでなく癖までが、鏡に映る自分を見るようで、もはや疑いはありえなかった。たとえ反動としての新たな錯視であるとしても、それにまったく根拠がないわけではない。僕は、久しぶりに再会した我が子のように、この新たな見え方を、喜んで迎え入れた。
かつて見た夢の中で、この子は大声で泣いていた。闇の中に、この子と僕しかいなかった。うろたえた。どうしていいかわからなかった。母については、わずかで断片的な声の記憶しか残っていない。声量豊かな、若い女の声だ。父とは、会話、議論、質疑応答等のかたちで日常的に交流はあった。僕の声と区別がつかないほどよく似た声だった。だが姿を見たことがない。赤ん坊を抱き上げて揺すぶりながら、そんな両親を持っていた僕は、大急ぎで幻想の親子関係をでっち上げた。夢から醒めるほどの激しい、しかし観察に基づく見よう見まねにすぎない優しさをこめて、父親役を演じた。こんにちは、あっかちゃんー、わたしがぱっぱーよっ。はい、もうだいじょうぶ。よしよしよし、いい子、いい子。これからは、パパとママとで暮らそうねー。酔って醜悪な自分や過去の無思慮な自分を思い返すときのように、夢の中での滑稽な自分を思い返すと恥ずかしさで泥まみれになる。
時々、ベータの体臭が漂ってくる。はるかな昔この乳臭さをかいだ。ドギーの、僕自身の。僕は、赤ん坊に向かってドギーと言いそうになった。ドギーと僕は生まれた時からの幼馴染だった。兄弟だったかもしれない。双子だったかもしれない。鏡に映った僕自身、僕という同一者であったかもしれない、はは。僕がどんな錯覚に陥っていたのか、あるいは、親達が何をしたのか知れやしない。
幼年時の記憶にむせそうな僕は、さーて、とわざとらしく気合を入れると、えっ?というヘレンの声をあとに、四つん這いになってドギー、ではなくて、ベータを追った。途中で気がついたベータは、奇声を上げて逃げる。何度かジグザグに方向を変えて走りまわった後に、急に止まった。僕はその体の上を、触らないように踏まないように気をつけながら通過した。体をねじりながら腰を下ろした。ベータはまた両脚をつっぱらせてそのあいだからヘレンを見ようとしていた。さっきと同様に横に倒れた。めげずに繰り返す。やっとわかった。でんぐりがえりをしたいのだ。僕は、近寄っていくと、ベータの後頭部を押さえながら寝転がり、逆さになった赤い顔に向かって言った。へそを見なさい。ああ、ペニスじゃない。あいている右手でへそを押さえた。腹の皺に埋まっているので今まで気づかなかったがでべそだった。向こう側に倒れた。起き上がってまた四つん這いになったベータの肩をつついた。しょうがない。見てなさい。久しぶりだ。やって見せた。自分のペニスを見てしまった。もう一度ベータの後頭部を押さえ、下腹を持ち上げ、でんぐりかえした。痛くなかったか? ベータは両手両脚を空にばたつかせながら、きゃきゃきゃきゃきゃ、笑った。背後からヘレンの笑い声も聞こえていたが、ふり向かない。何を笑っているのかはどうでもよかった。ただ、彼女の寛容な気持ちがしばらくは変わらないことを祈るばかりだ。視野の隅ではメノトが形相ものすごく僕をにらんでいた。
ベータは、笑い止むと、僕を一心に見上げている。何かまたしてくれと言っているのか。
さっそく言葉を教えることにした。両手を引っ張って坐らせる。首が揺らぐ。僕はその横に並んで胡坐をかいた。対面すると僕の表情やしぐさに気をとられて耳がお留守になってしまうからだ。
父が僕に言葉を教えた時のことを思いだす。
父の声が初めて部屋に響き、パソコンの画面に何かが踊り始めたとき、恐怖のあまり脚立から転がり落ちそうになった。
「初めに言葉がある。言葉は私とともにある。私が言葉だ」
ナレーションと文字が同調していた。僕は、話し言葉と書き言葉を同時に教えられることになった。
僕は父のようにはしない。僕なりのやり方をする。初めに言葉があったとは、もう思っていないからだ。
では何があったのか。僕の体験によれば、映像があった。
混沌のイメージが最初にあった。ぼんやりと光る赤い闇だ。もし、瞼を開き、充分発育した眼で見たならば、真っ赤であると予想されるような闇だ。実は、閉じた瞼と羊水を通して見る、毛細血管の張り巡らされた子宮の内壁だった。その後、光あれ、とは誰も言わなかったのに、光に包まれた。実は、たくさんのカメラのフラッシュだった。これらの視覚映像が周辺の記憶をよみがえらせる。寝ぼけたままで安楽をほしいままにしていた僕が、一転、苦しみとともに悟ったのは、自分が溺れかけていることだった。身を震わせて吐いたあとの空洞に、風が入ってきた。体の表面にも風が這っているのが感じられた。内からも外からも風に包まれた。ナントイフホガラカサ……
右膝がむず痒い。風ではなくベータの左手が、僕の膝を揺すっている。さっさと始めろ、と要求されている気がした。さて、どうしよう。
僕らの前にはたくさんのヒマワリの種が散らばっていた。それらはモノとしては分節化がなされているが、この距離からは相互の差異は見いだされない。僕は一粒摘み上げると、ベータの鼻先に突きつけた。ベータの目が寄った。
「いち」
つかもうとして手が伸びかけてきたとき、元あったあたりに投げて戻した。散乱するヒマワリの種にまじって、それはもうどこに行ったかわからない。人差し指を伸ばし、ぐるぐる回してあたりを指しながら言った。
「いっぱい」
ベータは身を乗り出して、まぎれた種を探し始めた。横からこっそる見ると、見開いた目がせわしなく動いていた。
Φを0、{Φ}を1、{Φ、{Φ}}を2、{Φ、{Φ}、{Φ、{Φ}}}を3、……、と称することにすれば、零を含んだ自然数を構成できるが、歴史的には、順序が逆だっただろう。多があるから一に気づいたのだろう。零の発見は、さらに時代を下ってからのことだ。存在が先行していて、無はのちに発見されたことが、無の虚構性を意味するわけではないが。
一という言いかたには意味がない。一か、ONEか、UNUMかという差異は、示される概念が同一である以上、たいした問題ではない。摘み上げて、何らかの音を声に出すことこそが意味ある行為だったのだ。ところが、それもまた恣意的であるかのようだが、本当にそうだろうか? 自分もまたベータと同じ状況にあると想像してみた。視覚に限らず、感覚器官はのっぺらぼうを知覚出来ない。世界が子宮内壁のようにのっぺらぼうのままならば感覚器官は発生しない。例えば視野には、運動とともに万華鏡のように変化する無意味なアラベスクがすでに拡がっているだろう。やがて立体視が可能になるにともなって、アラベスクも立体化する。焦点と周辺の分離が生じ、焦点がさ迷い始めるが、動きはランダムで中立的だ。やがてこの動きにアラベスクの歪みに応じて生理的反応としての偏差が生じる。その歪みの典型は、アラベスク一単位内の連続変化と複数のアラベスク断片らの同型性だ。むしろ、無意味で雑多なアラベスクの中の結晶というほうがふさわしい。では、次に何が起きるか。この事態を前にして我々は何をするか。
離散しているが同型とみなされるモノが複数すでに存在する場合が、散らばったヒマワリの種をベータが眼前に見ている今の状況に当てはまる。状況全体を無視する場合は、何も生じない。そうでない場合、ベータが、いくら熱心に探しても、ついにあの一粒は見つからず、任意の一粒を摘み上げざるをえなくなるのは時間の問題だろう。その行為は、同型複数という状況に条件づけられ方向づけられ動機づけられている。恣意ではなく、強いられているのだ。一に対応する数詞の発生は、同型を同一視してそのしるしを脳のどこかに刻むことを前提にしており、いきさつがハイパーなので時期的に遅かっただろうが、強い必然性を持っていたはずだ。個々のしるしの特異性を免れている分だけ一般性がある。強烈な同型性を前にしてついに差異を見出せなかったという挫折の後に、同型と見なされるものを要素とする集合にしるしが与えられ、次にその集合内の差異のない要素に番号が振られたはずだ。同一視し、その集合で割った後の世界は、もとの世界とは異なる。この操作が数え切れないほど繰り返された後の仮想世界に我々は生きている。
語一般の起源はどうだったのだろう。やはり、発生の時点では、発生を強いられた可能性はなかったか? たくさんのしるしが生まれ、社会が生成するに従って、しるしの倉庫は込み合ってきて、相対的に独立していたしるしたちは相転移を起こして、強い絆で結ばれるようになり、互いに自分以外に従属し、関係圧が意味を生み、言葉となる。もはやしるしは言葉としてしか生じえなくなる。我々は言葉に堪能になり、そのぶん同一視化は狙い澄ましたものになる。実は、この、強いられ、こそが恣意だった、としたら、ものも言いようというしかないが、生きのびるべしという至上命令が恣意として現れると考えれば、真実のにおいがしないでもない。いやむしろ、生きのびんがために“自然”を歪めて生きる我々の矛盾がよく見えてくる。ベータは、まだその矛盾にさほど汚染されてはいない。しるしの倉庫は、ヘレンというレファレンス装置としてとして外部に控えており、生きのびるべしという至上命令もヘレンという保護者によって担保されているので、比較的にだが恣意からは免れているからだ。
言葉と言語体系の関係を、個と社会、商品と市場、生物種と生命全体の関係に投射することはある程度まで可能だろう。自然科学もまた、多数の同型の存在とその繰り返しを成立の条件にしている。一般言語との違いは、言葉の一意性が保障されている点だ。一意性、一、いち……
「いちといっぱい。今日はここまで」
未だにヒマワリの種の上を這い回っているベータに呼びかけた。僕には計り知れない何かを目印にして、探し続けているのだろう。分節化されていてなおかつ差異のないものがあるのを理解するにはある程度成長が進んでいる必要がある。目の前に同時に散らばる同型だけではなく、時系列に沿って現われた同型を記憶の中で併置する場合のほうが多いだろうから。現時点でのベータは、固有名詞に相当するナイーヴ極まりない道具で世界を切り取っているのだ。ベータは呼びかけに気づかない。徒労に終わるしかない熱中に憑かれている。いくら探しても「一」自体はどこにもないのだ。徒労であることはこちらもわかっているが、意味ある経験になると思い、放っておいた。ついには、散らばっているそれらを同一視せざるを得なくなり、ヒマワリの種に相当する何ごとかを発見するはずだった。それもまたどこにもないのだが。かわいそうなことをしたと反省する。もっと早く止めさせればよかった。大声で繰り返した。今日はここまで! 夢から醒めたベータは僕の正面にやってきて、両手をついたまま、次を促すように僕の唇をじっと見詰めている。
おや、もっと聞きたいのか? 難題を出して欲しいのか? 今日はここまでなんだから、もうお勉強はしなくていい。夜寝られなくなるぞ。
しかし、余計なことを付け加えてしまう。
君にもドギーの様な友達が出来るだろう。いち、ではなく、いっぱい、できるだろうよ。そのころには言葉の学習も進んでいるはずだ。それらの友達に言葉を贈りなさい。友達を作ることと言葉を贈ることが結果として重なるといいね。
これからどうやってベータを教えていくか、何の見通しも持っていないのに、大それたことを言ってしまった。
言っていい資格があるとでも自分に言い聞かせるかのように、手を伸ばした。ベータの上唇の下に人差し指、下唇の上に親指をつけて、開けたり閉じたりしながら、パパ、とささやいた。四回、五回と繰り返した。六回目に、ベータは僕とハモッてパパと言った。ベータの声は僕のより大きく、パパは明瞭に、パッ、パッ、と分節化されていた。
ヘレンに聞きとがめられた。
「ちょっと、もしもし、あなた、何をしているの。私が黙っているからといって調子に乗らないで。いかがわしい行為は許さないからね」
ヘレンは怒鳴った。上半身を左右に揺すって抗議した。鼻を振るっているかのようにも見えた。いかがわしい行為か。そうだ、そのとおり、調子に乗っていかがわしい行為をした。僕を駆り立てたものは何だったのか。こんなことを繰り返さないために、早目にその正体を明らかにしておく必要があるだろう。
僕に対する関心というより、僕を媒介にした過去の自分に対する関心を、かすかだが少なくともさっきからヘレンが抱いているようではあった。市民が、通常は、持つはずのない関心だ。だからこそおずおずと後ろめたそうに、様々な目つきを駆使して、こちらを探っていた。この細い関心の糸を慎重に手繰り寄せていかねばならないのに、ヘレンの立腹で、それが切れたようだ。またもや僕は失敗したらしい。
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