公園のベンチの下に、隠すように捨ててあるタバコの吸殻を、見つけてつまんで、携えたゴミ袋の中に入れるおばあさまがいた。
――ごくろうさまです。あなたのような方がいらっしゃるから、ここはこんなにクリーンなんですね。シルヴァー人材センターの方ですか?
――いえいえ、好きでやっているだけですよ。
好きで! こういう日本人が、長生きしてくれますように。
つまらぬ懐疑は不要だ。


ゾウの牙やキリンの首のように人間の脳も定向進化した結果であると考えるのは早計だ(定向進化説そのものの妥当性についてはここでは触れない)。他の動物の定向進化したとみなされる変化のスピードに比べて、人間の脳の発達速度は、はるかに短期間で急である。大きな加速度がかかっている。他の動物の定向進化の実例は外部形態がほとんどで、頭骸骨内部の神経細胞について定向性を唱えるのには奇異な感が伴う。定向進化を許したのとはほぼ正反対の、種が絶滅の危機に瀕したほどの激烈な環境圧が、かつての人類にかかったのだろう。


山の音。川端康成の作品の題名であるが、これから語るのはそれとは関係ない。
小学生の頃、住んでいた町の端まで延びてきていた低い山々の尾根あたりから、打ち上げ花火のような破裂音が聞こえてきたものだった。友人に訊いても、親や近所の人たちに訊いても、正体がわからない。不思議でならなかった。ある休日、母親に弁当を作ってもらい、リュックを背負い、水筒を肩から提げて、原因究明の小旅行に出かけた。麓に住む人たちに訊いて回ったが、皆首を傾げる。中腹で出会った人たちにも尋ねた。やっと、ある老人が、工場だろう、と答えた。あんな高い所に工場があるのだろうか、と疑問に思ったが、大きな音を立てるからこそ、人里から遠くはなれたところに建てたのだろうと思い直した。
汗水たらして、道なき道を登ってみたが、どこにも工場らしき建物は見当たらず、不思議感をさらに膨らましつつ夕昏の山道を降りてきたのだった。

向田邦子と付き合っていたあの久世光彦が、その作品の中で、山から聞こえてくる爆裂音のことを書いている。はたして、同じ音量音色衝撃度を持った、山の音を、世代を隔ててはいても、彼と私は、聞いていたのだったか?