大通りを歩いていると、小学生低学年だった私が、父に命じられてビールを買いに行った酒屋があった。ちょっと入ってみる。昔より狭い感じがした。
大通りから左に入ると、私が住んでいた家がある。通りを隔てた右の道を行くと、私が通っていた草ヶ江小学校がある。
曲がってすぐ右に、昔、汚らしい木造二階建ての長屋があった。ぼろを着た女たち、形相凶悪な男たち、不良少年少女たち。猥雑極まりない場所だった。隣の奥田ふとん店の息子娘とは友達だったが。今その場所には、低い雑居ビルが建ち、一階の通路の両側に飲み屋が連なっていた。あの不良たちかその子孫がオウナーなのかな。
その隣の屋敷には、真面目な大学生がいた。母が気に入っていた男だ。道を進んで左側に中野泰雄が住んでいた。中野正剛の息子だ。私とは一生の付き合いとなった。その隣に、緒方竹虎の姪が住んでいた。中野緒方の親友同士は、家も隣り合わせであったのか。緒方の家の一室で開業していた慶応出の医者がいた。母と東京の話をしてうれしがっていた。今その場所には医院がある。院長の名を見ると、昔の同級生だった。中野緒方の家には小さな橋を渡って行かねばならなかった。どぶ川が道の左側に流れていたからだ。私はそこでザリガニをバケツいっぱい捕った。
住んでいた家は奥の家ととつながって二階建ての集合住宅になっていた。家の前の横丁は存在していたが、こんなに狭くこんなに浅かったのか?
横丁の向かいに周ちゃん一家が住んでいた。その兄貴とはよく喧嘩した。漁師の家系だった。その後に入ったのは、元芸者のおめかけさんで、中学生の息子がいた。夏に水風呂に入る時、私は理由をつけて覗きに行ったものだ。一緒に風呂に入ったこともある。あれ、しっこしたいの? と、勃起したペニスを笑われた。
奥の左側をのぞくと、家と家と柵がつくる三角コーナーが見え、その向こうに、旧筑肥線の土手が見えた。
三角コーナーに、ある夜、銀髪振り乱した浴衣をミニにしてまとった乞食老婆がねぐらにしようとしていた。懐中電灯で私が照らすと怪しく眼が光った。母が、おばあさん、そこでは眠れないよ、とどこかを教えた。
道を隔てた所に広い屋敷があった。新天町に店を構える洋服店の社長、正田さんのお宅だ。どぶ川を飛び越えてその塀にしがみついたり、その塀にボールを投げつけて投球練習をしたりした。塀を乗り越え、庭に侵入し、おばあさんと奥さんにつかまったこともある。クマゼミをはじめて間近に見たのもその庭でだった。
今は、会社とレストランが同居するビルが建っている。美人のお嬢さんが経営しているのかな。
私の愛犬を指差して、この犬、ばかよ、と言った、美しい人。