専門書を読むことを読書とは普通言わない。
だが、専門書であれ一般書であれ、知識を得るためであれば、その知識は確定した認可されたものだ。
最新の、あるいは仮説的な、あるいは実験中の情報は、本には載っていない。
では、何のために本を読むのか?
知識としては、自分の知らなかった確定し認可された知識を得るためだ。知識を得る時、自分の無知を恥じるマゾヒスティックな快感を嫌がると、知識は増えていかない。
問題が知識ではない場合、読む理由は快楽だ。マゾも含めて。
私は本を読みたいがために、いくつかのことを断念した。ちっともかまわない。
自分は本を読むために生まれてきたと少年の頃思ったのだもの。
日常、5,60冊並行して読んでいるので、何が始まり何が終わったのかよくわからん。だが、海に漂うくらげのように、私は活字の大洋に身を任せながら、感じる。
うれしい、うれしい、うれしい。