イルカよ、イルカ
私は、ある年の冬、心屈して、江ノ島の海辺を口笛を吹きながら散歩していた。ついさっきまで、波音がBGMである飲み屋でビールを飲んでいた。ドイツ人のオヤジが、キリンビールはすばらしいといいながら、瓶のラベルをはがそうとしていた。張ったものではない、とは、言いそびれた。そこを出て、憂鬱の散歩。寒風。冬の浜辺は、寂しくて、寄せる波だけがさわいでいた。口笛を吹くのは宿痾のような悪癖だ。すると、私に合わせて口笛を吹く者が後からついてきた。あのオヤジのはずはない。どんなやつかとふりかえると、波打ち際で、ぶりぶりに太ったイルカが声を挙げていた。身をゆすりあげ、のけぞり、ねじれ、でんぐりかえり、腹を見せ、いかにも楽しそうに歌い、話しかけてきた。にこにこ笑っていた。
ああ、あの時の、イルカ。イルカよ、イルカ。
牝ライオンにかみつかれそうになったことがある。額をぶつけ合った。温いつばが膝にかかった。しかし、本気でないのはすぐに分かった。テキは不審げだった。あるいは僕を好きになりかけたのかもな。
決して真似してはいけません
牛と格闘した。鼻の上、目の間を狙って正拳を突き出しても上に跳ね上がってしまう。ジャンプして上から垂直に撃つしかない。岩のように堅い。つのを両手で握るとハーレーダヴィッドソンのハンドルよりもっと幅広い。間近に迫る左右のこめかみ、目と目の間隔、気持ち悪いほど幅広い。目がぐりぐり左右別々に動き、時々白目を剥く。テキが首を持ち上げると、こちらはエレベーターに乗ったときのように体がふわり宙に浮く。下から突いてくる。かわしにかわしたが、右体側、腰骨から脇の下にかけてメスで切ったように裂かれた。周りの現地人はかかとで円周を地面に描き、金を回す。どっちだ、どっちだ。賭けをやっているのだ。続々人が集ってくる。ニッポンの空手使いだぞ!。ところが、やがて牛が私になじんでしまった。勝負にならない。手や顔を舐めてくるんだ。
そうならない牛がほとんどだろうから、決してまねしてはならない。死ぬぞ。
小学校一二年生の時、須賀という同級生と共に、勝木という苗字の女の子の家を訪れたことがある。名は忘れた。弁当を入れたリュックを背負ってでかけた。山腹を切り開いた崖の下に、家畜と共にその子は暮らしていた。やせて色も形も牛蒡のようで、ねんねこ半纏を着ていた。ずっとヤギが鳴いていた。私たちが去るとき、その子は大声で泣いた。学校で口をきいたことはない。しばらくしていなくなった。
私は、2003、4年頃、郊外物語という小説を四、五日で書きとばした。出雲大社と日御碕灯台がでてくる。
高校一年生のとき、ヒッチハイク旅行でそこを訪れ、異様極まる体験を持った。
大社の舞台で踊っていた○○○○という名の巫女のあとをつけていった。何故名前が分かったかと言うと、バスの定期券を見せてくれたからだ。檜の舞台で鈴を鳴らし袖で口を押さえながら舞う。
夕暮れ。ポンポンと焼玉エンジンの音を立てながら、次から次に沖から漁船が戻ってくる。崖下、崩れかけ、驚異の古代遺跡。来てもいいけど、あにさんがいるよ……。お互い、十六歳。
同じ旅でだが、別のところで、近隣では女神様と称された絶世の美女の家に泊まった。子持ちだった。三歳の男の子。亭主、半年は帰ってこないの。地球の反対側にいる。
私は、北海道の北東部を除いて、日本地理の授業を、全て実体験でやって見せる自信がある。実際そうやってきた。世界地理は、……ちょっとね。旅に溺れた青春だった。
何度も危険な目にあった。思い返すとぞっとする。よくまあ今生きていられることだ。
STAP細胞
リプログラミング特にSTAP細胞の研究は、進化論における適応を説明する一助になっている。元に戻ってやり直すというやりかたで適応する場合もあるということ。遺伝子と(幹)細胞とではレベルが異なるが、バッファとして、中立遺伝子のように、幹細胞が働く。STAP細胞がセントラルドグマを覆すことはない。しかし、外部からの遺伝子導入なしで、物理化学的ストレス(strong environmental cues)だけで、DNAメチル化が減少し、エピジェネティックな運命の決定を遡行し、幹細胞が出現するとは!。万一そのCUEでついでにシトシンが引き抜かれたら、遺伝子異常が起きる。
世代交代する理由
死という激烈なストレスにおびえて初期化したのが究極のSTAP細胞としての生殖細胞だとしたら……?。
インドネシアに住んでいる元日本兵のインタヴューを視聴した。うーん、そうですねー、私自身、逆にー、意外にー、などとは一度も言わなかった。日本語による対話がシャープであったころの証人だ。
トロイ戦争で行動の動機となった出来事は、女の奪い合いだ。戦争戦利品のひとつとして女を奪い取る。それを奪い返そうとする。あるいは、女を返してやろうとする者の女を替わりに奪う(その女も元もとは戦利品だ)。展開の分岐点になった出来事は、相談されたか懇願された神の采配だ。戦利品として女を扱うことや抑制の効かない怒りの噴出は、社会の野蛮さを示し、判断停止と神への依存といつまでもきりのない悲しみは、人間の未成熟と甘えを露呈している。これらが我々が今に至るまで共有してきた本音であり実態であり無意識であるならば、トロイ戦争以後の三千年、我々は何をしてきたのだろう。いくら「戦争とは政治の延長上にあるのであって、優れて外交的政治的である」とクラウゼヴィっツが唱えても、彼の説に違和感を感じ、イーリアスとその無数のヴァリエイションに共感を覚えるのだ。だが……。
例えば、現代の戦利品としての女に相当するものが、石油だとしたら?
神の采配が、アレだとしたら?
未来の人たちは、牛や豚を屠殺する我々を野蛮極まりないと思うだろうし。
古代中国人による動物の分類。ヴェイユやフーコーやボルヘスが呆れかつ感動して引用していた。レベルの異なるものの猛烈な相互異化作用。ハイパー視点の駆使。自己言及。見よ、この世界観。
動物は次のごとく分けられる。(a)皇帝に属するもの、(b)香の匂いを放つもの、(c)飼いならされたもの、(d)乳呑み豚、(e)人魚、(f)お話 に出てくるもの、(g)放し飼いの犬、(h)この分類自体に含まれているもの、(i)気違いのように騒ぐもの、(j)算えきれぬもの、(k)賂蛇の毛のご く細の毛筆で描かれたもの、(l)その他、(m)いましがた壷をこわしたもの、(n)とおくから蝿のように見えるもの。
私の断食計画。丸一日コーヒーだけで暮らし、翌日はヨーグルトだけで暮らし、腸内で細菌が充分増えた頃に食べ始める。地震や戦争が起きるなど、いざとなれば、水だけで生きていける(はずはないか)。
未来への姿勢
生きること? 未来への遡行だ。注意。後ろ向きになって過去を眺め渡しながら、後ずさりで未来へ。光り輝く未来を見たいなどと、誘惑に駆られて振り返ってはならない。塩の柱になるぞ。
森繁久弥
森繁久弥がぼけた振りしてせりふを覚えずほとんどアドリブで通したのは、ひとつには、噛むことを恐れていたからだ。アドリブでさえ時々噛んでいた(そのときの悲しげな表情を見よ!)のだから、記憶の負担に耐えながら噛まずにいられようか。ふたつには、自らの話術に絶大の自信を持ち、脚本家を馬鹿にしていたからだ。脅迫されているかのように本を読み続けることにより言葉を磨いてきた彼は、脚本家達の文章をとるにたらぬと相手にしなかった。ごく少数の例外がいたが。
昨年の紅白で、あの子が最後に詰めのせりふを忘れて、ちょっと振り向き加減になってから正面に向き直って、JeJeとと付け足すように、しかも二回しかJeを繰り返さずにつぶやいたのは、ほほえましかった。JeJeを相対視しているのがばれた瞬間だった。あるおばさんタレントが評していわく、ありゃあ処女だからねえ。
おれとお前の仲じゃないか。なあなあの擬似兄弟関係。ちょっとした状況変化や出来事がきっかけで、あっさり主従関係に転換しうる。いじめの話ではない。やくざや武士のつながり方のことだ。
政府は、物質化情報化したインフラの要請、現実化可能性を、税を根拠に、税を払ってくれるからと、請け負っている。税をもとに、その○○倍もの価値があると見做される政策を実施する。政府そのものがレヴァレッジをかけtている。ケインズはまだ有効であると思っているらしい。民間とは違って、自分らがそうしてもコケないと思っているようだ。その自信の根拠は何か。リーマンの時の金融エンジニアらが、まだ、うろついているから、政府に何と助言したか聞いてみたら?。
生命の奇跡。結局私たちなんぞに達してしまった奇跡。
快をもたらす究極のリズムは十六ビート?
モーツアルトの成功の原因のひとつは、当時の倍のテンポを採用したことにある。ジャズに対するロックの立場をとった。ところで、某氏曰く、結局は、十六ビートが、ロックだけではなく、ガムランもフラメンコもサンバもが共有する、普遍的な快を醸し出すリズムである、と。果たしてそうか。
偶数拍子よりも、三連符に感じるという者もいるのだ。チック・コリアもそうだったかな。心臓の拍動音とアフリカ原住民の叩く太鼓のリズムが同じであることを実証しようと試みたドキュメントフィルムを見たことがある。ズタタズタタズタタズタタ。
私はドラムを叩くことがある。三十二ビートも時々試みる。夫々の音源に高低をふり、音階を作ってメロディーを打つことも(ドレミグラスのようでなにやら悲しくなる)。だがズタタが基本だ。リズムに関する限り、ドジンだよ、私は。ズダダが大好きだ。たっ、楽しい。
やっと見つけた差異
双子の姉妹に紹介されたことがある。それまで双子を見たことは何度もあり、双子の友人すらいたが、この姉妹ほどそっくりな例はなかった。気味が悪いくらいですね、目がチカチカします、と言うと、お二人はにっこり笑って、互いに手をとり頬を近づけあって歌い始めた。玉をころがすような美声。途中から高音部と低音部に分かれた。二人の差異は、ただ音域が高いか低いかだけだった。
キリスト復活のトリック
推理小説家ヴァン・ダインの、モーゼの十戒に比すられるほどの二十の禁止則がある。その二十番目のひとつに双子の替え玉トリックを禁ずという項がある。これをやってはミステリーどころではなくなる。
死んで三日目に復活したキリストは、動転する弟子たちに、私は幻ではない、私の肉体を触れ、と言っている。弟子らは実際触った。
双子の兄弟がいたとしたら、この奇跡はミステリー作家らがやってはいけないと自制している安易な手を使ったことになる。ナグ・ハマディ写本に記された双子の弟ユダ・トマスが、兄の死の後に現れたなら、復活は茶番であったことが分かる。
生前の奇跡のいくつかもこれで説明できる。例えば、瞬間移動。
そもそもキリスト(兄弟)は田舎から世界の文明文化の中心であったアレキサンドリアへ渡った留学生であった。他にも多くの似た例があった。当時いかにも賢い少年らがそこに結集した。化学、医学を学んで無知蒙昧の民ばかりの故郷に帰ってきて、化学実験をやって見せ抗生物質治療を施せば、それは奇跡だったろう。二つのかけ離れた文明文化を生きることが出来る疎外されたインテリは、ときに、救世主になることがある。
作家の素性
ナボコフが社会主義を毛嫌いするに至ったのは、みずからの日常の災い、すなわち、ロシア革命のせいで亡命を余儀なくされたということだけではなく、家族がらみで拘わったチェルヌイシェ―フスキイに対しての、幻滅があったからだ。具体的なチェルヌイシェ―フスキイについて、ナボコフほど詳しい男はいない。主義への反発から芸術至上主義に走ったのではない。若書きのころから、もともとその傾向があった。社会主義には興味半分いやいや半分付き合ったという事情があった。
付言。ロリータがなかったら、彼はどうなっていたのか。
バスのかわりに動物の背に乗って
牛は一頭日本円換算五百円、ラクダは七千円、象は八万円だった。インドでの話だ。
牛を売ってくれと言うと、何に使うんだとオヤジに訊かれた。乗っていくんだと答えると、いかにも滅相もないと怒ったふうで、どなられ断られた。宗教的な事情でそうなのだろう。こちらも、さらには求めなかった。牛はのろいし、長くは歩けない。頻繁に、立ち止まるか座り込む。何度も乗りかえねばならない。水場を探すのに長けているラクダに乗ってデカン高原を横断するのはいいアイディアである。だが、オヤジが、売りたくないのか、僕を脅す。扱いが難しい。すぐ逃げられる。休憩する時は脚を折リ曲げて縛っておくが、こちらが近くで眠っていると、曲げた膝をご主人様の胸に押し付け、のしかかってきて潰し殺されることもある。まして象なぞ相手にしたら、何が起こるかわからない。象は踏むのをうれしがる。
はかない空想は潰えた。普通にバスにした。
信じたあんたが悪いのさ
死者も出たアレは内輪もめだった。しかし、ツーカーの密着した内輪だったなら、原理的には、もめるはずはない。けれど、現実には憎しみあいがあった。近いほど憎くなることの好例だといわんばかりに。近親憎悪の矛盾から、人間は離脱できない。こんな事態をもたらした元、その犯人は、愛情あるいは理念だったと思われる。利害以外で人間関係を仕切っているのは、それらだと信じられていた。本当に仕切っていたのか。いいや。言葉に騙されていた。個別にそれぞれを第一原因とみなしてそれに則って行動する方式がそもそもまちがっていた。スローガン主義至上主義の破産。
ところで、アレに何を代入すると話が具体的になるのだろうか。内ゲバ? 家庭? オウム? それともやっぱりアレかな?
崩壊していく私
間主体は、個別の主体を前提にしているので、主体が疑惑の的になってから(I=Idea)ずいぶん時間の経つ現在では、無効になりかけた概念だ。主体は個体という生物的な土台を持っているかのように見える。個体が一個の統一体と見える限りにおいて、主体もまた、一個として、確固として、存在しているかのように見える。主体は、我と称して日常世界を動き回れるので、便利である。しかし、個体と主体の間には深くて暗い川がある。そもそも個体は、統一体と見るよりは、逐次更新して止まない多数の要素の流動的協調関係と見做したほうがより現実的だ。(言ってしまうが、存在するのはこの事態だけで、主体は幻想である。この事態を、意識に汚されているなどと言って意識のことを分かっていない段階で排し(つまり証明の過程で結論を使ってしまうという誤りを犯し)、カッコに入れて還元するなど、ゆめゆめしてはならない。残ったものは語の一義性が通用するためにだけ作られた貧困で観念的な無対象世界だ。存在だけは存在するだって? それがどうした!)
間主体には二通りの意味がある。ひとつは、主体同士のインターラクティヴィティーとして、主体外部での関係性としての意味だ。もうひとつは、一つの主体内部で、多くの主体の共存しあう際の関係性としての意味だ。他者同士ではあるが相互に認識しあう人格が合作した多重人格性(dissociative identity)ともいえる(通常の定義では、それらの人格の根はひとつ。他者は結局存在しないという立場に立てば、それができれば、通常の定義内に入る)。外部にしろ内部にしろ、主体を前提にしているが、問題は、内部間主体だ。内部の多くの主体夫々はまた内部に多くの主体を含み、またその主体の内部には……と、きりがない。この枝分かれをどのように収拾できようか。むしろ、収拾できない事態に陥ることが、後者の意味での間主体が誤謬である証拠となる。そして、前者において、主体同士のインターラクティヴィティーが個々の主体内部に反映することから、後者における帰謬法を前者に応用することが可能になる。
言葉はどこから来たか?
目的合理性――警戒音声、威嚇音声、求愛のさえずり。 コミュニケイティヴな合理性――群れた鳥達の地鳴き。親和性の確認。くっくるっくくう。
すべての鳥達の持つこの合理性を、言語発生を促した主要な二つのモティヴェイションと捉えよう。
かぐや姫だったカラス
私は一羽の若いカラスと仲良くなった。巣から落ちたのだろう。我が家にかくまって練り餌を作って与えた。やがて元気になった。私が、散歩すると、彼女(たぶん。小柄で嘴も小さくて後頭部がはねてなくて団子っ鼻だったから)も私の後をついてくる。私は後ろ手に手を組んでゆっくりと歩く。彼女も、私の手の組み方をまねてヨチヨチと歩く。鳥は、構造上後ろ手に翼を仕舞っているのでまねをするまでもないはずだが、彼女は、私が肘を百三十五度ほど開いて腰の上に両手を結んでいるのを観察して、それと同じように、翼をやや外に開き、しかし肘(というのか?)から先はつぼめて尻の上で両翼の先を結んでいた。まるでぶかぶかの外套を着て北風に向かって前かがみで歩く宮沢賢治みたいだ。私が速く歩きすぎると、ヤンキーねえちゃんそっくりのだみ声を出してアタイを置いてく気かよと抗議した。近所の人たちによく笑われた。みんな―、ほらほら、また来たわよ、そっくりね。屋内でも、私の後をついて歩き回る。一緒に眠る。私はカラスが夢を見ているのがわかる。つぶやくうわごとを聞いたり、目の下の顔面痙攣を見たりした。毎晩その現場を体験した。言葉を喋ると上手にまねをした(糞便のしつけはついにおぼえなかったが)。その能力は幼児より明らかに高く、言語についてのイディオ・サヴァンかと思ったほどだ。日々刻々、分節化が明瞭になっていき、まねをするだけではなくなって、要求や質問をするようになった。ミズ、チョウダイ。ナニ、コレ。私は、はじめ、幼児に言い聞かせるように話していたが、ませてきたカラスは、不満げな様子を表すようになった。普通に喋ってくれ、だと。普通に? カラスが私だけの関係から類推して普通に到達するはどういうことだ。とんでもない関係が開いていきそうだった。結婚してくれなどと言われたらどうしよう。
別れの日が来た。何日も前から、家の周りが騒がしかった。親やその仲間が居場所を探し当てて連れ戻しに来たのだ。電線や屋根の上に、ヒッチコックの映画のように、何羽もおしくら饅頭さながらにとまった。連呼、連呼。かぐや姫が月の世界に帰るように、カラスはあっさり、空へ飛び立った。彼女が飛んだ姿をその時はじめて見た。帰ってこなかった。おきなは、呆然、取り残されただけ。
私の母方の祖父は建築士兼宮大工だった。欧州で催された万国博覧会の日本館で、五重之塔を組み立てたり、京都風に庭を造ったりした。欧州人は手先が不器用で、こちらは怒鳴りすぎて声が枯れた、と言っていた。何故責任者に選ばれたかというと、番付に、アルファベットを使っていたのを評価されたからだそうだ。しめたと思ったと、うれしそうに語っていた。
一緒に銭湯に行ったことがある。小五だった。私を長々丹念にあらってくれた。新聞読んでるか。あたりまえだろ。幼稚園の時から読んでる。国際問題を少し語り合った。おじいちゃん、うれしそうだった。おじいちゃんのペニスが私のかかとに乗っかって、だけど、おじいちゃんは、私の体を洗うのに一所懸命で、それに気づかない。
ああ、あのペニスが、すべての始まりだった。
巨大な車輪が舞台にしつらえてあり、輪が六等分されて、それぞれに座席があり、網タイツをはいた美女が脚を組んで坐り、ぐるぐる回る。見ている私の眼も回る。それを背景に君臨。舞台中央で絶叫するのは花柄ワンピースに超高ハイヒール、アナーキスト笠置シヅ子。両肘を挙げ、てのひらで両胸を下から揺さぶり上げるようにして踊る。ここは東京日劇だ。巷では、朝から晩まで、りんごの歌が繰り返し流れている。
明石家さんまを見て何故笑うのかが分からない。意識的に見てきたわけではないが、何十年も見ている。皆さん笑っている。私は一度も笑ったことがない。
タモリが抱える深刻な諦観やタケシの抱える激烈なニヒリズムをさんまは共有していない。ただの芸人である。
では、タモリやタケシを見て笑うか? たまに笑う。しかし、本当の笑いかどうか自信がない。同感した際の合図のようなものではないか。
喋々雄二(喋々雄二の夫婦善哉)や、やすしきよし(プロポーズ大作戦)は、面白かった。
ミヤコ蝶々個人は好きだ。女社長の蝶々、社員のダイラケや藤田まこと、お茶くみのハセくん(長谷百合のちに藤純子に替わった)が、殺風景な固定場面で織りなすやり取りは傑作だった。男はつらいよで、渥美の母親役を演じた。シリーズ最高作だと思う。蝶々は、徹子の部屋に出て、黒柳を食ってたね。黒柳が、これはかなわんと苦笑いしていた。
だが、心底笑ったのは、子供の頃に聞き耽った落語だ。師匠たちは私の国語の先生だった。
今のお笑い番組を観ても笑えない。私にとっての天然自然の笑いのチャンスが、芸人社会から消えた。成人となって私の笑わされる容量が尽きてしまったのか?
笑わせることは好きだ。人を笑わせることで笑わされるのが尽きたことを補っているという自覚が今はある。
供給が需要をコントロールすることが、近代の技術で支えられるようになったので、経済の放漫が可能になった。コントロールされていることに気づいた者達が採った方策はストライキ、すなわち消費ボイコットだった。ストライキはなかなか止まない。
集団で踊って歌う女子を見ていて、うちに帰って勉強しろとは、言うも野暮だ。そっち方面では、はじきだされあきらめている若い子が、明るい振りをしているのを見るのは、痛々しい。はなはだつらい。こっそり集団にもぐりこんで、かせいで逃げようと企んでいる子も、中にはいるがね。もっとつらいね。
はあ? 大きなお世話だろー。もっと言うとね、ある意味、お前らのせいだろ。
そうです、で、実はファンです!
(自信と確信に満ちてやってる子がいるのには気がつく)
再訪
昨日久しぶりに築地市場に行った。平日なのに込んでいる。外国人もかなりいる。地球の歩き方なんて、今でもあるのかな。やはり、多くはガイド情報を頼って訪れたのだろうが、それでもかまわないと思う。その後、進化するでしょう。昔行ったすし屋のお品書きを見ると、やたら高い。場外市場でも、商品の値段が高い。海苔が十帖で三千いくらか。一ヶ月前に訪れた朝鮮半島では、海苔なんて二束三文で売られていたのに。
(ご旅行のお土産で頂いた海苔を、家族みんなで、奪い合いです。はしたない。けれど、それほどに、美味しいんです。)
ソウル市庁舎前広場で、ベースアップのためなのか労働者集会が催されていた。警備する警官隊の数が膨大だった。大通りだけでなく、狭い横丁にもびっしり並んでいる。大交通渋滞。警官達の顔を見ると、ボス以外は皆あどけない。男子高校生を動員したのかと思った。
大挙して中国からやって来た某有名宗教団体の信者達(この集団もまた警官隊の警戒対象だ)が街頭で太極拳風の踊りを舞った後、両手を空中に挙げたまま静止の姿勢をとりつづけた。異様である。私も真似して傍らでやっていたが、くたびれて下ろしてしまった。彼らはその後もしばらく続けていた。苦痛を強いられる集団にろくなものはない。
昔、ソウルを始めて訪れた時、密入国したらしい脱北者に対するリンチの現場に遭遇した。リンチされる前に、なぜ脱北者だとバレたのか、よほど注意はしていただろうにと、不可解だった。しかし、しばらく現地にいると、ああ、あそこを歩いているあの男は脱北者だなと、不思議にもカンが利いてきた。身体全体から発する異質な物悲しいオーラが周囲から浮く目印になってしまう。けっこういたな。
韓国人の振りをしてうまくいっていたばら色の時間がしばらくあった。だが、しばらく喋っているとバレる。殴られそうになったこともあった。言葉の未熟に加えて、日本人である私から発する異臭のようなものがあるんでしょうね。あんた、キョッポ(日朝混血)でしょ、といわれたこともあった。
なぜ、あの時、韓国に行ったのか。二つの目的があった。その内のひとつは、天皇族が、朝鮮半島から北九州に向かって船出した港を探し出すことだ。
もうひとつは光州事件の現場を見ること、現地の人たちの意見を聞くこと。(のちに、カービン銃で撃つ姿勢を何度もとる酔っ払い男と一晩飲んだ。)
第一の目的に従って、半島南部を電車に乗って東に西に行ったり来たりしながら、モース先生に倣って、貝塚ではなく、古代の港湾遺跡を車窓から探し続けた。そして。みーつけた!
韓国人は任那の日本府の存在を認めないが、それがあったらしいところの近くに、河口を人工的に掘り込み港のように整備した痕跡をみつけた。周りは雑木と竹やぶだ。車窓からだからこそ俯瞰可能なので見分けられた。山の方から下ってくる流線と、それとは異なる、海岸線と垂直に山側へ延びる線が、ダブっていた。だが、すこしズレてもいた。その違和感で、気がついた。
私はその村(邑)の役場に行き、古墳を見たいと申し込んだ。教育委員会らしき所に通され、発掘調査をしている人たちと話をした。お茶と海苔を巻いたせんべいが出た。英語はあまり通じなかった。日本語は、ためしに喋ると、年配者らはわかっているようだった。しかし、一人が注意した。日本語は喋っていはいけないことになっています。緊張感が漂った。韓国語は、一夜漬けに近いけれど覚えてきたので、ハングルを読んだり簡単な会話をしたりはできたが、古代の歴史のディテイルを話題に出来るほど巧みではない。通訳がついた。通訳と喋るぶんにはかまわないらしい。シルヴァー人材センター派遣とでもいうような、相当年配の、日本の高等女学校出身という方だった。彼女は淡々と若い頃の日本での生活を私に語った。
発掘担当の男性二人(漫才師のように説明が流暢だったが、双子だそうだ)、邑の職員、通訳のおばちゃんといっしょに、私はずらりと並んでいる古墳群に向かった。こんなにたくさん! 特別な土地であるのは明らかだった。振り返って海側を見ると、ちょうど風景が北九州と鏡像になっていた。小学生の時に見たような景色だ。
日本からの調査隊は今まで来なかったのですか? 双子のどちらかが答えた。
一度あります。奈良県の桜井市から調査に来ました。
つい先月、桜井で、発掘中に、新たな発見がありましたよ。(その後、卑弥呼の墓の可能性のある遺跡までみつかった)
おおお、そうですか。
うれしそうだ。ふたりとも。反応が左右に対称的で、同時で、さすがだなと思う。任那はなかったと、さっきまで黒板に地図を描きながら、熱弁、訴えていた彼らとは、ずいぶん異なる。
一年後、私のところに手紙が届いた。消印は渋谷だ。あのおばちゃんからだった。
私は、いま、日本に来ています。事情があって、お金を稼がなくてはならなくなりました。渋谷の韓国料理店で、住み込みで働いています。情けない身の上です。日曜にキリスト教会に行くことが私のただひとつの心の慰みです。女学校の同窓生は日本にたくさんいるのですが、どういうわけか、連絡したのはあなただけです。あのときのことが、頻繁に思い出されます。
教会の場所が書いてあったが、私は行かなかった。手紙を一通だけ書いた。
一ヶ月前の韓国旅行は男友達三人とでだった。朝から、コンビニで買ってきたマッカリをホテルで飲むような乱暴な旅行である。あっちに行きこっちに行き、することは、飲んだり食ったりだけ。二十回以上来ているという男が案内人だ。私は三回目。
東大門は、むしろ飲み屋街、食いもの屋街だが、南大門は本格市場だ。案内人の御贔屓の双子の老嬢がやっている店で、私は明太子と胡麻葉の漬物を買う。角の乾物屋で、かさばる海苔を二束買う。安いね。かぐわしい香り、厚くてこしがある。でも、店のねえちゃんは不機嫌だった。ほとんど儲けにならないからだ。二束三文の品なのだ。築地市場とはえらい違いだ。
(ご旅行のお土産で頂いた海苔は、、家族みんなで、奪い合いです、はしたないほどです。香ばしくて、歯ごたえがあって、あぶってお醤油にちょいとつけてご飯に巻きつけると、もう美味しくておいしくて。)
私はあのおばちゃんのことを今思っている。
不健康を維持するためには、健康であらねばならない。
日常単語は多義的だ。単一の語をとり上げたらば、漠然とした分野を示すだけで、その中ではなんとでも解釈できる代物だ。だから、コンテキストの中でだけ、語は意味を帯びる。コンテキストの構造が確固としているか、全景をとらえているか、に応じて、語は明確さの度合いを決定される。個々の語の意味成立のためには、その前に歴史と展望=コンテキストの存在が必要条件だ。言霊の名の下に単一の語の多義性を神秘化するのは退廃である。コンテキストはまたより大きなコンテキストに含まれる。きりがない。それによってコンテキストが意味を持ち、個々の語がさらに自己の意味をより明確化するか? 必ずしもそうはならない。大きいコンテキストがもはやコンテキストとして保(も)たないことが頻発するからだ。コンテキストにはサイズに限界がある。無数のコンテキストの並立に対しては、メタコンテキストがありうるのみで、それは恣意性のまにまに揺れ動く。
山口瞳が、野球の解説を聞いていて、裏の裏を読むといっているが、単に裏じゃないのか、と疑問に思ったらしい。
逆に、が耳障りだ。聞くたびに何が何の逆なのか考えてしまう。私自身、も、単に私ではなぜダメなのかと考える(自身がつかざるを得ない場合もままある)。よくわかんないけど、を聞くと、何故考えないのかと、言いたくなる。知らない、分からないという返答は最も屈辱的だ叫んだ某女史を思い出す。これは知っているがそれは知らないので今調べてみます、あるいは、ここまでは分かるが、それ以降は質問させてください、が普通の反応だ。よくわかんない? では、少しは分かるのだな? それを言ってほしい。考えたのはどこまでなのか、言ってくれ。当人の怠惰やこの場なぞどうでもいいといった態度、いいかげんな人品が見えてくる。
言ってることは分かるけど、も、分からないの表明だ。どう分かっているか言ってみてくれとは、もうこちらはわざわざ言わないが。
知覚表象の上に記憶表象が乗りその上に想像表象が乗る。当たり前だ。想像表象の内に生きている者が、記憶表象を上書きし、知覚表象が再生、というよりは新生する。倒錯だ。だが、これをやっている時間の方が多いとは思わないか?
汚れちまった悲しみに、などと、えばってはいけないな。もう少し子供をやっていなさい。
愛の伝道師キリストが、妻であるマグダラのマリアとやたら接吻するので、弟子達が嫉妬して言う、何故私たちを彼女ほどに愛さないのですか?
ふふ、マリアほどに君達を愛せたらいいのになあ。
墓につばを吐きかけろ!
楽しい作業のひとつに、古典、規範に対する挨拶がある。
この玩びに淫すると、瞬く間に時は過ぎるので、適当に身を引くべきだ。が、楽しくて、やめられん。
おためごかし、パロディ、アイロニー、アイロニーに対してのアイロニー、偶像破壊、意味多重化。引用しておいてからの、あるいは、引用する前の段階でのぶち壊し。
公にしたくない、記録として残しておきたくない作業だ。感想だけは言っていいかな。
私は一人ではない。私たちはひとつだ。
実は、私たちは一人だ。
世界認識の方法=パースペクティヴィティが同型だからだ。このことからは誰も逃れられない。絶対的な与件だ。
かつての形而上学と認識論の歴史を捨て去って、脳科学や生理学、生物学に依拠していいのか。重大な問題が、問いかけが、ないがしろにされていないか。
何故それに気づかないのか。
個別に与えられたパースペクテヴィティが同一同型イソモルフであるので、私=私たち、は、ひとつしかないという秘密を知れ。全世界で、無数の私がある。しかし、私はひとつだ。
個別が、個別なのに、ひとしなみに世界との向かい合い方が定義上パースペクティヴのみなので、絶対の同型となるのだ。
私たちは、見やすい多様性と差異に騙されてきた。陥りやすい錯覚に何万年もの間とらわれてきた。大昔から近代は(ポストモダンも!)始まっていた。
つい先日まで、指折り数えられるぐらいの例外者を除いて、世界中の私たちが天動説をあたりまえだと思っていた。私たちが不動で全天が動いていると当然視する傲慢を恥じろ! ちょっと前まで、明けの明星と宵の明星と二つの金星があると世界中の私たちが信じていたのだ。おお、まい、がっど!
今だって、とんでもない、まことにとんでもない錯覚の中で私たちは生きている。錯覚であることを明らかにしたら、世界が絶叫するだろう。
で、その内容を、言って、いいだろうか? すでにもう冒頭で、ちょっと、言ってしまったが。さらに言っていいのか。幸福のためには言ってはならないことがある。
昔、真剣だったのに、ある事情でうまくいかなかった男女は、いつ再会するかもしれない機会に備えて、心身ともに美しくあり続ける。いいことだ。ついに死ぬまでそうなのだから。
葬式は、分際を弁えての上で、厳かに執り行うべし。そうしなければ、参会者らは、将来自らの死を悼まれないかもしれないという不安に苛まれることになる。
年金が少なくなる不安よりも、自らが死んだ時の敬われる度合いの減少のほうを、年配者は気にするのではないか。
カミュの文章を久しぶりに読んだ。形容詞や副詞を使わざるを得なくなる時に舌打ちをしているな。我慢できないように時々長文が混じる。禁欲達成度は、ヘミングウェイ、ケインと同程度か。その分、皆さん、動詞に凝るが。
では、それらの品詞を使わざるを得なくなる事態とは何か。
読者が気にも留めない、とるにたらない所でお座なりの語を書く場合。たとえば、一瞬。表現行為が、読書行為の、隙に乗じる一瞬。作者の都合だけだ。
あるいは、使わなければ、誤解が生じる場合。
情景だけでなく現象描写に関する私の拘泥は彼の文章を読むうちに解消された。ありがたい。描写をせず、二キロ、徒歩、動作あれこれ等、即物的だ。省くべき所をわざと省かない。細密描写はせず、ポイントだけ抑える。カミュは現象を嫌っている。
例。少し待つことになった。待っている間、管理人はずっと喋っている。
ところで。異邦人は、罪と罰を強く強く意識しているなあ。ドストイエェフスキーとの違いは、ハードボイルドであるから、周りが取り乱すのを書いておいて主人公はあくまでもクールのままにするところだ。それに読者が乗るか乗らないか、意見は二つに分かれる。
インターネットを駆使して知識を得られる。しかし、それが表層的だと気づく。秘密にせまるべく、知的好奇心旺盛な若者は、ハッカーになる。たいした秘密ではないが、想定内ではあったが、秘密は秘密、希少性を欠いていない。しばしの間、独走できる。爽快至極。この誘惑に、頭のいい、モラルのない少年少女が、抵抗できるか。
つきあっている男に、他の男と寝てかまわない、むしろ積極的に寝てみろ、と言われると、つい先日まで処女だったか、それと、さほどかわらなかった女は、寝てしまう。
この体験はなんだろうと、驚きや好奇心に圧倒されっぱなしの女に、判断力の出番はない。
寝ていいといわれたから寝ただけで、と後でいってきても、男はとり合わない。
ひどい話だ。いや、話のはなしではなかった。女と男と、どちらがひどいのか。
諸行無常だと観念するのはやめて、諸行無常であることに感嘆したらどうだろうか。
「あなた、私が死んだらどうするおつもり?」
「自殺するよ」
「まあ、やめてよ。滅相もない。おちおち死ねやしない」
「それが狙いだ」
(おやまあ。わざわざ私が言ってあげたんでしょうに。お馬鹿だわねえ)
戦争に明け暮れている時代は母様があるじ(主。ぬし)。おさまってからが父様があるじ。戦争中は父は家にいないのだから。父は帰ってきて、外では新体制に依存しつつも、破綻した権威という戦争の余韻を家庭にだけはいつまでも残す。父性は父性であるものの、戦争が終わってからはかくもいじましい。その父たちが死んでから私たちはどれだけの時を過ごしたことだろう。私たちは何を受け継いで何になったのだろう。皆々が愛していた、やっぱり死んでしまった母たちよ。
E・トッドは、家族構成が、それに対応する社会の最下部構造であることを、発見した(すべてのパターンを尽くしてはいないと思う。あえての、省略があった)。 下部構造は下部と言う言葉を使う以上定義からして幻想ではなく物質的なので、構造は物質でないから、私の言葉遣いが不適切だが。
トッドは、まことに単純な、生存形式の対応関係をつかまえたかもしれない。すなわち、家族構成が、社会構造とhomomorphic(準同型)であることだ(人間関係を順序構造と見て保存する)。
両者の間の質的差異が、従来の説ほど決定的ではなく、全体からのたくさんの準同型像が部分をなして全体を形作っている。歴史的には逆であるが。だから、各々の類型たちの生成変遷の歴史を、別個の作業の結果、明らかにする必要があった。それも彼はやった。
構造にこだわるとこうなる
構造が元から一挙にあったというのはたわごとだ。構造はじわじわとだが変質するものだ。構造化されたせいで変質の進行が相対的に緩やかなので検討しやすい。検討しやすかったからこそ構造が見えたというところもある。
無矛盾な構造は、無矛盾であるという条件だけでえてして存在してしまうことがあるが、構造を作り上げるレンガである要素が存在するのかという異議はありうる。
点を指でつまみ上げて見せろといわれて出来る者はいないが、点と見做せないものはないと言えない者などいない。点は実在しないのに普遍的だ。では、存在しているものの特定の要素を存在していない点に載せて構造化したときその構造は(もとの存在とは別個に!)存在していると言えるのか?
定常流
安静状態にある生体のどこを切っても血、リンパ、電子等の定常流がほとばしっているのが見て(電子は…)取れる。定常でなくなった時は生体の危機を意味する。流れがなくなれば生体ではなくなる。流れの通路は、閉回路をなすかのようでもあるが、たどっていけば外との出入り口である端を持つ。生体は、流れに浸かった無数の水車小屋を持つかのようだ。しかも実は水車小屋自体も流れである(私は局所的な定常流だけをとり上げているのであって大局的な「動的平衡」に言及しているのではない)。あるいは、生体自身が、内部に流れる川に、絶え間なく入り、水浴びをしているとも言える。いつもの場所でいつもの川に浸かると思うのはまちがいだ。同じ川に二度入ることは出来ない。