延々綿密な心理描写が無効であると、まだ気づいていない者たちがいる。
単純に、叙事詩にかえれと言っているのではない。
描写する心理が幻想であるのだ。
だから、一切描写しないか、いちいち過去の誤謬を正していくかのどちらしか手はない。
後者は誰かがやるだろう。
心理なし、が、叙事詩、とはならない。
叙事詩であるからこそ、堅い心理が、コトとして表れる。
僕は、物理的な小説を構想しよう。
心理が、生理化学反応、物理であることを示す一方、心理がパースペクティヴと記憶を土台にした、異常事態であることも示す。
心理を持たない集団がアマゾンにいる。
心理を拒否した集団が、東南アジアにいる。
前者は、数百人の、滅びかけるか呑みこまれるか。後者は数億人に上る大集団。近代社会から逃亡してきた人々がこれだけのものになった。
前者も後者も、時代は数千年違うが、文明からの逃亡民だった。
私たちは、文明を拒否する批判勢力が、はるか昔からあったことに勇気づけられ、現代にそのスピリットを現実化すべく、何ごとかをしようとしているのではないか?
ロミオとジュリエットの、テラスと庭とのポテンシャルの差、赤と黒での、梯子段でやっと届く高低さ、しかしだからこそ、両カップルともめでたくおこない終えた。
とりつくわれた、いかにも舞台装置的な、ここのところはこれしかないと思わせる状況設定に私たちはくもなくひねられる。アノ単純なことの前触れに過ぎないのに。
あれは、重大、髪の毛が抜けそうな時がある、はずみのこともある。
ある映画の主題曲の一節が、ありのままで、と訳された。
LET IT GO。ビートルズの、BEではないけれども、強く意識している。日本語訳そのものは、必ずしも間違いではないが、伝える内様が、脈絡からは外れている。アナーキーを駆り立てるのと、現状維持を認めてくれというのと、えらい違いだな。
人生棒に振ろうと決意した若者が、歳を経て、死に際になって、じたばたする様子を、記録しよう。
チョムスキーは、知った時からインチキだと思っていた。生成文法の授業を受けた女子学生から、懇切丁寧に説明してもらったのが最初だった。学問における西欧帝国主義からの最後の恫喝だった。
言語活動を受け持つ脳の領野はある。しかし、進化過程ではほんの近頃の言語活動を受け止めようと、その領域が前もって発達したはずはない。その領域がかつて受け持っていた活動はいくつもあっただろう(例。鳥のさえずり)。その領域に言語活動が新たに参入しただけである。
言語の成り立ちがその領域の受け持った活動の歴史を知ることによって明らかになるだろう。
言語構造が、アプリオリに、遺伝子によって、一意的に決定するとは、観念論以外のなにものでもない。セントラルドグマに反している。
チョムスキーに問う、例えば接続詞に対応し他には対応しないDNA連鎖を書け。