私は降りようか降りまいかと迷った。

生の松原を電車が通過しているときだった。

生の松原には、九大病院が管轄する結核療養所があった。父が三年そこにいた。後に太刀洗に移り、そこで死んだ。

母は、ほぼ毎日看護に行っていたと思う。私と妹も、少なくとも週末は行った。

面会時間外の時は、窓から侵入した。妹を引っ張り上げるのは簡単だったが、母をそうするのには苦労した。

父はいつも、快活で、ウィットに富み、ユーモラスだった。

講談本や娯楽本や通俗本を大量に読むので、母は供給に苦労していた。貸し本屋から借りていたと思う。その影響でか、私は小学生低学年の頃から貸し本屋に入り浸るようになった。

死ぬと覚悟した人間は、シーリアスなことがらから一切身を引くのだろうか。

どうも、父は、人の一生を、からかっていた様なふしがある。

私はインターネットで調べて療養所が九大の宿舎になっているのは知っていた。行ってもしょうがない。

生の松原の、誰もいない静謐な朝のなぎに、こんなことしていいのかと思いながら分け入って、泳ぎ、もぐり、泳ぎ、もぐり。

右側の岩壁はサタンの顔のように恐ろしく、まさに、マウントサタンが海を向いていた。

ムツゴロウを見つけた。水だまりに漬かった松の木を登る。水面を歩く。

何百回も生の松原で泳ぎもぐった。

私は、死を覚悟した父を、そのそばでパチャパチャ遊ぶ幼い私を、憂鬱に、左側に、意識しながら、電車で、通り過ぎる。