旬という名の屋台には見覚えがあった。賑わっているし、待っている人もいる屋台もある。ただ、昔はこんなものではなかった。川筋にびっしり、ぎっちり並んでいたものだった。
水道の栓をずらりと並べ、下水道にパイプで汚水を流すようにし、出店をくじで決め、ミカジメ料、じゃなかった税金をとればいい。
石堂川の川べりが最も多かったが、どの川にも、川の中に棒くいを立ててその上に掘っ立て小屋を連ねた朝鮮人部落があった。事実だから目を背けてはならない。
菊竹という中学の時の同級生が、内部をよく知っていて、豚を飼っているとか、男が刺されて連れ込まれたとか、話してくれた。夜、彼と一度だけ探検に行ったことがある。
彼らは一掃され、郊外のアパートに移住させられた。
屋台で飲んで、中州の見覚えのある横丁をうろつく。ぶよぶよというバーには、帰省した時によく通った。九州派の芸術家たちのたまり場だった。私は彼らとは高校生のころからの付き合いだった。桜井孝身、オチオサム等々。東京からは、ネオダダが来ていたね。
アザミという会員制のクラブがある。私の父がメンバーだった。ドアを開けようとしたが閉まっていた。
ビールをコンビニで買ってホテルに帰った。よく歩いた一日であった。