古典文法について、助動詞の、る、らるの最初の意味は、自発(自然にそうなる、いつの間にかなる、知らず知らずそうなる。するではなく、なるに近い。意識的意思的ではなく、情に流れる)だった。そこから可能の意味がでてきた。自発を拒否されたり、抑圧されたりして、不可能という事態が生じた時、打ち消しと一緒に可能の意味が出てきた。興味深いのは、打ち消す助動詞を伴わなくても不可能を表す例があることだ。平安びとは、言はるるを、言はれぬ(ざる)と理解していたふしがある。(当時、言ふ、を命じるという意味では受身にしない)。
肯んず、は、もと、不肯にサ変のすがついたもので、かへ+に(打消しの助動詞の上代形)+す
だったが、にが音便?(肯ふが下二段だからおかしい)してしまい、肯にすがついたサ変複合動詞だと誤解されるようになったようだ。
最大値を求めよりも、最大値が求まるためのXの変域をもとめたり、最大値の範囲を求めたりするほうがめんどうだと説明し、例を出した。
知人とその仲間たちが中近東のある国を訪れた時の話もした。
砂漠のオアシスに高層ビルが立ち並んでいる。小さいが異様に豊かだ。その国の人は労働をしない。労働者はすべて移民だ。遠くフィリピンあたりからも出稼ぎに来る。
スルタンはパオのような臨時のパーティー会場を作ってくれた。たくさんの料理人が山海の珍味を調理して、今にもベリーダンスを踊りだしそうなロマ(ジプシー)の女たちが給仕する。実際、ロマ女たちはダンスし、曲芸した。
片隅で群れていた大臣たちが、知人を傍に呼んで、訊きたいことがある、と言ったそうだ。
なんだ?
世界に戦争がなくなるためには何をすればよいのか? 日本人なら知っているはずだ。
簡単なことだ。みんな、同じ人間だと、気づくことだ。
大臣たちは感動していたそうだ。
肯んず、は、もと、不肯にサ変のすがついたもので、かへ+に(打消しの助動詞の上代形)+す
だったが、にが音便?(肯ふが下二段だからおかしい)してしまい、肯にすがついたサ変複合動詞だと誤解されるようになったようだ。
最大値を求めよりも、最大値が求まるためのXの変域をもとめたり、最大値の範囲を求めたりするほうがめんどうだと説明し、例を出した。
知人とその仲間たちが中近東のある国を訪れた時の話もした。
砂漠のオアシスに高層ビルが立ち並んでいる。小さいが異様に豊かだ。その国の人は労働をしない。労働者はすべて移民だ。遠くフィリピンあたりからも出稼ぎに来る。
スルタンはパオのような臨時のパーティー会場を作ってくれた。たくさんの料理人が山海の珍味を調理して、今にもベリーダンスを踊りだしそうなロマ(ジプシー)の女たちが給仕する。実際、ロマ女たちはダンスし、曲芸した。
片隅で群れていた大臣たちが、知人を傍に呼んで、訊きたいことがある、と言ったそうだ。
なんだ?
世界に戦争がなくなるためには何をすればよいのか? 日本人なら知っているはずだ。
簡単なことだ。みんな、同じ人間だと、気づくことだ。
大臣たちは感動していたそうだ。